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複数形につく定冠詞について

独作文の本にて。 「鳥」や「鐘」などの名詞が主語のときは定冠詞+複数形 しかし「子ども」だけは定冠詞がついていません。 これは何かの規則にしたがっているのでしょうか? よろしくお願いします。

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回答No.1

この質問は原則的には回答不可能です。 ドイツ語で、いつ冠詞がついていつつかないか、というのは簡単な問題ではなく、 いくつかの規則だけでまとめられるものではありません。 ついている場合もついていない場合も、何らかの理由はありますが、 全く同じ文脈でも、ついている場合とついていない場合があります。 実際の出題文と解答文を見ないと単なる推測しかできませんが、 不特定多数のものを表す時は冠詞がつかないので、 「子供たち」 Kinder は、具体的にどこの誰と特定される子供たちを指すのではなく、 漠然と「子供たち全般」を指しているとも考えられます。 「鳥」や「鐘」にしても同じことは言えるのですが、 鳥が実際に目に見えている状態なら、いまそこに見えている鳥、 ということで die Vögel と特定された形で書くかもしれませんし、 今いる場所の周囲に教会があって、その鐘が鳴って聞こえているなら、 それは漠然とした鐘ではなく、特定の鐘なので定冠詞はつくでしょう。 これらの判断は、描写されている状況を文の内容、 前後の文を含む文脈から読み取らないと理解できないので、 どの名詞の場合は定冠詞がつくとか、 どういう文型の場合はつくとかというような説明はできません。 Kinder gehen in die Schule. Die Kinder gehen in die Schule. どちらも「子供たちは学校へ行く」という意味で、 冠詞がある文もない文も正しいです。 冠詞がない方の文は、「誰の子供」「どこの子供」と特定されず、 言ってみれば、「子供(というもの)は学校へ行く」に近いニュアンスです。 定冠詞がつくのは、たとえばその前に会話があって、 「自分たちの子供」などのように、すでに特定されているような場合です。 しかし、不特定多数の子供たちを指す場合でも、 文脈によっては定冠詞が付きます。 文法というより文体の問題も出てくるので、 そこまで解説している文法書もまずなく、 経験を積む中でだんだん理解していくよりほかないというところもあります。 Warum fliegen Vögel oft so dicht über der Wasseroberfläche? なぜ鳥はしばしば水面ギリギリの高さで飛ぶのか? この場合は鳥に定冠詞はつきません。 特定の鳥を指しておらず、「鳥というもの全体」を指しているからです。 しかし、上の文章にしても、その前にすでに鳥についていろいろ書いていて、 あらためて「ではなぜ」と切り出すときなどに、 定冠詞がつくということは考えられます。 独作文の問題なら、短文一つだけだろうと思うので、 出題の日本語文を普通に読んだ場合、どういう状況が考えられるか、 ということで決まると思います。

noname#239538
質問者

お礼

「というもの」や「というもの全体」に定冠詞がつかないのは、とても納得しました。これを踏まえると…たとえば「バラが咲く」という文があるのですが、この一文だけを普通に読むだけなら、たぶん…定冠詞が必要ですね? 一方、子どもの方はちょっと難しいです。使い分けがややこしいことは、ごすでにご指摘されていますが…。子どもが主語の文は日本語訳が、(今のところ)子ども「は」でなく子ども「が」ばかりなのです(「子どもが遊ぶ」「子どもが校庭で遊ぶ」など)。日本語を普通に読むなら、例に挙げてくださったような感じ(…というもの)ではなさそうです。 ただ、今は深く考えすぎず、漠然と知らない子たちを指しているのだ程度で受け取っておこうかなと思います。独作文といっても、おっしゃる通り短文(というか一文)のものですから。

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回答No.2

下の質問ですが、 https://okwave.jp/qa/q9498939.html 先ほど回答を書きかけたのですが、 途中で出かける用事があって遅れたいた間に締め切られました。 こちらに書きます。 ~~~~~~~~~~~~~~ 初歩のうちは、とりあえず慣用表現として覚えてしまう方がよいのかもしれませんが、 基本的なことはやはりおさえておいた方がよいでしょう。 ganz が入ることで「~中」の意味になるというわけではありません。 これは、日本語に訳す時に「~中」とすることが多いので誤解するのかもしれませんが、 「丸一日」とも訳せます。halb でも同じことです。 Wir mussten den halben Tag warten. 私たちは、半日(もの間)待たなければならなかった。 また、定冠詞がつくのか不定冠詞がつくのかということと、 なぜ4格かということも、別個の文法、語法として理解しなければなりません。 まず、名詞の4格には、「副詞としての機能」があります。 つまり、「定冠詞+ganz+名詞」の形に限るものではなく、 もっと広範囲に渡る一般的な文法なので、 それを把握していなければなりません。 Ich gehe jeden Tag zum Einkaufen. 私は毎日買い物に行きます。 Wir machen nächsten Sonntag ein Picknick. 私たちは、今度の日曜日にピクニックへ行きます。 最初の文の jeden Tag(毎日)は4格で、 動詞 gehen(行く)を修飾する「副詞句」です。 2番目の文の nächsten Sonntag(次の日曜日)も4格で、 動詞 machen(する)を修飾する「副詞句」です。 これが「副詞としての名詞4格の用法」です。 den ganzen Tag や die ganze Nacht が4格なのも同じ理由です。 ですので、下の二つの文の中の den ganzen Tag は、 それぞれ文法的に機能が異なっていることを理解してください。 Ich habe den ganzen Tag gebraucht, um alles zu erledigen. すべてのことをやり終えるのに、丸一日を必要とした。 Ich musste den ganzen Tag arbeiten, um alles zu erledigen. すべてのことをやり終えるために、丸一日働かなければならなかった。 最初の文の den ganzen Tag は、 brauchen(必要とする)という他動詞の「直接目的語」で、 名詞としての4格です。 次の文の den ganzen Tag は、同じ4格でも目的語としての名詞ではなく、 動詞 arbeiten を「修飾する」副詞です。 少し難しい例ですが、 Wir gehen die Treppe hinauf. 私たちは階段を上っていく。 この文の場合、hinaufgehen は他動詞ではなく自動詞なので、 日本語訳では「階段を上る」となりますが、 die Treppen という4格は、hinaufgehen の「目的語」ではなく、 「副詞句」なのです。 冠詞の問題は別で、4格の副詞的用法に定冠詞が必要ということではありません。 ここから先は、少し余計な解説になりますが、 たとえば上の文は、単純に「階段を上っていく」という表現で、 「一般的な階段というもの」を表すので定冠詞がついています。 これが、何らかの特徴のある階段の説明が入ると、不定冠詞になります。 Wir gehen eine steile Treppe hinauf. 私たちは、(ある)急な階段を上っていく。 ただしこれも、長い文の中で、「急な階段」がすでに前の方に出てきて紹介されていれば、 die steile Treppe になります。 また、den ganzen Tag や die ganze Nacht のような定冠詞が付いた形は、 特に強調的な意味もなく、普通に「丸一日」「一晩中」という場合の言い方ですが、 「一日」「一晩」という長さの方が重要なら、 数詞としての ein ということで、einen ganzen Tag、eine ganze Nacht という場合もあります。 下の二つの文の中の die/eine ganze Nacht も副詞的4格です。 Ich war die ganze Nacht wach. 私は一晩中目が覚めていた。(単純な事実) Man muss die Bohnen eine ganze Nacht einweichen. 豆は一晩のあいだ水に漬けてふやかさなければいけない。(期間) 混乱しないかどうか心配ですが、いま説明した冠詞の違いは、 副詞的4格とは別の問題で、すべての格で同じことが起こります。

noname#239538
質問者

お礼

わざわざ、ありがとうございます。 私が確認したいくつかの例すべてに定冠詞がついていたので、定冠詞とセットかと勘違いしかけておりました。ご指摘ありがとうございます。 定冠詞と不定冠詞の使い分けは難しいですね。今の私だとTreppe の二文は冠詞を逆に使ってしまいそうですし…最後のganze Nachtの二文の使い分けも理解に時間を要しそうです。

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