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幕末の通貨問題―小判大量流出。

1867年、米国がロシアからアラスカを720万ドルで購入しましたが、この資金は、ハリスが幕府を言いくるめて、せしめとった金(キン、小判)が原資だと主張するyou tubeを見ました。 このyou tubeでは、縄文・弥生から近現代に至るまで、系統立てて150本ほど発信しており、ファンも多いようです。また、ブログもあります。 そこで思いついた質問です。 1.一体、どの位の量の金(小判)が外国に流出したのですか。大半が米国ですか。 2.米国に流出した金(小判)を1867年頃のUSドルに換算すると、ざっといくらになりますか。それでアラスカを購入できますか。 よろしくお願いいたします。

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  • cse_ri4
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回答No.3

ねずさんという方は、歴史上の曖昧な箇所に突っ込んで、そこで持論を展開するというクセがあります。 この方の歴史観は私も保守なのでどちらかと言うと賛成なのですが、細部を調べるとエビデンスが無いか曖昧なところが多いんですよね。 例えば、ハリスの儲けた金額。 他の回答者の方がわからないと言っているのに、ねずさんだけは「京まで儲けた」と言っている。 私たちは英語文献までは調べないだろうから、英語文献に情報があるかもしれないが、さらっと嘘の情報を混ぜて、しかも出所を記さない。 そう言う言説が、実に多いのです。 本当の情報の中に、一部だけ嘘を混ぜる。 これは詐欺師の手口と似ています。 まあ、一般常識と違うことをねずさんが主張した時は、眉に唾を付けるくらいがいいと思いますよ。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そういうことですか!! よく分かりました。 私も「京まで儲けた」というくだりで、これはウソに違いないと確信しました。 それで、いろいろ調べてみると、次から次へとハテナ?の箇所が出てきたので質問しました。 今月13日には、南北戦争の残り物(中古品)の武器・弾薬や軍服について質問しましたが、回答ゼロでした。 しかし、これもこのブログだからと思えば納得できました。 すっきりしました。

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  • eroero4649
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回答No.2

>米国がロシアからアラスカを720万ドルで購入しましたが、この資金は、ハリスが幕府を言いくるめて、せしめとった金(キン、小判)が原資だと主張するyou tubeを見ました。 たぶんそれはウソ(あるいは間違い)だと思います。ハリスがやったのは個人的な蓄財です。 これは「銀ころがし」ともいうべき、文字通りの錬金術だったのです。 当時の日本では、金1両は一分銀4枚で交換と決まっていました。ところが幕府は財政悪化を補うため、以前から一分銀に含まれる銀の量を減らしていたのです。少ない銀で多くの銀貨を発行できますから、これで幕府は支払いを賄っていました。 本来はそうなると小判と交換するためには一分銀5枚で交換とかとしないといけませんが、それだと幕府の予算不足は解消されません。なので本当は価値が低い銀貨を価値が高いままにしていたのです。当時の日本は鎖国していましたから通貨は国内流通オンリーだったので、それでも問題はありませんでした。 だけどこれが開国となると、いわゆる外貨との交換の必要が出てきます。当時の東アジアの基軸通貨はメキシコドル銀貨でした。それで、アメリカ側は当然「含まれる銀の量で等価交換しよう」となりました。当たり前の提案ですね。 それで、1メキシコドルは一分銀3枚と交換レートが決まりました。ところがその一分銀を小判に両替するときは、含有量が少ない一分銀で金貨(小判)が購入できてしまうのです。 分かりやすく説明すれば、4メキシコドルを持ってきて日本で両替すると3両の小判が手に入ります。この小判を持って海外で金の量に合わせてメキシコドルに交換するとなんと12メキシコドルになるのです! これに気づいたハリスはこの「銀ころがし」で蓄財します。 この当時、外交官というのはお金に困らない裕福な貴族がやるのが欧米では常識でした。何かと利権に繋がりやすい外交という立場では、お金に困っている人が外交官になると国益より蓄財に奔走してしまうので良くないとされたのです。 ハリスは、お世辞にもお金持ちではない人でした。だからハリスが駐日大使になることに反対したアメリカ人もいたほどです。「アイツにそんなことをさせたら、私利私欲に走るぜ」って。その予言どおりになりました。 というわけで、ハリスは国益のために銀ころがしをしたのではなく、自分の金儲けのためにやったのです。 1 研究者によると、30万両説、80万両説、10万両説、858万両説の4つの説があるそうです。こういうときに「上下の両極端な数字を不正確として切る」というセオリーがありますが、そうだとしても30~80万両と3倍近い開きがあるので、正確な数字を知ることは事実上不可能といえそうですね。 なにしろ経済統計なんて誰も記録しなかった時代ですからね。 というわけで、2は回答不能であります。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ウソあるいは間違いだと言うことですね。 質問したきっかけは下記のブログです。 「明治維新と南北戦争の不都合な関係」 https://nezu3344.com/blog-entry-3414.html 質問に関連した箇所を抜粋します。 「ハリスは、リンカーンの子分だと書きました。 してハリスは米国政府の人間です。 ですからハリスは、もちろん個人としてもそれなりに儲けたろうけれど、儲けたカネは、基本、すべて米国政府の収入です。 米国は、こうして世界の富の3分の1の金(Gold)を手に入れました。 そしてそのカネで、200万の北軍を編成し、最新式兵装を整え、南北戦争を戦い、さらに南軍の借金を立て替え払いし、そしてアラスカまで現金で購入したのです。」 歴史の展開(起承転結)を面白い筋道で説明されており、しかも話し言葉の文なのでとても分かりやすく、とっつきやすいです。 しかし、内容はつっこみどころ満載で、“ホント?ウソ?”と言いながら読みました。 歴史カテで質問するネタがいっぱいありました。 今後は、ジョークが多いと思って読むことにします。

  • gunsin
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回答No.1

>ハリスが幕府を言いくるめて、せしめとった金  この事は??です。 1&2の詳細は解りませんが、ヨーロッパと東アジアでは、 金と銀のレートが違ってました。 幕末の開国時では、金と銀の比率が日本では1:4で欧米では 1:15でした。 南北戦争が終わった米国では大量に銃が余ってました。 この余っていた銃を日本にうり、更に為替のレートの違いを 利用して、小判(金)が大量に流出して、ガッポリ儲け、 アラスカ購入の資金になった事と思います。 この事により、日本は超々インフレになり、倒幕の大きな 要因になりました。 小判は製造した時期により、価値が違うので、1&2の 正確な事は解らないと思いますが・・・ 最高の小判は慶長小判です。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 為替レート差による利益や武器・弾薬等の売却益などでアラスカを購入できたであろうという判断ですね。 いちいち個人のブログやyou tubeを採り上げて、単なる歴史ファンの私があれこれ言うと発信者に失礼なので、質問文にはブログ名を書きませんでしたが、下記URLです。 「明治維新と南北戦争の不都合な関係」 https://nezu3344.com/blog-entry-3414.html 質問のきっかけとなった部分を抜粋します。 「お金持ちだった南部11州でさえ、戦費の調達のために、ヨーロッパで外債を発行しているのです。 戦いにはお金がかかるのです。 ところが北軍は、1ドルの外債さえも発行することなく武器や兵を揃えて戦いを進め、さらに戦後には南部が発行した戦時国債を全部引き受けて代払いしただけでなく、その直後にはなんと広大なアラスカをロシアからまるごと買い取っています 北軍側は、いったいどっからそんなお金が湧いて出て来たのでしょうか。 実はそこに日本が重大な関係をしています。」 疑い深い私は、ホントかなと思って質問しました。