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ヨーロッパでキリスト教がひろがった理由は?
キリスト教は、最初はユダヤ人の一部の人たちが信仰する宗教であり、異端であるとされて迫害されていたようです。 それがいつのまにかヨーロッパ中にひろがったのはどういう理由によるのでしょうか? 統治者が国教として採用したと想うのですが、どういうメリットがあったのでしょう。 またユダヤ人のイエスを神とあがめながら、ユダヤ人を迫害するといった矛盾があります。 ヨーロッパ人にとってユダヤ人とはどういった存在でしょうか? 無理やりイエスとユダヤ人とを切り離しているような気がしてなりません。 またユダヤ人にとってキリストは異端にすぎないのでしょうか? それともある程度の尊敬をあつめる存在なのでしょうか。 また今後もキリスト教は信仰されつづけるでしょうか?
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キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。 また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。 しかし、キリスト教がユダヤ教の亜流であり続けたとしたら、これほど広く教線を延ばすことはできなかったでしょう。キリスト教は、ギリシャの殖民都市であるアレクサンドリアに伝わることによりギリシャ哲学の影響を受けて変質しました。特に、ユダヤ教式の厳しい戒律が緩められた(割礼の省略など)ことが布教に弾みをつけたと考えられます。 ローマ帝国がキリスト教を公認したように、君主が教線の拡大に一役買っているのは明らかですが、キリスト教自体の魅力として、不平等が当然の社会にあって神の前での平等という破天荒な理想を掲げ、被差別民さえ救済してくれる宗教、しかもとっつき難い戒律も少ない、ということで多くの信者を獲得することができたのでしょう。
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- been
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横道にそれますが・・・ ユダヤ人がユダヤ教を信仰しているのではありません。ユダヤ教徒をユダヤ人と呼ぶのです(イスラエル当局の定義)。通常の意味でいう民族とは全く異なる概念です。従って、現在のユダヤ人には、肌の色、言語、生活習慣、文化などに共通性を求めることはできません。よって、ユダヤ教に改宗すれば、日本人もユダヤ人になることができるのです。
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ありがとうございます。 >ユダヤ教徒をユダヤ人と呼ぶのです これは以前に聞いたことがあったのですが、半信半疑でした。 ユダヤ人=ユダヤ民族とばかりおもっていました。 民俗学的なユダヤ人と、宗教でみたユダヤ人が区別されているのでしょうか。 たとえばナチスにとってはどうだったのでしょうか。ナチスにとっては民族としての血が問題であったと思われますが。
- kiyotta
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イエスはユダヤ教の協議に反する教えを広めたため、ユダヤの中でも異端であったようです。 ユダヤ教にとってキリスト教は確かに異端といえるかもしれませんが、イスラム教にとってはそうでもないようです。イエスも預言者の1人として扱われており、旧約聖書や新約聖書も聖典のひとつです。
お礼
ありがとうございます。 イスラム教がイエスを認めているとは知りませんでした。 イスラムもユダヤもキリストも同じような教えなのでしょうが、伝わった民族が違うゆえに異質なものになっていったように思えます。
最初にキリスト教を公認したのがローマ帝国のコンスタンティヌス帝で、 こんな事情があるみたいです。 http://homepage2.nifty.com/jelc-tokyo/nyumon/nyumon28.htm http://www.geocities.jp/timeway/kougi-17.html
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ありがとうございます。 事情はよくわかりました。 さまざまな迫害にあっているわけですが、殉教すれば天国へゆけるという思想が人々を棄教させない理由になっているように思いました。
お礼
ありがとうございます。 被差別者や恵まれない人たちの間でひろがっていったのですね。 マザーテレサを思いうかべました。 >ユダヤ教式の厳しい戒律が緩められた(割礼の省略など)ことが布教に弾みをつけたと考えられます。 そういえば、ユダヤ人以外でユダヤ教に入っている人というのは聞いたことがありませんね。よほど戒律が厳しいのでしょう。あるいは異民族にはひらかれていない宗教なのかもしれません。 キリスト教がひろまった理由はわかりましたが、今度は逆に、庶民の人気をかちえるほかの宗教がなぜ台頭しなかったのかが気になります。 各国の地元宗教で魅力的なものがまったくなかったとは思えないのですが。