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理解は比喩だという説について

なにかを理解するため比喩が必要だと友人が言っていますが、どういう意味でしょうか。

みんなの回答

noname#246034
noname#246034
回答No.4

ご友人の思考はわかりませんが、理解を促すために比喩が使われる事は重要だと聴いてます。 釈迦が、法則を語る際に比喩を使われる事があり、導く時の方便自在、説法自在の「方便」とは素晴らしい比喩の事です。 これは、その人の状態に合わせた適切な法則のことで、優れた師は適切な比喩を使い理解を促すことができるということです。 一例ですが、ご友人はその話を知っており、「なにかを理解するため比喩が必要」だと言っておられるのかも知れません。 釈迦などの優れた師匠の神通力や智恵を持つ点、それを使い個々に合わせた法則、比喩を使われる事を素晴らしいと思います。 善い質疑応答をできましたこと、ありがとうございました。 貴方が、素晴らしい理解と、悟り解脱、他を導く智恵や徳、神通力の達成を必ず成就せる者である事を望みます。

kaitara1
質問者

お礼

その友人は理解というものが比喩そのものだと言っているようでした。偉い人が使う比喩は比喩のほうが大切にされているようにも思います。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.3

「全て」「必ず」という訳ではない。 物理的、数値的な理解が難しい場合において、 理解可能な比喩によって近似的論理解釈から実態解釈可能な道筋に誘導できる場合も有りうる。 誘導理論の一つではあるが、 ほんの少しの誤解でも全く違う結論に進んでしまう可能性はある。 …基本部分の論理的な一致性が、必要最低条件として確認されなければならない。 宗教勧誘や物品販売系の世界においては、 宣伝勧誘の手法に多用されている。

kaitara1
質問者

お礼

群盲象をなぜるという現在では使われない言い方がありますね。

  • rsu2maea
  • ベストアンサー率100% (3/3)
回答No.2

よく算数の概念を教えるのにお母さんからバナナを1本もらった、もうバナナを1本お兄さんからもらった。いま自分が持っているバナナは何本ですか?という質問があります。 数式で表すと1+1=2ですが、それだけではわかったとは言えません。ほかの事に置き換えて説明することができる、それが理解しているという事だという意味でしょう。 最近の受験方法として暗記がありますが、参考書など丸暗記しても合格点は取れますが、理解とはほど遠いでしょう。そういう覚え方をしていると記憶に残っても理解しているわけではないので応用できる人が少ないと感じます。

kaitara1
質問者

お礼

例題を解くということでしょうか。

  • watanabe04
  • ベストアンサー率18% (295/1598)
回答No.1

どのくらい感動した、どのくらい痛かった、どのくらい涙した。 どれも数値では測れないですよね。 だからどのくらいか別のもので測る必要があるのでは?

kaitara1
質問者

お礼

数値化できない対象には比喩を適用するということでしょうか。

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