※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:蜘蛛の糸)
極楽の蓮池と地獄の底、釈尊のあり様とは
このQ&Aのポイント
ある日、極楽の蓮池で歩いていた釈尊は、池の下に広がる地獄の底を見ていると、そこにいるカン陀多や亡者たちの姿が目に入った。
釈尊と地獄の底で苦しむ者たちとの心の向き合いについて考えてみる。
極楽で歩き回る釈尊と地獄で苦しむ者たちとの比較について、善なる存在や至高を望めない存在がいるならば、釈尊を上回るのではないかという疑問を持つ。
ある日の事でございます。御釈迦様極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。
池の中に咲いている蓮はすの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色きんいろの蕊ずいからは、何とも云えない好よい匂においが、絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、水の面おもてを蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。するとその地獄の底に、カン陀多と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。
極楽で無為とは言わぬまでもそぞろ歩いている釈尊と、池の下の地獄でもがいているカン陀多や亡者たちとどちらに心を寄せますか?
或は釈尊のあり様をご批判なさいませんか?
善なる存在や至高を望めないで蠢いていなければならない、でもこの中津豊芦原での精進奉仕に心を砕く存在こそが、極楽でそぞろ歩きする釈尊を上回ると思いませんか?
ちなみに二度の戦災で70年住むこの地は将軍の御狩場で一面の蓮池が何面もありました。
小学生の頃、この蓮池の生物を獲るために入って歩き回ると蓮の熊さんに叱られました。
蓮根を折ってしまうからです。
蓮の花も親しみ、その実もそのまま口に入れて遊びました。
蓮の花が香るってあまり知りません。香りませんよ。芥川龍之介ですか?
蓮の花をあまり知らないようですね。
お礼
登山家、大学教授の宗○○紀君に似ているな。 うぅんそういう面もありますよね。