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キリスト・イスラム・ユダヤ教の違い
この3宗教のうちは三姉妹みたいなものというのは聞いたことがありますが、ユダヤとキリストは造物主がヤハウェで、イスラムはこの2宗教から独立していって基本的に旧約聖書は3宗教とも共通になっているはずなのに、イスラムだけは造物主がアッラーになってますよね? このアッラーっていうのはどこから出てきたのでしょうか? また、キリスト教はユダヤ教からキリストの出現によってユダヤ教から契約がかわり、キリスト教になったと思うのですが、そもそも全くユダヤ民族に関係の無い人たちがなぜ、ユダヤしか信仰していなかった宗教を信仰するようになったのでしょうか?キリストを崇拝するのはまだ分かるのですがヤハウェの存在を信じようというのは少し理解できません。 だれか分かる方がいましたらお教えください。
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人類の始原の宗教は多神教でしょう。しかし、その後の観念の発達によって、我々の祖先はこの世界がひとつの原理によって秩序が作られていると考えたわけです。しかも、その原理は我々人間と同じように意思をもっていると考えたのでしょう(人格神)。これが一神教の神です。 最初に一神教を作り出したのはヘブライ人でした。モーセの十戒の「わたしのほかに何者も神としてはならない」が一神教の宣言です。これ以前にはユダヤ人もさまざまな名前をもつ神を祀っていたわけです。しかし、十戒がYHWHだけを神としたのでした。聖書などには、神は千の名前をもつとしていますが、これは千人いた神を一人の神に統合したということでしょう。別の言い方をすれば、唯一の神は千人の神の性格を統合した存在なのです。その神の名はYHWHと記されています。 アラビア語やヘブライ語が属するセム語の文字には子音を表す文字しかありません。母音字はないのです。 ところで、神聖な方の本名はみだりに呼んではいけません。ヒロヒトとかアキヒトなどと呼んではいけないのと同じです。だから、一神教徒はヤハウェ(Yahaweh)とかヤーヴェ(Yahweh)などと発音しないで、YHWHを神聖四文字(tetragrammaton)などと呼ぶわけです。 アッラーはアラビア語の「al lah」であって、al=the, lah=godの意味です。つまり、単に「神」という普通名詞です。そして、イスラム教徒はアッラーの他には神はいないと考えるのですから、al lah = YHWHです。つまり、アッラーとは、キリスト教徒が言う「マイ・ゴッド」と同じ意味です。 私は無神論者なので、宗教論的な説明はできません。しかし、この一神教とは人格をもつ唯一の原理を信仰するものは救われるとするもだと考えています。この始まりはユダヤ教です。イエスは「信仰」の内容を問うたのでしょう。戒律を形式的に守っているだけのユダヤ人は神によって救済されない。この論理をひっくり返すと、心から神を信仰するものは血統的にユダヤ人ではないものも救済されることになります。 ムハンマドはイエスは神でないと批判したのです。 私はイスラム教徒ではありませんが、便宜上、イスラム教の立場からすると、こういうふうになるのではないでしょうか。 唯一絶対の神は自分を信仰するもの(だけ)を救済する。救済するために、その教えを預言者(メッセンジャー)に託して現世に派遣する。それがモーセである。しかし、人間どもがその救済の言葉を正しく理解しなかったから、救済の業が完成しない。だから、つぎつぎと予言者を派遣する。 イエスを派遣しても、人間どもはその言葉を誤解して、イエスを神などとしてしまった。だから、神は最終預言者としてムハンマドを人間界に派遣したのだ。ムハンマドの伝えた神の言葉によって、最終的に人間は救済されるのである。
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- pyon1956
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(1)なぜ、アッラー(神)というかといえば、「神の名をみだりに呼んではいけない」からです。実際ユダヤ教の場合でも「主」「万軍の主」「天」「天国」などなどの「いいかえ」が行われます。 イスラームはアラビア人の宗教だから、アラビア語で「いいかえ」をしているだけです。 (2)こういうふうに宗教を比較する時はどれの立場にも偏らずに考える方が良いような気がします。そういう点で、イエスをキリストと呼ぶのはすでにキリスト教の立場です。 (3)ものすごく大ざっぱにいえば、ユダヤ教の神があって、預言者たちがいろいろ言って、それでユダヤ教の体制ができていたわけです。これに対しある種の批判を行ったイエスという男がいた。彼の思想は必ずしも後のキリスト教と同じではないのですが(むしろ反対の場合も多々あったり)、このイエスをキリスト(救世主。これが本来のユダヤ教ではどういうものかは、たとえば http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E4%B8%96%E4%B8%BB を参照)であると考えたのがキリスト教、ということになるわけです(本当はそんなに単純なものでも無いので、初期にはいろいろあったのだが省略)。 で、もともとイエスも広い意味でユダヤ人なのでもとはユダヤ教徒であったわけですが、その生前の運動の中心の一つが当時のユダヤ教・神殿批判であったため、初期のキリスト教はユダヤ人のなかのユダヤ教批判運動でもあったと思われる。(十二使徒はすべて「ユダヤ人」です。また、当時のユダヤ教は宣教する宗教で、必ずしも本来ユダヤ民族でない人々の間にも広がっていました。改宗者を受け入れていたわけです)ただ、宣教する宗教として広がっていった「キリスト教」はこれとは流れを異にする、「使徒行伝」にでてくるヘレニストを起源とするキリスト教で、これがパウロを経て、ユダヤ教やローマの宗教、さらにキリスト教内部の宗派闘争のなかで確立していった考えが、「新しい契約」という概念であったわけです。(後に主にマタイ福音書の流れに代表されるようになった考え。パウロに対し批判的な人々・宗派もかなりああったが(実はマタイもそうではないかと言う考えもある)、けっきょくこれが主流になったようです。またパウロは生前のイエスには会っていませんが、これまたユダヤ教徒。ただし、ギリシア語を母語とする人ですが。ですから当初キリスト教徒というのはかなりの数のユダヤ教からの改宗者を含んでいたわけで、また古い宗教として大変な権威をもっていたのがユダヤ教でしたし、もともとイエスもユダヤ教と深い関わりを持った人物でした。そういうわけでユダヤ教の聖書を旧約と考え、これがイエスの出現を予言していた、と考える宗派がキリスト教の主流になったわけです(実際、旧約なんてものをすべて棄てる、という考えの宗派もありました。異端とされて排斥されたマルキオン派などですが)。 この当たりの事情は田川建三氏の著作に詳しいので、詳しく調べたけらば、彼の著書(「イエスと言う男」「書物としての新約聖書」「宗教とは何か」など)を参照。ただしどれもかなり過激な本ですが。 http://www6.ocn.ne.jp/%7Etagawakn/index.html
- 安房 与太郎(@bilda)
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三教の神は、呼び名が異なるだけで、同じ天地創造主を指す。 三教の暦は、それぞれの宗教暦だが、日常的にはグレゴリオ暦で統一。 三教の聖地は、エルサレム(もとはパレスチナ、現イスラエルの首都)。 ユダヤ教:ヤハヴェ(天地創造) 始源:BC-37600906(日)天地創造 カレンダー:ユダヤ暦(太陰太陽暦) 聖典:旧約聖書 預言者:モーセ 聖地:エルサレム(古代イスラエル・ユダ王国の首都で神殿があった) キリスト教:父(キリストの父) 始源:AD.00001224(月)キリスト降誕 カレンダー:グレゴリオ暦(太陽暦) 聖典:旧約聖書/新約聖書 預言者:モーセ/キリスト 聖地:エルサレム(キリストが処刑された) イスラム教:アッラー(神の名を呼ばない) 始源:AD.06220716(金)マホメッドがメッカからメディナへ移住 カレンダー:ヒジュラ暦(イスラム太陰暦)イラン太陽暦を併用 聖典:旧約聖書/新約聖書/コーラン 預言者:モーセ/キリスト/マホメッド 聖地:エルサレム(もとはパレスチナ)
- Scull
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YAHWEHが「神の名」で、アッラーが「敬称」というのはもう良いかと思います。 そもそもユダヤ教徒以外には「全く関係ない宗教」だった訳ですが、ナザレのイエスが「救済対象を拡大した」のがきっかけです。元々YAHWEHは「天地万物の創造主」というふれこみですから、イエスを通じて「信仰すれば救われる」という事になれば信者も拡大しますよね。 クリスチャンにとっては「実際YAHWEHはどうでも良い」と言えます。ほとんどのクリスチャンが「神に名がある事さえ知らない」といいますので。信仰対象はイエスであったり、マリアであったりするわけですね。 預言者についてはユダヤ教徒が「最後の預言者は未だ到来していない」、キリスト教徒が「イエスが最後の預言者」、ムスリムが「ムハンマドが最後の預言者」という立場です。
- tukihana
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アッラーというのは”神”という意味であって、ユダヤ教やキリスト教の神(ヤハウェ) と基本的には同じ存在です。 イスラム教では旧約聖書に登場する預言者やイエスも全て神(アッラー)の使徒と 認めており、その上でイスラム教の開祖のムハンマドが最高最後の預言者とされます。 後段の質問は、それまでユダヤ民族のみが対象になっていた神との契約 がイエスの出現によって全人類に開かれたものとなり、 その時点から民族宗教だったものが普遍的な世界宗教に変わったという事だと思います。 もちろんそうなるまでには、イエスの弟子達による命をかけた伝道があっての事ですが。