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芥川龍之介の「蜘蛛の糸」とは?
- 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、極楽の釈尊が地獄に落ちていくカンダダに対して疑問を持ちながらも、いけの辺を心地よく歩く姿を描いた作品です。
- この物語は、立派で偉い人が地獄に苦しむ人の救済に尽力するべきだという考えについて問いかけています。
- 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、人間の善悪や救済のあり方について考えさせられる作品として知られています。
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わたくしが「蜘蛛の糸」を読んだのは、はて小学校何年生だったでしょうか。学研の「〇年の学習」で読んだのだと思います。 初めて読んだそのときから、 「人の足を引っ張って糸をブチ切っているヒマがあったらサッサと登れ」 「切れるとしたら大勢の人がぶら下がっているところで切れるだろ、物理的に考えて」 「だから追いつかれないようにサッサと登れ」 「カンダタが登り切ったら、お釈迦様はどうするつもりだったんだろう?『そいつらは助ける必要ないから切れ』とかいったんだろうか。なかなかお釈迦様もやることがエグいっすね」 「てか最初からこうなると分かっててやったっしょ、お釈迦様」 と思っていました。 今でもその気持ちに変化はありません。 >極楽の立派な人は地獄に苦しむ人の救済に働くべきだと。 現世の間に「ちゃんとやっとったら極楽に行けるんよ」と散々教えてやっておいたのにいうことを聞かなかったんだから、そこはもうしょうがないんじゃないでしょうかね。 「恨みに報ゆるに徳を以てす」という言葉がありますよね。これに対して孔子先生は「恨みに報ゆるに徳をもったら、徳には何をもって報いるのか」という至極まっとうなツッコミをしています。 質問者さんだって、現世で真面目に過ごして極楽に連れてもらったら、隣の人が「いやー、僕は連続レイプ殺人をしたんですけど、地獄に落とされて、ほんで阿弥陀様ごめんなさいーごめんなさいーいうておったら阿弥陀様に助けられたんすわ。いやー地獄に仏ってほんまでんなあ」っていわれたら「え?そんなに簡単に極楽来れちゃうの?」ってガッカリじゃないですか。 >みずから地獄に赴いて共に解脱していこうとするべきだと。 それをされたら閻魔様と鬼の皆さんのお仕事がなくなってしまいますから、人のお仕事は邪魔をしないようにしておられるのでしょう。
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- 1buthi
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地獄に落ちたということは人として救いようがない罪を犯した結果、罰を与えられたということだと思います。 仏の力でも救済できない罪人の終着点が地獄だとおもいます。 そんな極悪人にしては上出来のささやかな善行に対して仏は最高の評価を与えて救済しようと試みたのに、カンダタは仏が降ろした蜘蛛の糸の意味がわからなかったからもう仕方がありませんね。 地獄へ落ちる前になら救済の方法も立ち直りもあったかもしれないけれど、落ちてしまったら結局は赴いても救いようがないことを、仏はカンダタでもって再確認したことでしょう。
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ありがとうございました。 物語はそうなんですね。
- seble
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地獄も、ある意味、釈迦が作ったものであり、必要としているのです。仏教の考え方として。 従って、そこで苦しむ人が存在するのも必然であり、それを簡単に救済してしまっては地獄を作った意味が無くなってしまいます。 もちろん、それだけじゃ身も蓋もないだろという事で芥川は考えましたが、芥川はしょせん芥川であって釈迦ではありませんので、それ以上の事はできません。 仏教思想では、善と悪、明確に区別するために極楽と地獄を設定しています。地獄を救済してしまっては前提が崩れますから困るのです。教えにそむくヤツには罰です。寄進しないヤツにも罰です。そういう設定にしなきゃ儲かりません。ww
お礼
なるほど。 そういう事でしたか。 ありがとうございました。
図々しくもお釈迦様と言う役名で劇中に登場しますが、あの気まぐれないい子ぶりっ子は芥川龍之介自身なんですから期待してもはじまりません。本物のお釈迦様が家族にどれほど善いお父さんだったかは存じませんが。
お礼
そうなんですか。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 そうなんでしょうね。 よく分かりました。