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爺と孫

もうすぐ2歳になる孫(女の子)がいます。可愛くてどうにもなりません。(*^_^*)m(_ _)m そんなことはさておき、日本史の中で、「爺と孫という、間に一つ世代を置いた関係で、こんなこともありましたよ。」というような逸話があれば教えて下さい。 何でもかまいません。 「あまり可愛がりすぎても駄目ですよ」というようなアドバイス的なご回答を期待しているわけではありませんが、そのようなご回答も歓迎いたします。(>_<)

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  • eroero4649
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回答No.1

有名なのは徳川家康と三代将軍家光の関係でしょうね。 家光は幼少の頃は病弱で吃音もあったらしく、父の秀忠は三代将軍を弟の忠長に推していたという話があります。けれども家康が「いやオメエ、長男が家を継ぐのが順番だろうがよ」といったのが効いて家光が将軍になれたともいいます。 この話が本当のことかどうかは完全には裏付けられてはいないのですが、家光は生涯において祖父家康が祀られる日光に都合10回も行ってるのですから(もちろん歴代将軍最多で飛び抜けて数が多いです)、並々ならぬお爺ちゃん子だったといえるでしょうね。とはいえ将軍が日光に1回行くと10万両の経費がかかったともいわれるので国家財政には優しくないですね。 しかしながら家光がこれだけ数多く日光に行ったので街道が整備され、各地で支払いとしてお金を払いまくったので通貨が国内に広く出回ることにもなり、これが後の元禄バブルの礎にもなりました。いわゆる「公共事業による経済活性化」ってやつですね。 家康と家光はまあほっこりエピソードといえなくもないですが、歴史においてはそんな話は少数派です。 幕末の薩摩藩主、島津斉彬の名前はご存知だと思いますが、斉彬の曾祖父が蘭癖大名として知られる島津重豪でした。重豪は聡明(つまり自由な発想ができる)斉彬をことのほか可愛がったとあり、斉彬が開明的だったのは重豪の影響も結構あったと思うのですが、しかし重豪じいちゃんは非常に金遣いが荒くかつ専制君主でもあったので重豪の子、斉宣や孫にあたる斉興は重豪じいちゃんが大嫌い。斉彬の父、斉興は斉彬が重豪に可愛がられるのが面白くないので弟の久光に後を継がせようとしてこれが「お由良騒動」と呼ばれるお家騒動に発展します。西郷隆盛が徳之島などに流されちゃったのはこのせいです。まあ島津家って戦国時代から年がら年中お家騒動してるんですけどね。 面白いのは、残されている島津斉興の肖像画って、机に肘をついて気難しい顔をしているものなんですよ。なんでその場面を描かせたのか。余程いろいろと不満がある人生だったのでしょうね・笑。 「お爺ちゃんが世次はこれといったもんだから話がややこしくなってお家騒動になった」なんてのは戦国時代に限らず割とまま世界中あちこちにあるものです。 まあ歴史というのは乱暴にいえば「権力を巡る殺し合いの記録」ですからね。

noname#238475
質問者

お礼

いつも、興味深いお話しをありがとうございます。 10万両というのがどのくらいの価値のものか知りませんが、街道筋の期待は大きかったでしょうね。 「いやオメエ、長男が家を継ぐのが順番だろうがよ」……お家騒動を防ぐ家康の遺言だったのですかねぇ。だとしたら、やはり家康は偉大ですねぇ。 島津家って戦国時代から年がら年中お家騒動してるんですけどね。……日本の最南端で、何をやっていたのか分からないところがありますが、そのエネルギーが幕末維新を動かしたのですかねぇ。(*^_^*) 島津斉興の肖像画って、机に肘をついて気難しい顔をしているものなんですよ。……肖像画って、自らポーズをとって描かせるものですよね。どんな心境だったのでしょう。「考える人」の日本版っていうところですか。(*^_^*) まぁ、私の家は世次でもめるほどの名家でもありませんので、その点は心配していませんが、私情を挟んだような訳の分からない質問だったので、これで締め切ります。 今週、送れるOKチップが3枚残っていますので、使い果たしてしまいます。

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