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邪馬台国はどこにあったのか???の解消
「邪馬台国はどこにあったのか???」という課題を解決するのに必要で十分な条件というのはありますか???あるとすればそれは何でしょうか???他説を完膚なきまでにやっつける、「必要かつ十分な条件」……例えば黄門様の印籠のようなもの……というのは何でしょうか??? それとも、「そんなものはない」、これまでも、これからも、学者・識者様の言いたい放題、もう解決できない永遠の課題なのでしょうか???
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大遺跡から、成分から判断して「魏帝が卑弥呼に下賜した銅鏡」と判定せざるをえない(日本・朝鮮製ではない)「三角縁神獣鏡」のような銅鏡が大量に見つかれば、他説を完膚なきまでにやっつけることができるのではないでしょうか。 まだ1枚も見つかっていないのですが、見つかっても1・2枚だと、「卑弥呼が配下の国々へ再下賜した物だ」とか言われるので、ある程度大量でないと困ります。
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- nananotanu
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面白い本があります。 邪馬台国はどこですか?(鯨統一郎) 歴史書ではなく、短編推理小説です。 でも、ちゃんと考察されているんですよ、因みに答えは「東北(岩手)」。でも荒唐無稽ではなく、論理的に 推理 されています。 このように、自由に考えを出せる(大和か九州か、ですらない)のが現状ではないでしょうか。頭を固くしちゃいけないと思います。
- notnot
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親魏倭王の金印の発見でしょうか。
お礼
ありがとうございました。「金印」について調べてみると、「前王朝から授けられた「親魏倭王」の金印はこの朝貢時に回収された可能性が高い」なのだそうですね。また、返されてなくても、「卑弥呼の墓に金印が眠っている可能性は少ない。」ということのようですから、現在、1番手をいっていると思われる箸墓古墳を掘り返しても、出てこない可能性もあり、迷宮入りになりそうな印象ですね。纏向からの出土を期待ですかねぇ。
- taikobowmeido20
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雲をつかむような質問ですが、どうもね。 北九州か大和かという論争になりますが、どっちも決定的な証拠は ありません。 それは、戦国時代に当時古いものは全て石垣に使ってしまい、それ らを証明するものは皆無となってしまったのです。 今でも、姫路城の石垣に石棺が使われているのが良く見える位置に ありますね。 私は大和にあったと思います。 それは、歴代の天皇が大和朝廷を源にしているからです。 当時は、天皇が変わるたびに遷都(都を変えること)をしていたから なんとも言えませんが、それでも紀伊地方からは出ていないと 思われます。 私見ですが、間違っていたら申し訳ありません。
- 2012tth
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最近の研究では、現在は海中に成っている場所? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%846500 しんかい6500 が発見した太平洋の日本領海内でピラミッド?の 様な遺跡を発見していて、もしかしたらって事に 成っているがダイバーが潜れない場所らしくまだ 研究が追いついていません。今後は、画像とかの 証拠を持ち帰る事を考えられています。
お礼
ありがとうございました。「三角縁神獣鏡」というのを調べてみたのですが、「鏡」というのもなかなか複雑ですね。「鏡」というだけで、老化した頭には、迷宮に入りそうです。想像ですが、「卑弥呼が配下の国々へ再下賜した」可能性は高いように思います。「魏帝が卑弥呼に下賜した銅鏡」と判定せざるをえないような銅鏡の出土分布が、邪馬台国の位置を探る手掛かりになるかも知れないと思いました。例えば、北九州を中心として、同心円状に分布が確認されるとか。私は、研究者でも、歴史マニアでもありませんが、「邪馬台国は九州にあったのではないか」と思っています。笑