人類の始原の宗教は多神教でしょう。しかし、その後の観念の発達によって、我々の祖先はこの世界がひとつの原理によって秩序が作られていると考えたわけです。しかも、その原理は我々人間と同じように意思をもっていると考えたのでしょう(人格神)。これが一神教の神です。
最初に一神教を作り出したのはヘブライ人でした。モーセの十戒の「わたしのほかに何者も神としてはならない」が一神教の宣言です。これ以前にはユダヤ人もさまざまな名前をもつ神を祀っていたわけです。しかし、十戒がYHWHだけを神としたのでした。聖書などには、神は千の名前をもつとしていますが、これは千人いた神を一人の神に統合したということでしょう。別の言い方をすれば、唯一の神は千人の神の性格を統合した存在なのです。その神の名はYHWHと記されています。
アラビア語やヘブライ語が属するセム語の文字には子音を表す文字しかありません。母音字はないのです。
ところで、神聖な方の本名はみだりに呼んではいけません。ヒロヒトとかアキヒトなどと呼んではいけないのと同じです。だから、一神教徒はヤハウェ(Yahaweh)とかヤーヴェ(Yahweh)などと発音しないで、YHWHを神聖四文字(tetragrammaton)などと呼ぶわけです。
アッラーはアラビア語の「al lah」であって、al=the, lah=godの意味です。つまり、単に「神」という普通名詞です。そして、イスラム教徒はアッラーの他には神はいないと考えるのですから、al lah = YHWHです。つまり、アッラーとは、キリスト教徒が言う「マイ・ゴッド」と同じ意味です。
私は無神論者なので、宗教論的な説明はできません。しかし、この一神教とは人格をもつ唯一の原理を信仰するものは救われるとするもだと考えています。この始まりはユダヤ教です。イエスは「信仰」の内容を問うたのでしょう。戒律を形式的に守っているだけのユダヤ人は神によって救済されない。この論理をひっくり返すと、心から神を信仰するものは血統的にユダヤ人ではないものも救済されることになります。
ムハンマドはイエスは神でないと批判したのです。
私はイスラム教徒ではありませんが、便宜上、イスラム教の立場からすると、こういうふうになるのではないでしょうか。
唯一絶対の神は自分を信仰するもの(だけ)を救済する。救済するために、その教えを預言者(メッセンジャー)に託して現世に派遣する。それがモーセである。しかし、人間どもがその救済の言葉を正しく理解しなかったから、救済の業が完成しない。だから、つぎつぎと予言者を派遣する。
イエスを派遣しても、人間どもはその言葉を誤解して、イエスを神などとしてしまった。だから、神は最終預言者としてムハンマドを人間界に派遣したのだ。ムハンマドの伝えた神の言葉によって、最終的に人間は救済されるのである。