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昔の日本と今の日本
戦後六十年 日本はどうかわり 日本人自体の考えはどのように変わったと思いますか 最近何か空しいです 正直今の日本は豊かですが 何か大切なものを忘れてる気がするのです 母親の小さいころの話を聞くのですが 物や食料は無かったけど みんな生き生きしてたと言ってました 今日本人でどのくらいの人がそのようなことをいえるのでしょうか 皆さんの意見を聞かせてください
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- 10thDan
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戦前の日本は生まれていなかったので良かったのかどうか判りませんが…。 日本人としての「誇り」みたいなものの意識のターニングポイントは、やはり「バブル経済前後」だと思います。少なくとも80年代までは、日本人は戦後焼け野原から奇跡の復興を成し遂げ、GDP世界第2位までになり、世界各国から経営手法は日本に学べとまで言われた「日本」に「誇り」を持っていたと思います。 バブル経済破綻後の長引く不況、その後の財政再建への失敗の数々で、政治経済面共にお粗末なまま、そして戦後ずっとお家芸だった「製造」を中国に取られ、産業のソフト面(IT、ハイテク)金融面をアメリカに完全に牛耳られというところでに、「日本って何もないね。」って日本人自身がダメだしして、自沈して「なんとなく活気がない」状態が今だと思います。 でも、80年代に「日本はだめだ」なんて言ってた人、聞いた事有りません。その前の時代の書物でも「日本の将来性」を明るくいう人があっても、だめだなんていう人もいなかったように思います。 だから今一度、「誇り」を取り戻す戦略(経済、政治面)を日本人として考えていく必要と思います。 でも、確かに中々、そういう雰囲気が出てきませんね。
- KOOL_Lv30
- ベストアンサー率14% (9/63)
確固とした目標がない所為だと思います。 誰でも学校に行ける日本で、子どもは学校に行きたくない、勉強への意欲がないのに対し、 発展途上国の学校に行けない子どもたちは、学校に行くことを望んでいて、勉強への意欲に満ち溢れています。 戦後、またそれ以前、日本は他の国に大きく遅れていました。 政府の出したキャッチフレーズ、「富国強兵」とかそういう確固とした目標、道しるべがあったから、国民全員が一丸となってそれに熱中していたんだと思います。 対し、今の日本は程度の差はあれど、様々な面で世界でも高い水準に位置するようになってきましたね。 誰にでも簡単かつ具体的にイメージ出来る目標というものが欠如してしまっているのが、一番の原因だと思います。
- tsuyoshi2004
- ベストアンサー率25% (665/2600)
私が最近よく感じることは帰属意識の欠如です。 家庭の一員であるという意識、更には一族の一員であるということの意識、地域の一員であるという意識、社会の一員であるという意識、更には人類の一員であるという意識が薄くなっていると思います。 よく言えば、自立心が強くなったとも言えると思いますが、同時に身勝手になったというように感じます。 例えば、昔は抑止力として、「こんなことをしたら親兄弟に迷惑がかかる」とか「仲間に迷惑がかかる」などという意識が強かったと思います。 逆に最近では「故郷に錦を飾る」なんて言葉は使われなくなったと思います。 全て昔がよかったとも思いませんが、むやみに現状が全ていいと思うことも危険極まりないと思います。謙虚に反省すべき点は反省すべきと各自が律する必要があるのではないでしょうか?
- tooma37
- ベストアンサー率25% (96/374)
>最近何か空しいです正直今の日本は豊かですが何か大切なものを忘れてる気がするのです 経済的には豊かになったのは間違いありませんね。 “何か大切なものを忘れている”との事ですが家族や地域コミュニティーとの連帯が希薄になったとか、長幼の序が重視されなくなったと言ったことでしょうか? 私はそれらが幸福をもたらしてくれる面が無論あったとは思いますがそれらになんの弊害もなかったとは思いません。結婚に親の賛成が絶対不可欠だったり、年上というだけで能力もない人間が威張っていたり、女性は男性と同等に働くことを許されなかったり、マイノリティーが社会的に成功できる確率が絶望的に低い世の中に戻って欲しいと私は思わないのです。 上記のような理由で私は“何か大切なものをうしなった”というよりは“何かを得て、何かを失った”それだけの事だと思っています。それによって得られる幸福の総量と不幸の総量は比較できるものではありませんし、個人の立場や解釈によって違ってくると思います。 >母親の小さいころの話を聞くのですが 物や食料は無かったけど >みんな生き生きしてたと言ってました 年配の方は過去を過大評価する傾向があります。親御さんを馬鹿にするわけではありませんが額面どおり受けとらない方がいいですよ。 >今日本人でどのくらいの人がそのようなことをいえるのでしょうか 物や食料の過不足はともかくとして、生き生きとしている人は沢山いるでしょう。生き生きとしているように見えているかどうかはわかりませんが、私は生きる事が楽しいです。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
まぁ明治から戦後にかけての動乱の時代。 良い人間ほど早く死ぬ。という言葉がありますからね。 長生きにはそれなりの資格があるのですよ。 生き生きねぇ…。 それって、今の廃墟でしょう? 都市部でもないのに特定産業のお陰で地域が活性化した街。 軍艦島が良い例です。 そこは確かに生き生きしてましたよ。 当時の最先端の街で最新の文化がありました。 本島ではニュータウンでしょうかね。 高度成長で都市部に人口が集中してニュータウンが相次いで建設。 そりゃ働く若者が集まるのですから生き生きするのは当然です。 そして、今では高齢化社会と化していますがね。 彼らにとっては昔は生き生きしていたのは当然です。 つまるとこ、人間社会のいびつな集落がニュータウン。 そんな中でまともな社会形成が成熟するとは思えない。 公務員は人口が増えて税金収入が増えてウハウハでしょうが、 都市造りってのは人口が増えても大変なものです。 何よりも、こういう都市が弱小都市の人材を奪っていったのですからね。 地方都市は赤ん坊から帰巣教育したいわけです。 生まれの親がその街その物であれば、良心があれば子供はその地に根付きますからね。 赤ちゃんポストは笑えない。 やはり、合理的な人間が増えたとは想いますね。 大人子供の思考ではないです。 言われるように合理的な考えは、他者に責任を押し付けることです。 自分が罪を負わない様に合理的に考えるのはこういうことですからね。 下手に大人ぶってる社会になってしまいましたね。
こんにちは、 お年寄りが、「最近の若もんは、」という言葉は4000年前の古代エジプトにもある言葉だそうですが、 それでも私も最近の日本はどうにかしていると思います。 私も年を取ったのかしらん。けど、若者のみならず年寄りのレベルも極端に低いです。 ルース・ベネディクトさんが書かれた、「菊と刀」を読んでいますが、 日本人は人生や人間関係に対して横着になったなぁと思います。 祖父や祖母たちの生き方と自分達の生き方を比較すると人間が小さく、 語彙も貧弱で、意思の疎通も下手だと反省するところが多いです。 周りを見回すと人間としての誇りを捨てている人も多いし、 あと、責任を他人に押し付けて、自分には責任がないという器の小さい人が増えたと思います。 外野からごちゃごちゃ知ったかぶで無責任で否定的な評論ばかりしますが、てめぇは行動しないのか?とつっこみたくなります。 多分、ちゃんと育てられてこなかったので、大人らしい大人が少ない幼稚な社会なんだろうと思います。 大人は少なくとも、子供が「自分の生活は自分で作り上げることが出来る」 「自分や家族を最大限幸福にすることが出来る」「周りとしっかり意思の疎通が出来る」 「仲間を持つことが出来る」「外野からごちゃごちゃ評論ばかりせず、自分でまず行動せよ」。 これらの方法を大人は見せるか教えなければ、負のスパイラルは永久に続くと思います。 永遠の幼稚園児ばかりの社会なんてうんざりです。 あと、お金を稼ぐことを「拝金主義」と蔑むのも歪んだ金銭感覚です。 お金は「人生の切符」です。お金が多いほど、自分や周りの人生の選択肢を増やせます。 お金をたくさん稼ぐ人は成功者としてもっと見習われるべきです。違法行為は徹底排除するべきですが。
日本に限らず、人は過去を懐かしみ、とかく現代を悲観しがちになるようです。 現代は確かに少子高齢化・労働問題・年金問題・凶悪犯罪…と、問題を挙げればきりがないほどです。しかし、だからといって、私は過去がそれほど素晴らしいものだったとは思えません。 高齢者が懐かしむ過去は、人身売買が横行し、制度としての民族差別があり、不正は今以上に闇に葬られていました。 戦後60年、決して日本人が荒んでいったのではありません。また、日本人の考えが大きく変わったとも思いません。 確かに豊かになったとは言えませんが、それは昔から同じことであり、おそらく未来永劫万人が賞賛できるような豊かな社会などできたりはしないでしょう。 古代バビロニアの古文書にも最近の若者を嘆く記述があるそうです。 その時代から徐々に人の心根が貧しくなっていったのなら、今の時代はまさに暗黒の時代になっているはずです。 しかし、現代でも人は涙を流し、怒り、笑うことができます。 今の時代が歴史上、一番素晴らしいと思って生きていくべきだと私は思います。