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昔の日本人は蒸しご飯でお粥を食べていたって、どうや
昔の日本人は蒸しご飯でお粥を食べていたって、どうやって蒸してお粥が出来るの? あと昔は火力が弱かったって、肉も魚も焼いて食べてたし、そもそもお米を炊ける火力って木に火を付けるだけの火力で十分炊けますよね。 お粥を食べてたのなら、蒸しご飯じゃなくて今の炊飯器と同じ炊き込みご飯だったのでは? わざわざ蒸してご飯を作ってお粥にするの二度手間ですよね。
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弥生時代の話ですね? 米を炊いてたか蒸してたかは昔から議論があります。 昔は甕(かめ)と呼ばれる普通の土器とともに甑(こしき)と呼ばれた蒸し器が出土したので、甑は米を蒸すためのもので弥生人は米を蒸していたと思われていました。 ですが現代は甕をよくよく調べるとこちらにも米の跡や米そのものや米を炊いたあとの煤などが出てくることから、炊くも蒸すも両方やってて祝い事などたまに蒸すだけで、普段は炊いていたのではなかろうかと思われています。 なお炊くといっても密閉の難しい土器ではどうしても水分を全部吸ったご飯ではなくお粥になってしまうので、甑で炊いた蒸しご飯を干して糒(ほしいい)にして保存食にし、必要なときにお湯で溶いておかゆにして食べるといったことは行われていたでしょう。
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- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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蒸していたのはもち米で、米は煮ていてお粥でした。 米の種類が異なります。 実は炊ける鍋釜の形状には条件があり、きちんと炊ける釜が開発されるようになったのは江戸時代以降なのです。 木に火をつけて水を入れるだけではやっぱりお粥なんですよ。 ちなみに米を普通に蒸したらまわりが固くて食べられるものでは無かったそうですが、カビを発生させてお酒や味噌などの材料にします。
- fujic-1990
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蒸し御飯もしくはふつうに炊いた御飯に、水や湯をかけておかゆ状にして食べていたんだと思いますよ。彼らには、特に「おかゆ」を作っているという意識は無かっただろうと思います。 ◎ 「冬は湯漬、夏は水漬にて、御飯(おもの)を食(め)すべきなり」 (今昔物語集) ◎ 「御湯漬、くだ物など誰も誰も聞し召す」 (源氏物語) ※聞こし召す・・・ 「呑む」「食う」の尊敬語。「お召し上がりになる」
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