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気分はもうお釈迦様
- 最近の私の生活は落ち着きと充足感が漂い、気分はもうお釈迦様です。
- 私は苦しんでいる人に自分の手順を教えようとしますが、誰も耳を貸さないようです。
- 今後も私は気が向いたときに蜘蛛の糸をたらし、苦しんでいる人々を支えていこうと思います。
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質問者が選んだベストアンサー
私も、嫌いなことをする時には、「これは嫌いだ」と言いながらも平然と出来るようになりましたし、好きなことに没頭できる時間の有り難さも充分判るようになり、幸せでしょうがありません。 この世に生を受けたからには、自分の器量の範囲で衆生済度をするべきでしょう。 特に、まだ時間のある若い人に救いの手を出すよりも、既に先が無い老夫や老女に救いの手を差し延べてほしいです。 絶対時間の限られた彼らにとっての救いとは、こちらから説教をするのではなく、ただただ彼らが感じている苦しみ・不幸を聞いてあげるだけが良いのかもしれません。
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「極楽はもう・・夜でございます」 面白いですねぇ・・・(笑)。 文章お上手で・・・。 でもシニアのなりすましの質問は勘弁してくださいな(笑)。 それでなくともシニアは評判良くないのです・・頑固だとかね! シニアの発想は、いたって穏やかなんです。 カンダタの思いは我々の思いですし・・・それで頑張れたんです。 縋れる糸には縋りましたもの・・・(笑)。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 私は40チョイ過ぎですがシニアにはまだ入れませんか。 考え方や生活スタイルはシニアのそれにかなり近いのですが。 >カンダタの思いは我々の思いですし・・・それで頑張れたんです。 競争に勝つことが人生の価値だということでしょうか。
- organic33
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>ゆえに共に極楽に行きましょうといっているのですが勝手に行け!と言われているわけです。 お釈迦様なんですから、唯我独尊でしょう。お一人で。 >ですからいまさら地獄に落ちる気はありません。 地獄に堕ちる、表現が悪かったですか。 なら、地獄に行って、あるじになったら如何ですか? 地獄、極楽の裏方もいらっしゃるでしょうから、その一員として。 そして地獄を地獄に。 なんかこんにゃく問答になっちゃったかな。
お礼
ご回答ありがとうございました。
あなたが御釈迦様なら、私は神だ。(by モンスターエンジン) 『こうだ!』と言い切る人は、ある種の人々から崇められるでしょうが、私は神なので崇めません。むしろ、そこに病的なものを感じ取ります。気分が落ち着いているというのは結構なことです。自己重要感の亡者め。
お礼
ははは、 ご回答ありがとう御座いました。
- e-toshi54
- ベストアンサー率22% (728/3265)
若者言葉で言う「上から目線」てやつですね。年寄りが一番煙たがられる現象です。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 はは、そうですね。
- organic33
- ベストアンサー率36% (615/1664)
お釈迦様ですか。極楽に居る感じなんでしょうか。楽ですよね。 でも、文面から、あまり気持ちが充実しているとは言えない感じがしますが。 この際思い切って、地獄に堕ちてみてはいかがですか? 地獄は波瀾万丈ですよ。と、見てきたような嘘を言ってみる。 極楽はテレビと同じで、見るだけ。特に綺麗な女性に抱きついたり、なめ回したら、 即、地獄行きですよね。そこからおもしろい事が一杯の世界が開けます。 お釈迦様も糸を垂らす事くらいしかやらなかったようですので、 あなたが地獄へ堕ちて、地獄で楽しんではいかがですか。 又違う世界が開けますよ。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 そう、確かに気持ちの充実というのは欠けているのかもしれません。 質問にあるようにある種の後ろめたさがあるわけです。 ゆえに共に極楽に行きましょうといっているのですが勝手に行け!と言われているわけです。 私の今の極楽は才能でも生まれながらの恵まれた環境でもないわけで、それなりのステップを踏んでいるのです。 ですからいまさら地獄に落ちる気はありません。
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
苦しんでいる人と同じ状況にならないと、人を助けられないってことじゃないですよね・・。というか、もがき苦しんでいる人の隣で同様にもがき苦しんでも、何も助けにならないし。 でも考えてみれば、助けを求めている人と、救いを求めている人と、どちらもいるような気がします。 私は、かつて人に助けられたから、自分も人を助けたいと思うけど、人を救いたいと思っている人も必要ですよね。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 救うということは導くということだと私は思います。 なので方法論はなるべく言わないようにしているのですが、彼らにしてみればそれではご利益とはいえないとなるのでしょう。
- isoken
- ベストアンサー率32% (596/1825)
>気分はもうお釈迦様 齢50を越えた私ですが、物欲・性欲(かなり弱くはなりましたが)・名誉欲他、困った事にいまだ煩悩の塊りで、質問者様の如き神仏の境地に達する事が出来るのは、いつになる事やら。 生まれてこの方幾多の苦難を自力で何とか切り抜け、いまだかつて精神世界に救済を求めた事はありませんが、いつかは蜘蛛の糸に縋るのでしょうね、それにしても「気分はもうお釈迦様」ですか、あやかりたいものです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 言うだけタダですから、言った者勝ちなのです。 私にも煩悩はまだまだあるのですが、足るを知るという基本は忘れないようにしようと思っています。 今は不景気だからちょうどいいですね。
- aoichidama
- ベストアンサー率28% (137/484)
お釈迦様気分で、『教えてあげる』のでは 誰も聞きたくはないと思います。 悩みを抱える人は、自慢話を聞いても癒されないと思います。 お釈迦様は増上慢を戒めておられます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、増上慢ですか。 彼らは私のそれを見透かしているのでしょうか。 しかしそうだとしたら案外彼らも余裕がありますよね。 自分を救ってくれる人を選ぼうというわけですから。 >でも、私は自分のことを指摘されたいのではなく、何か良い方法があれば、 >教えていただきたかっただけなのです。 そうそうこれこれ、 彼らのお決まりのセリフ「方法を教えてください」「どうすればいいですか」です。 私は方法などないと言っているのですが、ならば助けにはならぬとそれっきり聞く耳持たずなのです。 自分が変わろうとせずに方法論を言えというのですから度し難いです。
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
私はかつて、困難な状況を乗り越えられずに苦しんでいた時に、それまでほとんど関わりもなかった人が突然現れて、助けを求めて手当たり次第差し出した私の手を、しっかり掴んで引き上げてもらったことがあります。 今にして思えば、その頃の私の頭上にも、蜘蛛の糸はたれていたように思いますが、見えてはいませんでしたよね・・・。 今現在、苦しみもがいている人は、他人がどうやって困難を乗り越え、幸せを掴んだかを知って、自分に活かす余裕はないので、どんなに価値ある経験談も、役に立たなかったりします。 高いところから蜘蛛の糸をたらすより、その人のいるところまで下りて行って、その人が抱えている問題を、具体的に解決する知恵や力を与えることが、人を助けることなんじゃないかなと私は思いますが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おれの気持ちがお前に分かるかと言う人は、確かにここにきて同じ目に会ってみろと言うのでしょうが、お釈迦さまが地獄に降りて行くわけにはいかないのです。 私は助けるのではなく、救いたいと思うのです。
>私は今まで通り気が向いたときに蜘蛛の糸をたらせばよいでしょうか。 ↑ ↑ ↑ 『誰も耳を貸さない』のでしょう?。 余計なコト、しない方がいいと思います。 どうぞ、ご自由に「ォシャカシャマ気分」でいて下さい。 http://www.youtube.com/watch?v=7MaF-bWeLGw
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、せっかくなのでそうさせていただこうかと思っていたところです。 極楽はもう夜でございます。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですか。 気分的には若い連中をと思っていましたが、そうですねお年寄りをというのも考えようによってはありですね。