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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宗教と信仰心と人間の関係)

宗教と信仰心と人間の関係

このQ&Aのポイント
  • 宗教は人間のためにあるのか?
  • 宗教にお仕えしている人間
  • 宗教は人間の平和共存のためにある

質問者が選んだベストアンサー

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noname#214841
noname#214841
回答No.3

回答番号2の方もおつしやつてゐますが、質問者さんのお考へのとほりだと思ひます。 殉教や宗教戦争など、本末顛倒です。 >>人間が、神様のために死んだり迫害されたりする、 >>それじゃあ、人間のために宗教があるのではなく、 >>宗教に、人間がお仕えしてるみたいです。 だから、死後の世界での幸福とか、復活の希望とか、そのやうな教義がつくられます。 >>自然な信仰のあり方は、信じる人が幸せに心穏やかに過ごせるよう、 >>ストイックに走らず、他者(異教徒含め)も自分も平和に共存していける さうありたいものです。せめてこのQ&Aサイト内だけでも。 最近、titelist1さんやhitonomichi33さんの影響でせうか。日本の佛教についての議論が活発になり、参加者もふえてきました。好ましい傾向だと感じてゐます。 >>政治も国家も法律も、人間や他の生きものや、環境等のためにある これもまつたく、そのとほりです。憲法問題にふれると、ややこしくなるかもしれませんが、日本国憲法の改正について、まともに議論されはじめたのが、ごく最近といふのが不可解です。法は、人間のためにあるのですから、その状況によつて変化してゆくのが当然です。憲法の固定化は、人間のために法がある、といふ考へに反するものだと私は見ます。内容はともかく、改正要件があまりにきつすぎます。 >>人間が宗教の犠牲になる必要なんて、ないと思うのです。 私もさう思ひます。

aquamarine_blue
質問者

お礼

ありがとうございます。 自己犠牲を求める宗教には疑問を感じますが、 信仰心は忘れたくないものです。

その他の回答 (5)

回答No.6

 こんにちは。  ★ 宗教って、人間のためにあるもので、  ☆ では 残念ながら ないですね。きちんと言うならば:   ○ シュウキョウは オシエであって この《オシエは――または教祖は――人間のために・世の中のためにあるのだ》と言い張る集団的な運動です。  よって  ★ 人間が宗教のためにあるわけじゃないですよね?  ☆ とも限らないことが起きます。  というより 《世のため・人のため》なるオシエとその組織(じっさいには 権限を持つ者)に従いなさい そうすれば功徳が積めますよ その功徳であなたの家族の人たちは(先祖の人たちをも含めて)すくわれうるおうだけではなく あなたがやはり世のため人のためにはたらくチカラとチエがついて来ますと言うでしょうね。  早く言えば 組織のためでしょうね。その指導者や上層部の人たちがあたまがよく人使いもうまくお金儲けもたくみであって その指導部の人たちについて行くなら もう大丈夫ということなようですから 組織のためプラスその会員である人間のためでしょうか?  むろん――論じるなかれ――その組織としての運動の途上で まかり間違って何かの犠牲になったとしたら? それこそ 世のため人のために(あるいは 神のために)身をもって尽くした偉業であるとして あなたは讃えられましょう。めでたし めでたし。  皮肉がつよすぎましたか。ちょっと へたな皮肉におわっちゃったかな。  * イスラームは ちょっとよく分かりません。

aquamarine_blue
質問者

お礼

質問を締め切った後のお礼ですみません。 ご回答ありがとうございました。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.5

精確には、信じる人のために在るのであって、信じない人のためにはないのが宗教です。 或いは、一部の支配階級のために在るのであって、被支配者のために在るのではないのが宗教です。 だから、人を分裂させるのではないでしょうか。 道具には目的が有ります。包丁は料理を使うのに使うものであって、人を傷つけるためのものではありません。 一方、刀剣は人を傷つけるためのものでそれ以外の役には立ちません。(美術品になるくらいでしょうか) 宗教の存在する目的はなにか、何故それが生まれたのか、思索する価値はあると思います。 仰るような宗教批判は的を得ていると思いますし、生贄などをするシャーマニズムも現代ではクレイジーとしか言い得ません。しかし現代日本でも、西宮戎神社では、毎年ある時期に、マグロを供物に捧げています。それを平然と文化として許容している我々日本人もいるのです。 本来人は、宗教なしに生きていけると私は思います。しかし、回答序文と矛盾しますが、宗教は別にあっても良いと考えます。多分、宗教がなくなっても人間は戦争を止めないだろうし、何かの犠牲になる人も減らないだろうからです。宗教はそれらの口実に使われているだけなのだと私は思うのです。争うのは何か別の理由が存在するのではないでしょうか。

aquamarine_blue
質問者

お礼

仰る意味ですと、 「宗教」を使って、支配層が民衆を支配するツールにしているという感じですが、 貧困層や裕福ではない民衆にとっては、宗教というより 「信仰」が心の支えだったと思います。 飢饉などの極限状態では、信仰がどうだったのか分かりませんが。 人間がこの地球で、宇宙にも到達している現代、 明らかな宗教でなくても、 何かしらの信仰心、自分を超えた偉大な存在への畏敬の念、 そういったものは忘れずにいたいと思います。 ありがとうございました。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

宗教と言うのは端的に言うと、生活習慣です。 ですので、基本は生きる為のものですから、宗教を理由に死ぬのは、理不尽とも言えます。 ただケースバイケースで、生贄等は、合理的な面が存在する場合も想定出来ます。 例えば大規模な飢饉の時等に、口減らしの方法として生まれた可能性が考えられます。 又はカニバリズム等も同じ理由が想定されます。 ルールを侵した場合の処罰も、やはり必要でしょう。 問題は環境の変化に教義が付いて来れなくなっている場合に於ける、宗教指導者の暴走ですね。 原理主義等は其の典型です。 正にご指摘の通りだと思います。 ちなみに宗教にお仕えしていると言うよりは、教祖にお仕えが正しいでしょう。

aquamarine_blue
質問者

お礼

ありがとうございます。 >ちなみに宗教にお仕えしていると言うよりは、 >教祖にお仕えが正しいでしょう。 「教祖にお仕え」は変です。 「神にお仕え」なら分かりますけど、 別に神父さまにお仕えしているわけではありませんので。 (カトリックの場合)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

”宗教って、人間のためにあるもので、 人間が宗教のためにあるわけじゃないですよね?”     ↑ その通りです。 社会の秩序を守り、死への恐怖を緩和し 心穏やかに暮らす・・・といった具合で 人間の為にあるものです。 ”歴史的に海外でも日本でも殉教者っていますし、 宗教がらみの戦争は、今も(? )昔も数限りなく。”      ↑ 殉教ってのは、一神教に多いんですよね。 神道みたいな多神教には殉教というのは 基本、ありません。 ”人間のために宗教があるのではなく、 宗教に、人間がお仕えしてるみたいです。”      ↑ 宗教というモノはそういう理屈で成り立っている のではありません。 理屈抜きでなにしろ信じてしまうのです。 だから、信者にそういう指摘をしても意味ありません。 ”政治も国家も法律も、人間や他の生きものや、 環境等のためにあるのであって、 宗教も同じだと思います。”     ↑ 思想とか哲学も同じです。 人間の為に創り出された概念なのに、それに振り回されて 悩む人間のなんと多いことか。 生きる意味、って何だろう、てのも同じです。 生きる意味があった方が人生面白いよ、という だけなのに、なにやら深遠な意義があるかのように 思い込み、ノイローゼになって自殺する、なんて 輩は全くアホみたいです。 人間が、人生をうまくやっていくための技術に過ぎない モノなのに、いつの間にやら、その技術が目的化して しまい、振り回される、ということがいかに 多いか。 お金もそうですね。 人生をやっていくための技術に過ぎないのに、 それが人生の目的になったりしていませんか。

aquamarine_blue
質問者

お礼

そうですね。 ありがとうございました。

  • marbleshit
  • ベストアンサー率49% (5033/10253)
回答No.1

ですから、そういった本末転倒した類を邪教、邪宗教と位置付けています。

aquamarine_blue
質問者

お礼

ありがとうございました。

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