江戸時代以前は中国の王朝の領土の一部でしたが島であることもあって文字通りの辺境地でした。
明治時代になって日清戦争になるとその作戦の一環として日本軍が台湾に上陸して占領し、下関条約で台湾は大日本帝国に割譲されることになり、そこから日本領になりました。
当時の台湾は各地に裸族同様の部族が住んでいて水も悪く、疫病がうようよしている典型的な「土人さんが暮らす南の島」でした。
なので大日本帝国はそこに学校を建てて発電所や水道なども整備しました。また農業の指導もして生産性を上げるようなこともしました。
なので台湾は近代文明を持つ土地になることができました。
当然それらの学校では日本語で教育が行われていたので、台湾のお年寄りは日本語が堪能だったのです。親日家を通り越して愛日家といわれた李登輝元総統は陸軍士官学校まで行ってたので、日本からのインタビューなどはみんな日本語で受けていました。
それは日本周辺のアジア地域ではある時代まで当たり前の光景で、韓国も金大中大統領まではみんな日本語が話せましたし、私は中学生のときにサイパン島でホームステイをしたことがありましたが、当時のサイパンのお爺ちゃんとお婆ちゃんはみんな日本語が話せました。