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幕末について
なぜ幕末に一揆が増えたのか教えてください。
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まず小判ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%88%A4 どんどん小さくなって行きます。 もちろん、信用力も無くなって行くのです。 正徳小判ですが、元に戻っています。 宝永小判が悪銭だったので物価が「べらぼう」に上がったので すぐに元に戻したのです。>< 万延小判で経済はこんなになっちったんだよ。>< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%BB%B6%E5%B0%8F%E5%88%A4 更に財政難で年貢を5割以上にする藩も出てきた。 次に#1さんのが頻発。 しかし、これでも天皇と幕府を中心に動こうとしていました。 (開国派、攘夷派) 孝明天皇の攘夷令で下関砲撃。薩英戦争。 いずれも幕府が債務を肩代わりしています。 西洋諸国の強さを痛感する事になり、町一個が旗本の領地の幕藩体制では駄目だと言う結論に到達し、天皇中心国家、 尊王倒幕の動きが強くなります。
- tanuki4u
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全国レベルでどうなのかな? と、検索してみたら 百姓一揆からみた幕末農民の「市場」という論文がざっくりまとめている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E9%83%A8%E8%AC%99%E4%B8%80 百姓一揆からみた幕末農民の「市場」 で 検索すると PDFファイルがありますので、ご覧ください。 手短にまとめると、農村における手工業が成長し、農村経済の税率をどうするのよ?と、グツグツもめていた状況に、開港によって、一気に農宋経済が世界経済と結びつき、大騒ぎになったので一揆が増えた。 ということになります。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
一揆って何よ? 生産者と統治者側の生産物の取り合い比率を生産者が「不公平ちゃうの?」と思うと、一揆が起こります。生産システムが変化してないときは、取り合い比率(簡単に言えば税率)の合意は前からと一緒でいいじゃん!としておけば、お互いに不満は出にくい。 で、江戸時代をざっくり言うと 17世紀は、単純に生産量が上がった時代。江戸初期の1500万石、1500万人の人口から3000万石、3000万人くらいへ経済成長した時代。税金に関しては、まぁ成長時代なので不満は少ない。 18世紀になると、経済が農業から商業にシフトした時代で、(まぁ、17世紀に経済規模が大きくなった結果なのですが)旧システムを保持しようとしたり、新システムに対応したりと、グズグズしていた時代。 19世紀になると経済システムの方はどんどん成長したので、徴税システムも変えないと・・・ということで、進展したのが専売システム。言い方を変えると、米という生産物から直接課税するシステムから、塩とか特産品に対する流通物への間接課税方式へのシフトです。 新システムなので、統治者側は前例に関係なくたくさん取ろうとするし、生産者側は、「今まで取ってないところから取るのかYO!」と争いになります。 これが、18世紀つまり幕末に向けて一揆が増えた理由で、一揆をうまく乗り越えて藩の財政改革に成功した長州藩などが、幕末のイニシアティブを取ることになります。 http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/bunka-s/ishin/nenpyo.html 山口県の公式サイト 幕末への動きを 専売制反対一揆 から始めています。
- Willyt
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どういうわけか、地震、干ばつ、大火、洪水、火山の噴火などの天災、人災が頻発したようなのです。これが幕府の屋台骨を揺るがし、黒船がとどめを刺したということです。