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江戸時代の町の統治について
江戸時代に、少数の旗本・御家人で江戸の町を統治可能だった要因は、当時の町と現在の町のあり方の違いをふまえると、どのようになるのでしょうか? また、このことの参考になる本があれば、お教えください。
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江戸時代、幕府は「君臨すれど統治せず」というような立場でした。 江戸は自治にまかせ、無税でしたがその代わり町費用という私設税のようなもので費用を賄っていました。 大川の橋の工事、修繕費などは関連町の負担ですし、町毎の木戸番、火消しの費用も町の負担でした。 夜回りのような自警団の維持費、町の清掃も町の負担で幕府、町奉行所は関知しませんでした。 町費用は裕福な金持ち、表とうりに店を持つ商人の寄付が殆どで庶民は保険も貯金もなしで生活出来ました。 水道も無料で、上水道が人口増加で不足になると幕府が新しい水路を新設しますがこれも金持ちが負担してするケースがありました。
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- mouryou
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江戸時代の江戸の行政庁は町奉行だけです。役割としては都庁と警視庁と地方裁判所と地方検察庁をかねるくらいのものですから、100万都市といわれる江戸を南北町奉行数百人程度でで統治できるわけもありません。そのため自治機構を利用しました。通常の町人であれば町年寄りや町名主(http://www.viva-edo.com/jiti.html)といった人たちにおふれを出してそれに従わせるという形をとります。これらの町名主の権限は非常に強く綱吉の時代には制限をかける法令を出さなければならなかったようです。また職能集団の自治もありましたが割と行政庁以外にアウトソーシングされて運営されたと考えればわかりやすいと思われます。 旗本は知行地の管理をしているので江戸の統治には殆どかかわり合いはないです。町奉行になれば話は別ですが。また与力(一応御家人扱いされていたようですが)・同心は軍制にはいらないいわゆる在任を扱う不浄役人とされていたので旗本・御家人とは一線を画します。特に同心は一代限り(実質世襲)のおかかえと言うことになっています。 参考文献としては「黄門様と犬公方」が当時の役人と町人の関係が良く分かるかと思われます。また弾左右衛門や車善七などで調べられると職能集団の自治についてもおわかりになるかと思われます。
お礼
町年寄りや町名主を利用して、江戸の町を統治するなど幕府もすごいですね。 とても丁寧でわかりやすい回答をして下さり、ありがとうございます。 たいへん助かりました。 また、参考文献についても回答してくださりありがとうございます。
- zenkiti
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斬り捨て御免。いまやったら大問題。
お礼
そうだったのですか。 幕府は、民衆の支配はしていたけれど、統治はしていなっかたのですね。 参考になりました。ありがとうございます。