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靖国神社はおかしい

靖国が再びクローズアップされていますね。 この際なので、普段から思っていた疑問をぶつけてみますね。 はじめに私の意見ですが、結論を言うと、『靖国神社はおかしい。神に対しての冒涜である』というのが、私の意見です。 色々と調べましたが、要約すると、戦没者の英霊を神として祀っている訳ですよね? でも、それってかなりおかしいですよね。 神様は神様。 どんなに偉くても世のためになった方でも、それが時の為政者であろうが、皇族であろうが、人間は人間です。神には成りえない。 それは、人間が絶対に踏み込んではならない領域だと思います。 人間は、神になれないし、なってもいけない。 それは、絶対に許されない。 ってか、そもそも、英霊の立場に立ったら、非常に良い迷惑です。 神でもないのに神として祀られている。 あの世で立つ瀬が無いでしょう。 だから?戦没者系は生霊が多いんだよ。 英霊の魂に対し安らかに眠ってもらいたいのであれば、それ様の施設を作れば良いだけ。 英霊に安らかに成仏してもらいたいのであれば、別に神社である必要性は全く無い。 むしろ、千鳥が淵のように、戦没者のお墓を作ってあげて、静かに静かに眠ってもらえば良いのだ。 で、皆がきちんと手を合わせて、英霊のお墓の前で、感謝の気持ちを述べれば良いだけの話。 それが何よりの供養になる。 靖国は特別で神社庁に属さないだとか、人間を祀っている神社は他にあるだとか、そんな事ではなくて、人間を神として祀るのは、神に対して失礼だ。というスタンスです。 ちなみに、私は思いっきり右派ですが、この件に関しては、大陸の人間のいう事が正しいとは思わない。(奴等は外交カードとして靖国というワードを使い、嫌がらせをしているだけ) が、日本人が正しい事をしているとも到底思えないのです。 それは、繰り返しますが、人間を神として祀っているからです。 皆様はこの根本的な部分の解釈を、どの様にお考えですか? 皆様のお考えをお聞かせ下さい。 ちなみに、神職の方はおられますでしょうか? もしくは、神道、仏道の方。 そうではなくても、開いている方。 出来れば、神職の方の意見がお聞きしたいです。 PS:思いっきり右か左に寄ってる人は絡んで来ないで下さいね。 宜しくお願いします。

みんなの回答

回答No.29

日本は宗教的には仏教国だけど、民間信仰が強くて多神教状態というか。靖国は明治期につくってるし、武運を祈るとかそういう意味が強かったんじゃないのかな。あるいは、戦死して仮に骨は各々の生地の墓に収められてもその英霊が集う共通の場所が必要というかさ。墓地が村の共同施設だとすると、じゃあ兵士軍人としての共同施設はどこか、って。そういう職業別の慰霊施設というのが必要で、また武運を神に祈る場が必要だったと。 仏壇だって、親族先祖は墓場に眠ってるのに家の中に拝むべき場所が別にある。これは、考えると墓地とは違うあの世とつながる屋内の出張所みたいな施設というかさ。神棚は神棚で、これまた別にあって塩を供え水を変え、昔ならもっといろんな部屋に神棚があったりしたようでもあるし。水の神様とか火の神様とか。。。農村になると、田の神様とか、山にいけば山の神様とか。大事なときには塩をまいたり、お供えものしたりと神々に祈りを捧げていたというか。それこそ八百万の神様状態で、何にでも神様がいると考えるというかね。何にでも神の表れを感じるというか、そう考えていたというか。 神道はそういう土着の素朴な信仰と混ざったものが本来の姿だったんじゃないかな。そういう素朴な信仰が天皇家と混ざり合ったりして天皇家の権威を高め、神聖視されたりもしたと。だから、天皇家と神道が密接になってしまっったり、また明治の国づくりで天皇を中心とした国づくりをしたときにその権威や神聖性を利用せざるえなかったとかさ。 細かく教義とか言い始めると、それは整合性の問題になるんだろうけど、それほど整合性を問題視するほど、厳密な宗教は日本にあるのかどうか。日本は仏教や土着信仰や天皇家崇拝やそういったのが混然としながら歴史が進んできたというかさ。これらはもはや分離なんてできないだろうし。仏教も結局日本だけでもいろんな宗派があるわけだしね。仏も色々、神も色々、ご先祖様もいるし、いっぱい拝むべき存在が多すぎて、多神教状態。 だからシンプルに靖国神社というのは兵士軍人を祭る施設という理解がいいんじゃないかと。戦没者というよりもさ。兵士は同時に戦没者でもあるんだろうけど、戦没者は必ずしも兵士ではないんだしね。兵士と一般人も併せた戦没者はまた全国民戦没者として、中心施設は墓地もかねた千鳥が淵でいいんじゃないかと。兵士の辛苦や魂を鎮め、それに思いを馳せたり、これからの日本の武運を祈るなどは靖国神社で、これまでのすべての国民戦没者を慰霊するなら、千鳥が淵を中心で。こんな感じでどうかな。 A級戦犯だのというのは日本自身の問題でもないし、日本は日本で敗戦指導者の責任を歴史的に追及してけばいいだけで。敗戦指導者がどんな死後の扱いを受けるべきかという問題は確かにあるんだろうけどね。ただ何せ、日本人自身がどんな展開で敗戦に至ったかの経緯を把握し切れてないんだろうから、それまでは現状を継続してくのがいいんでないの。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.28

 菅原道真に代表される神があります。これは荒ぶる状態を鎮めるためになので、御願いするというより、大人しくしていて下さいという事らしいです。  英霊でもありますが、恨みや憎しみなど持ったまま亡くなっています。その心を鎮めて下さいということですから、神様御願いしますではなく、ありがとうございます。という感謝の言葉がふさわしいのでしょう。  最近の神社などでパワースポット巡りなどもありますが、その中で神社での考え方もよく持ち出されてきています。そこで、御願いしますではなく、感謝の意を伝えることのようです。自分勝手な願いではなく、全ての物に対しての感謝とかそういった心が大切のようです。  神に対する考え方の違いもあるので、トラブルにもなりやすいですが。  ご神体も面白いですよ、山だったり、木だったり、自然その物が神なんですよね。

  • pringlez
  • ベストアンサー率36% (598/1630)
回答No.27

>人間を神として祀るのは、神に対して失礼だ。というスタンスです。 そう思う人がいてもいいとは思います。逆に人間を神として祀る人がいてもいいと思います。 仏教だろうと神道だろうとキリスト教だろうとイスラム教だろうと、創価学会だろうと統一教会だろうとオウムだろうと、好きなものを自由に信仰すればいいと思います。 信仰は人の自由。基本的人権。人がどう思おうとそれを侵害するようなことはしてはいけません。 あなたは自分と意見が異なる人の考えを認めることができな人なのでしょうか?だとしたら、もう少し受け入れられるようになったほうがいいのではないかと思います。 「英霊の立場に立ったら、非常に良い迷惑です」これは間違ってます。「戦死したら靖国に神として祀ってもらえる」というのは当時のルールであり、本人や家族にとっては戦争に行く前からわかっていた事ですから、いまさらそれが迷惑というのはまずありえないことです。 靖国に祀られた家は、近所から敬われるようになったりするので、靖国に祀ってもらいたいと思って戦争に行く人も少なくありませんでした。 今考えれば馬鹿みたいな価値観かもしれません。同じ意見になるべきとは思いませんが、「ふーん、そういう考えもあるのか」くらいに思えるようになるといいと思います。

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.25

>人間です。神には成りえない。 これは、もともとキリスト教が「神」という言葉を誤訳で 使ったせいだという話を読んだことがあります。 神道の神というのは、単なる超人という意味で The Godという意味ではないそうです。

noname#185504
noname#185504
回答No.23

靖国には、骨は一本もありませんからね。靖国は、虎の威を借るキツネです。名前だけ集めて、さも権威あらん、としているのです。詐欺師が、さも有名人と知り合いだと有名人の名を挙げるのと同じです。繰り返しますが、靖国には、骨は一本もありません。つまり、死者や遺族の意思は、全く関係ないという事です。

  • aho0xff
  • ベストアンサー率12% (218/1771)
回答No.21

>人間を神として祀っているからです。 結構あるんじゃない?そういう例は。特に日本と中国は多かった気が・・・・ 源義経しかり、関羽しかり、下手すりゃキリスト、ブッタだって、資料が資料だから 信憑性はともかくそういう元ネタになった人は実在していた可能性高いんじゃない? 何も、ゼウスだとか釈迦だとかみたいに空想(事実は知らないですけどね)っぽいものが 元ネタとは限らないでしょ。 そういうことですよね?聞きたいことは。 そういう死者を神として祀る行為自体は結構あったと思っているし、それ自体に なにか時代の基準(○○年から前じゃないと神様にしちゃ駄目)みたいな話があるわけでも ないはずですしね。 単に時代が近く、生前の記録が明確に残っているかいないかの違いだけじゃないの?って思ってます。

  • KappNets
  • ベストアンサー率27% (1557/5688)
回答No.20

「靖国神道」は「政教分離」に関する問題を含んでいると思われます。確かに信仰の自由が保障されている国ではあっても、靖国神社は明治以降の(いわゆる戦犯を含む)戦没者を神と崇めることを通して明治以降の近代日本の歩み全体を積極的に肯定しています。 靖国神社の説明では246万の英霊全員が日本の近代化を成し遂げた勇士であって、とくに太平洋戦争などを「国難」と捉え「国家のために命を捧げた人々の御霊」に感謝する姿にあるのは「日本」への想いだけであって、他国への思いやりや「反省」の気持ちなどはミジンも含まれません。 政治家とくに首相が「にわか信者」として(これ見よがしに)靖国神道を崇めるとすれば戦争の進め方を含めて明治以降の日本の歩み全体を肯定する姿に映るのは当然です。民族主義(ナショナリズム)を国民および近隣諸国に見せているわけです。 これが憲法が目指した「政治と靖国の分離」と言えるかとなると少し怪しい部分があるのです。大昔の日本なら他国に関わりなく国内の偉人を崇めるだけの宗教でよかったかも知れませんが、他国に迷惑もかけた歴史を踏まえると、宗教を隠れみのに民族主義(ナショナリズム)をあおる姿勢には問題があるのです。

  • ycan
  • ベストアンサー率22% (39/174)
回答No.19

確かにおかしいです。 靖国神社は戊辰戦争以来の官軍、日本軍戦死者をまつってあると言われていますが、まつってくれとは誰もお願いしていません。要は国が個人情報を靖国神社に渡して、まつってくれとしたのでしょう。本来ならば一宗教法人への、個人情報の重大な漏洩です。確かに戦前であれば、個人情報の漏洩などという考えはなかったと言えますが、戦後は問題でしょう。 また日本では昔から、英雄や、国に恨み持ちそうな死に方をした人を、神社を創建してまつる習慣があります。東郷神社、松陰神社、天満宮、南州神社・・・ときりがありません。これは日本人の宗教観であり仕方がないでしょう。こうした宗教観の延長に靖国神社があると言えますが、戦後については、靖国神社は一宗教法人であり、国が関与すべきものではないので、参拝をした、しないで世論をあおること自体が問題です。 マスメディアは政治家であろうとなかろうと、個人の参拝について、信教の自由を侵す恐れがあるため、報道するべきではないでしょう。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.18

> 皆様はこの根本的な部分の解釈を、どの様にお考えですか? 根本的な部分を解釈すれば、宗教とは価値観の一つに過ぎません。 従い「宗教観など人の数だけある」と言えるくらい、千差万別です。 あるいは、その価値観(宗教観)に共感する人が多ければ、その宗教は栄え、逆に少なければ廃れる。 それだけのコトですよ。 質問者さんが共感しないのは勝手だし、「おかしい」と言うのも自由です。 でも靖国神社が、何(誰)をどの様な形で祀るか?も、靖国側の自由であり、それに共感するのも自由です。 宗教なんてのはそんなモノです。 靖国神道は、かなり人工的に作られた宗教観でありながら、明治維新後の軍国主義化する中で、プロパガンダ的に国家神道的に位置付けられ、国民に信仰を強要した側面は持っています。 しかし、それでも現在に至るまで、靖国神社が信仰・崇拝の対象になり得ているのは、日本人の多くに共感が得られる宗教観も内包しているからです。 違う言い方をすれば、靖国神道は「日本古来の神道とは、やや異質/独特である」などとは言えますが、「靖国神道は間違っている」などとは、宗教学の権威でも言えないでしょう。 そもそも「これが正しい宗教」なんてのも、存在しません。 どの宗教が、どの程度の信仰を集めているか?と言う、結果や事実のみです。

  • kaxuma119
  • ベストアンサー率29% (108/363)
回答No.17

質問者が宗教法人靖国神社の教義や崇拝の対象について「おかしい」と思うことは自由ですが、それは靖国信徒に対して言うべきことではありません。宗教はもともと「おかしい」ものなんです。キリストが水の上を歩いたとか、モーゼが紅海の水を分けたとか、ムハンマドが月を二つに割ったとかアリエナイでしょ。崇拝の対象にしても、殺した敵の戦士だとか、儀式で殺した動物を神聖なものとする宗教もあるんです。 靖国神社の問題は、いち宗教法人に過ぎない、つまりアーレフや宇宙真理教や創価学会などと同じ資格しかない宗教法人を国家の戦死者慰霊施設として取り扱うことです。戦没者を慰霊するのは靖国神社だけに許されるわけじゃないんです。仏教とは法要で、キリスト教徒はミサで、アーレフや宇宙真理教や創価学会なども独自のやり方で慰霊すればいいのであり、国民もそれぞれの宗教観にしたがい私事としてやyればいいことなんです。靖国の教義に賛同するならそれもいいでしょう。しかし靖国に行かなくても、戦没者を慰霊し崇高の念をささげることは十分できるのです。国家レベルのものは武道館で行われる儀式です。天皇陛下をはじめ首相、最高裁長官、衆参議長が居並ぶ最高の国家儀式です。 宗教はきわめて個人的なものです。各自が独自の宗教的信念に従い行動することには誰もいちゃもんをつけてはなりません。しかし、その個人的宗教行為を政治的演出として用いることはなりません。そういう行為は宗教法人靖国神社に対しても、他の宗教に対しても、信教の自由を定める憲法に対しても許しがたい無礼な行為だと思います。

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