- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:谷口正次は浪人だったのに江戸ではなく京都にいた理由)
浪人谷口正次の京都滞在理由を考察
このQ&Aのポイント
- 谷口正次は浪人だったにも関わらず、なぜ江戸ではなく京都にいたのか疑問です。
- 『柳営婦女伝叢』という資料の中にある『幕府祚胤傳』の一部には、「京都士谷口長右衛門正次の娘」という文章があります。
- しかし、浪人は主に江戸に集まる傾向があるため、なぜ谷口正次は京都にいたのか、その理由を教えてください。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
谷口正次という人の出自や経歴に関する情報が見つからなかったのでなんともいえませんが、江戸時代の京都に谷口村というところがありますから、先祖はその地域を代表する有力者だったりしたのかもしれません。現在の京都市右京区にある谷口園町、谷口梅津間町など頭に「谷口」がつく5つの町が、かつての谷口村です。京福北野線・龍安寺駅の近辺です。 なお京都在住の浪士には、貞門派俳諧の祖となった松永貞徳、後に歌学方として幕府に召抱えられた北村季吟、儒学者の伊藤仁斎、山崎闇斎など、多くの著名な文人・学者がいます。 谷口正次が、そういった文化系の仕事をする人だったのか、あるいは武芸を教える類の人か、はたまた商売でもしていたのか、さっぱりわかりませんが、京都で浪士が暮らしていること自体は、別に珍しいことではないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。