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子供の哲学の話。
子供の哲学の話。 子供がレゴで何かを作っていたので私が「何を作ってるの?」と聞いたら、子供が「わかんない」と言った。 ということは、本人はあるブロックを適当に何も意識せずに目的もなく積んでただけだったっていうこと。 目的もなく積んでただけ。 これは目的もなく積んでた無意味なものは無かったことに等しいのでは?と思ったのですがどう思いますか? 目的がない工作物は無いに等しい?それとも現実に無意味な工作物があるので存在していると言える?
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どのレベルで「無」を定義するかだと思います。 例えば脳神経レベルで言えば,お子さんの行為はまだ未成熟な神経系に手先,視覚,思考面,想像面から非常に多くの刺激を与え、脳の発達に対して膨大な貢献をした時間だったと言えます。 特にできた後,これが何かを考える思考パターンの習得は創造性を大きく発達させるという意味で多大な効果があったと言えるでしょう。これを無と言ってしまうのは生物学的に,教育学的には非常にナンセンスです。 もう少し人間的に答えれば,お子さんは無意味な物を作っていたわけでは無い。 こうしたら格好いいな。このつながりは面白い。この角度は例えば飛行機にも見える。いやロボットに見えてきたぞ。 そう思いながら,もしかすると最初は目的をしっかり持って作っていたかも知れません。例えば格好いい飛行機が作りたい。 ところが,できあがりが不満足だったため,またはそれを言うのが恥ずかしかったため,さらにはあなたが「何を創っているの」と何も考えず言葉を投げかけたため,お子さんの想像力や達成感を台無しにした。つまりあなたが「無」にした可能性も考えられますよね。 親が,それ何なの?と明らかに飛行機に見えると思って作っているのにそう言われたから言えなかった。なんて可能性だってあります。 親が目的や達成感を破壊したものは,やはり無ではないと私は思います。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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抽象画を描く技法の心得と共通項があり、無為または無意識的に積み上げて完成した姿からイメージを膨らませて意味をつけるという形です。 美術カテゴリーで、こうした子供のしぐさに意味があるのか質問したほうが良かったですよ。 まあ、無駄ではなくて大まかに私の証言するのが骨格です。 質問趣旨で哲学的に意味をつけると、やがて意味が出来る。 またはやがて意味を自覚する。 です。 まあ、意志行為として組み立てる過程では、意味は組み立てるだけで、完成してから意味が理解できる(意思から知性へと循環する)。
- stmim
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どういうことですか? 意味がないのは、無に等しい?そんなことはないでしょう。 では自然の風や波などでできる奇妙な形の岩とかは無に等しい? 物理的に存在しているものは、存在しているのじゃないですか? ブロックは存在しているのだから、ブロックを積んだものも存在してますよね。 どういうことなのか、私には理解が難しい。 私は意味なんてどうでもいい気がするけど。 意味は存在に影響を与えないですよ。 意味は現実には存在せず、人間の頭の中にしかないのだから。
- Postizos
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どういうつもりでやっているのかは言葉にできないのでしょうね。大人にもあります。 現代の芸術は目的に従属しない物が多いというかそういうのが芸術だと思われてる面もあります。「何々(例えば宗教権威)の為」とか「意味」に従属することを否定して偶然性とか無意味とか無意識に着目したのがダダとかシュルレアリスムではないでしょうか。 子供の場合は手慰みから手の動きとそれが現実に形になることを確かめているのだと思います。そこに意味とか目的が無くても形が連想や想像を生んでそれが手に伝わり、手の動きが形に伝わる、無限に自分が広がっていくような体験をしているのではないでしょうか。 大人でも手慰みというかいつのまにか落書きをしているとか意味のない声や歌を歌ってるとか、いわゆる「限界芸術」みたいなのをやっていることは多いです。 質問の答えとしては工作物それ自体が目的であって結果でもある。あるいは過程である。それこそが美術とか芸術とか技術、身体表現につながる行為ではないでしょうか。
- kaitara1
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面白いと思います。私の経験では役に立たないものほど存在を主張する。特に今役に立っているものは少しも邪魔ではないが、どんなに有用とされているものでも今役に立たなければ邪魔、すなわち存在を主張するだけということです。お子さんの作品もこれは自動車のつもりだと言われたとするなら、そこにあるのは組み立てられたブロックではなく自動車の幻影だけでしょう。お子さんはブロックを組み立てることを実感したかったのではないでしょうか。
- g27anato
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「わかんない」 ⇒「まだ」意味が生まれてない。 ⇒「そのうち」意味が生まれるかもしれない。 …スゴイ! 大研究者と同じ発想ですよ。 何かの結果を求めて行う事なら、求めているものしか得られないし、それなら他人に使われるだけの人生を送るサラリーマン的発想にすぎません。 「新たな何かが生まれること」に期待しながら「試行錯誤」を繰り返す。 それこそ「研究者」と同じ行動です。 「目的」以外の事を全否定することが、成長の芽を摘み取ることに繋がります。 我が子が「親を越える存在」になるのは嫌ですか? 我が子は「親以下の人間」になってほしいですか? 子供の成長は親の判断と行為によって決まります。 「親が摘み取る」のは「危険の芽」だけで結構です。 「可能性の芽」までは摘み取らないことを望みます。 「わかんない」=「目的がない」という事ではありません。 それは親が勝手な解釈を加えているだけです。 目的を説明できないから「わかんない」 と言ってるだけです。 大人の世界でも説明を求められて簡潔に説明できる事って、どれだけあるでしょうか? 逆に「なんでアナタに説明しなければならないのか?」と、逆ギレしたくなることありませんか? お子さんは逆ギレもせず冷静に、「まだ説明できない」から何の忖度もせず、かつ簡潔に「わかんない」と正直に答えたのです。 「無意味」だと思うのは大人の解釈、大人の判断、大人の決めつけです。 その相手は成長途上の子供なのに…ですよ。 その上に目の前で何かを作っているのに、存在そのものを否定する「無い」とという言葉で決めつける。 その行為は「存在という現実の全否定」という最悪の行動です。 「無意味」と決めつけるのは大人本位の身勝手な解釈です。 子供にとっては「何かができそう」だから、「何ができるか」楽しみで「何か」を作ろうとしているのです。 皆さんが尊敬する著名人の多くが、 「やってみなければ結果は出ない。」 「否定からは何も生まれない。」 「失敗しなければ誤りを見つけられない。 何が誤りか知ることこそ成功の原動力となる。」 …言葉や意味は少しづつ違っていても、多くの成功者が同じように言ってます。 「哲学」を質問にするからには、 「子供なりの哲学」を「大人本位」の解釈から「無意味」と思っただけで「無意味だ」と断定せずに、 「新たな発見」を求める行為は「全否定 」せず、期待の目で可能性を見守ってあげてほしいものです。 そのうち「こんなのできたよー」と言いながら目の前に持ってくるかもしれませんが、 その時に初めて「何ができたの?」と聞いてみてあげて下さい。 その時も、大人の目には「意味不明」であっても全否定はしないように。 …「子供の目」で「成長に繋がる」何かを掴んでいる可能性がありますから。
- piyopiyopyon
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目的が無かったら、無意味なのですか? そんなことはないと思いますが。 心の赴くままに手足を動かしたっていいですよね。 それで精神のバランスを取っているかもしれません。 目的も決めずに外を散歩したって、全くのムダではないですし。 目的も無くドライブに出かけたら何か発見があるかもしれませんし。 誰かにとって無意味でも、別の人にとっては無意味では無い、なんてことは山ほどあると思います。
- fjnobu
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実際には見たことがあるけれど、それが何という名前の物かは分からないということもあるでしょう。
お礼
みんなありがとう