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江戸時代、口入れ屋のまとめ役の呼称について

江戸時代、例えば町の口入れ屋のまとめ役・代表を「商人総代」という呼称で表現してもいいものでしょうか。適切な言葉(呼称)がありましたらお教えください。宜しくお願いします。

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回答No.1

>町の口入れ屋のまとめ役・代表を「商人総代」という呼称で表現してもいいものでしょうか。 口入屋というのは一種の業種です。 他の業種と比べても商人を代表するような業種ではありません。 米問屋・炭問屋・綿問屋・木綿問屋・油問屋など取り扱い商品によって多数の業界がありました。 一業界の代表者をもって「商人総代」とするのは無理があります。 更に当時の商人を取り仕切っていたのは町名主です。 江戸の街ではこの町名主の最高位に江戸町年寄りというのがあり樽屋,奈良屋,喜多村の3家が世襲していました。 大阪では惣年寄と呼ばれ江戸とは異なり選挙で選ばれていました。 口入屋は江戸で人宿と呼ばれ13の組合で結成されていました。 組合は一般に株仲間と呼ばれていました。 株仲間には行事 (または行司) ,年寄,年番,取締などと称する役員がおかれていました。 >適切な言葉(呼称)がありましたらお教えください 株仲間の役員からすれば「惣行事」ということになるかと思いますがどの業種にもありますので人宿株仲間の惣行事という長たらしい呼称になるかとおもいます。

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  • 4017B
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回答No.2

江戸時代だと町人の中で富裕層が集まって組織した "町会所(まちかいしょ)" と呼ばれる現代で言う所の商工会議所みたいな組織が置かれて、そこに町の名士と目される人物らが参加して互いに商売の情報交換や商売上のルールの取り決め等を行いました。 これらの会所のメンバーは "町役人(まちやくにん)" と呼ばれ身分や役割はその会所が置かれた地域(藩)によって大きく異なります。江戸では "町名主(まちなぬし)" などとも呼ばれ、奉行所から下々に達せられる御触書の内容を町人たちに伝える役割を担っていました。 この会所の代表者の事を "町代(まちだい)" と呼ぶ事がありましたが、この呼称も決まったモノでは無く、また時代や地域によっても様々な呼び名がありました(検断、名主、町年寄~等々)。メンバーの選出方法や任期などもまちまちで、選挙で選ばれる事もあれば世襲制で受け継がれる場合もありました。 江戸時代の初期の頃(1630年くらいまで)はこの町代や町年寄は大変な力を持っており、徳川将軍家とも直に面会出来るほどの権力と影響力がありましたが。時代が下るに連れて町人と武家との身分格差を厳格に分ける様に幕府が市政を行っていったため、その力関係は徐々に変わって行きました。

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