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先祖以外を拝むことについて
宗教関係の方にお伺い致します。私は毎日、亡くなったご先祖様以外にも、国家の為に尊い生命を犠牲にされた英霊をはじめ、その他諸々の人々にも手を合わせているのですが、とある神職の方から、さわらぬ神に祟りなしというように、あまり関係ない人を拝むと、思わぬ障害が生じることがあるから、止めておいた方がよい、とアドバイスを受けました。このことについていかが思われるでしょうか?
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神様が祟るのは、人が、その神様が気に入らないことをやらかしたときです。 例えば、菅原道真公は、太宰府に流されて、死後「雷神」になり、流した藤原氏に祟りました。また、讃岐に流された崇徳院は日本一の怨霊となり、日本(皇室?)に祟りました。 今風に言うと、いじめると、後日、祟られることになりますが、しかし、古来、正しく拝まれて、拝んだ人に祟ったケースはありません。 いにしえの人たちも、それを知っているので、雷鳴が轟くと、「くわばらくわばら」と唱えて手を合わせ、雷神に「自分たちは道真公を流した藤原ではなく、桑原(菅原家重代の領地)の住人である。雷を落とさないで」と訴えました。 さらに言えば、すさまじい祟りをした神様ほど、キチンと祀ると、その威力は絶大、霊験はあらたか、ということになっています。 菅原公は、天神様として各地の「天満宮」で祀られ、以後こん日に到るまで、参拝者に学問成就の御利益を授けていらっしゃいます。 また、日本の神々は、神無月になると出雲の杵築神社(出雲大社)に集まって、さまざま談合をなさるほどの間柄です。 どうして、質問者さんが拝んだからと言って、質問者さんに祟ることがありましょうや。 とんだ神職、失職、です。
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神道がいかにいい加減な教えかが、解ります。私は仏教者で神道は一切信じません。それは「あらゆる神々は、正しい仏様の臣下の立場であり、その仏様を信じる衆生を護り、助ける事が神々の役目であります。主(王)である仏法を蔑にして、家臣(従)である神々を崇める事は謀反であり、従としての神のみを信仰する事は本末転倒であり、何の利益にもつながりません。それと、「神の祟り」⇒「思わぬ障害?」人間の幸不幸の原因が神の祟り?その原因を自分自身以外のものに転嫁する姿勢は、この科学の時代にマッチしない偏頗な考え方で、我々仏教者も「先祖供養」以外に8月になれば「戦没者の英霊」また先日は「東日本大震災の犠牲者」に対して供養もしています。このサイトでも「神社からお守りを買って来たが御利益が無い」とか書かれています。自分の運命は自分が切り開いて行く、お守りが幸せを運んでくれる訳ではありません。
お礼
なるほど。そのような考え方もありましたか。私も英霊には、できるだけ手を合わせたいですね。なお、私にアドバイスした神職の方は、あくまでも彼個人の考えであり、神職一般の方の考えではない、ということだけ付け足しておきたいと思います。ありがとうございました。
お礼
そうですか。実は、英霊以外にも世の中のお役に立った方達などにも手を合わせているのですが、皆さんのご意見を参考にさせていただき、続行することにしました。ありがとうございました。