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価値の哲学 ポルフュリオスの樹
お世話になります。 タイトルの「ポルフュリオスの樹」良く判らないのですが、植物や動物の系統図を、言葉や概念に適用したのではと想像しています。具体的には、桜→樹→植物→生物、といった感じで、特殊から普遍へ系統図が作れるかもしれません。(逆も可能です) 日本語において、一つの「ポルフュリオスの樹」が成立するかどうか?頂点にどんな言葉がくるか? もし、一つの「ポルフュリオスの樹」が成立した場合「価値」の上下左右にどんな言葉がくるのでしょう? 質問が多く煩雑ですので、整理します。 1)「ポルフュリオスの樹」は私の想像するような系統図でしょうか。 2)日本語で一つの「ポルフュリオスの樹」が成立するでしょうか。 3)「ポルフュリオスの樹」が成立した場合、「価値」と言う言葉の位置付けはどうなるでしょう。 どれか一つでもご存知の方かいましたら、お教えください。
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1、大体そんな感じだと思いますが。たとえば生物は可感的であれば動物、 無感的であれば植物、という感じで分けられていきます。概念の類と種の関係を最高類から個体 まで種差によって関係付けたものがポルフュリオスの木です。 2、「日本語で一つの~云々」という意味が分かりません。まずなぜ日本語限定 なのですか?それと頂点にどんな言葉がくるかは(なにを最高類とするかは) 動物学だったら動物ですし、植物学だったら植物というように相対的ですので。 3、2でいったとおり、「価値が~」というのは質問の設定がテキトーすぎて答えかねますね。 質問者さんはカントをやってるみたいなので量、質、関係、様相の四つの分類に それぞれ3つづつ計12のカテゴリーをカントが示したことはご存知だと思います。 これはもともとカントが「アリストテレスは原理を持たなかったので範疇を手当たり 次第に断片的にかき集めたに過ぎない」という批判から作ったもので、その アリストテレスの分類を十分意識して作られたポルフュリオスの木は3世紀ごろの 科学水準に依っています。もともと出自からして二分法による価値裁定ですので 「価値」がどうこうできるようなものかどうかはちょっと疑問だと思うのですが。 なぜポルフュリオスの木なのですか?
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個人的な感想ですが、ポルフュリオスの樹木については、言語を限定することは正しいと思います。ご存知という観点では、寡聞にして知りません。 1) ポルフュリオスの樹木については、元々は、世界背後仮説的な、現象の背後に理想的な実体があるとする、西欧古典近代的な合理主義的思想があるように思います。この点では、科学史/科学哲学が役に立つように思います。 2) 成立すると思います。幅ががあるでしょうが、言語が個人の思考を制御してしまうことを考えると、コミュニティにおいて成立すると思います。ポルフュリオスの樹形図の日本語における可能性と限界を考えてみるのは、面白い仕事だと思います。この観点で、時代的な言語の変遷を辿ってみるのは、ありな仕事だと思います。例えば、王朝女流文学と現代語の比較論考はものすごく読んでみたいと思います。 3) 「価値」という単語は、当該言語の最上位に仮想化された、実体から最も遠く離れた単語だと思います。下層が上位層を規定するにせよ、上位層が下層を覆い隠すことは、常にあることです。それが仮想化ということであるのだし。 ポルフュリオスの木から辿る場合、その文化圏の言語の樹木を、とりあえず完成させることの一つの目標になると思います。 「価値」は現代日本語では何に当たるでしょうか。性差とか、政治形態とか、傍証を重ねなければ到達できないと思いますが、何かな。 すごく興味深いので、是非フィードバックください。よろしくお願いします。
お礼
ご回答有難うございます。 言葉の歴史的変化も面白そうですね、源氏物語など訳さないと読めませんから、私から言えば日本語でないことになってしまいます(馬鹿なんです。 価値という言葉に関心があるのですが、 哲学の定番で、「真・善・美」と言うのが有りますが、善・美は、価値の範囲に入りそうですが、真は入らないような気がしたり、使用価値とか交換価値とかが、独立した概念と言うのでしょうか、この「言葉の樹」に概念として位置を占めれるのか、疑問の多いところです。 デカルトさんの、我思う(思惟)我在り(存在)これも樹形図にできるでしょうかね。 >「価値」は現代日本語では何に当たるでしょうか。性差とか、政治形態とか、傍証を重ねなければ到達できないと思いますが、何かな 此処のところが、良く理解できないのですが、時間があればですが、チョッとお知らせください。 有難うございます。
お礼
ご回答有難うございます。 1)での私の想像が大体合っているとの事ですが、その後のご回答から判断すると、私の想像する物はポルフュリオスの木とは少し違うようです。 日本語は論理的な言語ではないようですが、どちらにしろ、言語を通じて世界を表現するわけですから、言語は世界に対応するはずです。客観的世界が一つなら、言語の系統も「一つの系統図」が作れるのではと想像したわけです。 類やカテゴリーが頂点に来るのですか、私は、概念=言語と考えていて、動物・植物といった概念の上に生命・非生命さらには有機物とか・・・最後は、存在・非存在といった世界を二分する言葉が来るのか、「ある」という一つの言葉が来るのか、等と、あれこれ想像していたのです。 そんなわけで、この方法で「価値」と言う言葉の周辺を探れないかと考えたのですが、難しそうですね。 ポルフュリオスの木を少し誤解していたことが判りました。有難うございます。