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【仏様はみな耳が垂れています】これは仏様のモデルに

【仏様はみな耳が垂れています】これは仏様のモデルになった人物が耳が垂れていたからだと思われます。 耳が垂れているのではなく耳に大きな穴が空いています。 耳に大きな穴が空いている部族が仏様の起源だったと推測できるわけです。 仏様はイスラエル人でも中国人、インド人でも無さそうです。 なぜならイスラエル人は耳が垂れていない。 中国人も幼少期に耳に穴を開ける文化はない。 インド人は幼少期に耳に穴を開ける文化がある。けど、耳に穴を開けるのは女の子だけです。 仏様の起源はインド人でもない。 どこの国の人だったのでしょう? インド人のブッダ=仏様ではないですよね。

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  • fujic-1990
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回答No.3

 2番回答者です。訂正と補足をします。  まず補足ですが、仏様のモデルとして、「ギリシア人かも」とか書きましたが、それは最初期の兜跋毘沙門天などのモデルのことです。  現在の如来様がたにお釈迦様が若い頃に開けたピアスの大穴が残っているということであれば、如来像のモデルは「部族」ではなくて「お釈迦様個人」だったのだろうと思われます。部族全員が巨大ピアスをして耳輪垂成だったとは考え難いですから。  もっとも、部族全員が首に輪をはめて首を長くしていたり、唇をクチバシみたいに長くしている部族もありますから、お釈迦様の部族全員が耳輪垂成だった可能性もありますが。  次は訂正です…補足かな。  「兜跋毘沙門天はお堂を捧げていない」と書きましたが、広辞苑で調べ直したら、「宝塔(お堂)を捧げている」とありました。  私が持っている「兜跋毘沙門天」像(もちろん最近の作)が、たまたまお堂(宝塔)をもっていない姿で作られた(金属製)のかもしれません。  ついでに書くと、広辞苑には『通常右手に戟、左手に宝塔を持ち』と書いてあります(それならば通常の毘沙門天像と同じ)が、私の兜跋毘沙門天像は左手に槍(戟?)を持ち、右手は腰に置いています。  ということで、どっちが正式な兜跋毘沙門天なのか分かりませんので、お詫びの上とりあえず訂正致します。

umidigia5pro
質問者

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  • fujic-1990
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回答No.2

 いえ、耳(全体)は垂れていないと思いますが。如来の耳朶が大きいこと(耳輪垂成と呼ぶ)をおっしゃっているのかな?  で、垂れた耳朶に穴が空いていますが、あれは王子だったころ、耳に巨大・豪華なピアスを付けていた名残です。悟りを開いても若い頃に空けた穴は埋まらなかったと言われています。(幻冬舎:仏像鑑賞入門)  ちなみに耳朶が大きいのは、衆生の声を漏れなく聞くためだとともされていますが、ピアスの巨大さ・重さで伸びてしまったのかも。  当初は仏像を作るのは禁止だった(亡くなる時に釈迦が自分の像を造ってはならないと遺言した由)のですが、後年ギリシア彫刻の影響を受けて仏像が初めて作られたのは、当時「兜跋(とばつ)」と呼ばれていた(中国で)西域と呼ばれる地方の一部であったと言われています。  今「兜跋毘沙門天」と呼ばれている一風変わった毘沙門天(お堂を持たない)が作られたようです。  モデルになった人種があるとは思えませんが、モデルがいるとすれば、ギリシア彫刻の影響を受けたのでギリシア人かもしれません。あるいは西域人かもしれません。  兜跋毘沙門天は、ギリシア彫刻同様に均整の取れた八頭身くらいのいい男です。

  • f272
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回答No.1

仏像のモデルは,ガウタマ・シッダールタ(紀元前5世紀前後の北インドの人物)です。そのころの習慣ではそのあたりの子供は男も女も耳にピアスをします。

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