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昔の日本は裸山が多かったそうです。
昔の日本は裸山が多かったそうです。 今では山=森と思われがちですが、1880年頃の日本の山には木が生えていない山も多かった。 なぜ裸山だったのですか?
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- cse_ri3
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私が調べた限りでは、事実です。 まだ化学肥料が普及していなかった時代、日本の農民は肥えた土を求めて、山の腐葉土を田畑に持って行きました。 その結果、山の土が痩せ、江戸時代の風景画にあるように松林ばかりとなったのです。 そのため、痩せた土地で繁殖する松茸も大量に取れたわけです。 他に薪の採取もあったと考えられます。 その状況が変わったのは戦後です。 化学肥料と石油の普及に伴い、農民は山に入らなくなりました。 日本の山林は、多量の雨に伴い復活したわけです。 それに伴い、松茸も採れなくなりました。 松茸は肥えた土地では、他の植物との競争に負けてしまうのです。 なお、江戸時代の幕藩体制下で農民が山に入るのを規制したのは、規制しないと農民が山に入って、木を切ったり腐葉土を持って行ってしまうためです。 禁令が出るのは、それなりの理由があることを、忘れてはいけません。 参考URLや書籍を思い出したら、回答を追加します。
- GoGoTigers
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薪や炭として、燃料に使うためにどんどん切られていたからです。 戦国時代までに中部近畿から西国は燃料資源の樹木が枯渇して、関東に拠点をもった徳川家康が台頭する原動力のひとつになりました。その後、幕府は建材用の森林(木曽ヒノキとか)は保護しましたが、庶民が煮炊きに使う燃料用の雑木林の山はどんどん伐採されて、人の住むところに近い山々はみな裸山になりました。 江戸時代の浮世絵で、背景の山に樹木がなかったりするのは、別に絵画的に省略しているわけではなく、本当にはげ山ばかりだったからです。
最初は困窮士族対策の木材切り出し事業のせいなのかなと思った。 ただし、何の本で読んだのか記憶が曖昧。 検索では http://gku-repository.gifu-keizai.ac.jp/bitstream/11207/203/1/ronshu_50%282%29_01_takeuchi.pdf という記述もある。
- fujic-1990
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韓国人が昔から製鉄のために樹を切り続け、裸山が多かった(それで樹が豊富な日本にやってきた)という話はよく目にしますが、1880年ころの日本に裸の山が多かったという話は、目にしたことがありません。 ただ、イナカ者の明治政府が樹を切り倒し続けたという話は目にします。 江戸幕府は樹木を非常に大切にしていて、入山禁止の「おとめ山」がたくさんありました。「杉1本は血1升?」とかそんな事が言われていたそうです。もちろん、それを見守る役人も。 ところが、明治政府の眼中はそういう「将来のこと」はなく、ドンドン樹を切り倒して燃やしたり箱物を作って「富国強兵」を推し進めたようです。 「鉄は国家なり」という言葉もありますが、国力増強には鉄が必要。昔の朝鮮と同じように、製鉄のエネルギー源にはまず「樹」だったからです。将来なんて考えてない。 ドンドン国債を発行して福祉国家を作るのと同じです。目的が手段を正当化する。 > 昔の日本は裸山が多かったそうです。 と言っても、どの程度であれば裸山なのか基準がわかりませんが、明治維新のころ「裸山が多かった」とすれば、それは明治政府の政策のせいです(キッパリ)。 俗諺ですが、「ヨーロッパの森林は10年放置すると荒れ地に戻り、日本の荒れ地は10年放置すると森林になる」ということです。10年はともかく100年ならしぜんに森林(雑木林)になってしまう日本で「裸山」を作るのは、国の政策なしではなかなかに難しいことと思います。
お礼
皆さんありがとう