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天皇家内部の争い

日本史を勉強していて、平安時代までは、天皇家内部の争いが日本の歴史を形成してきたともいえるのではないかという印象を持ち始めていますが、この印象は誤っていますか??? それと南北朝以後、武士の時代が長く続きますが、この間、天皇家内部の争いはありましたか???あれば教えてください。

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  • eroero4649
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回答No.3

天皇家内部の争いというより「誰を天皇にさせるかの争い」であったといえるでしょうね。キングメーカーになるのは誰だという争いです。 そしてそれは別に天皇家に限った話じゃなくて、鎌倉幕府は誰を征夷大将軍あるいは執権に就かせるかの争いですし、徳川幕府も誰が将軍のキングメーカーになるかの争いでした。今でも「誰を社長にさせるか」あるいは「誰を首相にさせるか」の争いでもありますよね。 およそ日本史において「その権力の頂点に座った人が直接の権力を持っている」というのはむしろ、稀です。田中角栄とか後藤田正晴とか、最近だと自民党幹事長時代の小沢一郎とか、本当の権力を持っている人はむしろ裏で暗躍しているものです。大事なのは「誰が番頭さんをやっているか」なんですよ。だから江戸時代も井伊直弼みたいな人たちが出てきています。 ほら、幕末だって本来は長州藩主は毛利敬親だし薩摩藩主は島津久光です。ところが実際にそれぞれの藩を動かしていたのは桂小五郎であり、西郷隆盛です。藩主はこれといったリーダーシップは発揮していません。毛利敬親に至ってはなんでも家臣のいうことを認めたから「そうせい公」と人々から呼ばれていたくらいです。 これは天皇家が分かりやすいから目立ちますが、日本の組織って放っておくと自然とそうなるようになっています。 例えば、日本のプロ野球には最高位の立場にはコミッショナーという役職があります。しかしこのコミッショナー、単なるお飾りの名誉職です。1978年に江川卓氏がいわゆる「空白の一日」を利用して巨人と契約したとき、コミッショナーは裁定を下す権限がありませんでした。また、2004年に起きたオリックスと近鉄の統一と選手ストライキ問題が起きたときのコミッショナーであった根來泰周氏が最高権力者のはずなのに「私には権限がない」と発言したのはご存知ですよね。あのときのプロ野球界で一番の権力者は読売新聞の主筆であったナベツネのおっさんでした。 この「日本では誰が偉いのかよく分からん問題」はそこらじゅうでよく見かけますね・笑。

noname#247736
質問者

お礼

「誰を天皇にさせるかの争い」、「誰を社長にさせるか」、「誰を首相にさせるか」……気づきませんでした。歴史や世の中を見る視点を変えてみる必要があるようです。

その他の回答 (2)

  • tzd78886
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回答No.2

幕末に孝明天皇が急死しています。当時少年だった(後の)明治天皇が薩長同盟に都合よく即位したのはいかにも不自然で、暗殺があったのは間違いないと言われています。明治天皇自身も本物だか怪しいという説も有力ですしね。天皇家と全く関係ない人物だという説まであるくらいです。

noname#247736
質問者

お礼

孝明天皇の死は皇室内部の争いではないと思います。 明治天皇自身も本物だか怪しいという説も有力です……初めて知りました。何か資料はありますか???

  • stss08n
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回答No.1

数数えられない”骨肉”争いが”オフシャルには出来ない事情も、あるのでしょう。

noname#247736
質問者

お礼

オフシャルには出来ない事情も、あるのでしょう。……それが知りたいのです。

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