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女性の髪への考え方について質問します。
日本女性の髪の歴史について調べていたのですが、あるサイトで、"髪そのものに生命が宿ると信じられていた時代では髪を切ることは戒められるものであった。"という記述がありました。 そこで質問です。 (1)この"髪そのものに生命がやどる"というのは、どの時代からどの時代までの考え方なのでしょうか。 (2)(1)での考え方は、八百万の神と、関係はあるのでしょうか。また、宗教的な考えから髪を伸ばしていたのでしょうか。 よろしくお願いします。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>(1)この"髪そのものに生命がやどる"というのは、どの時代からどの時代までの考え方なのでしょうか。 回答から先に述べますと、平安時代から江戸時代初期の頃までです。 お市の方などの肖像が典型的な例です。 また、現在放映されているNHKの大河ドラマ「江」でも皆長いままですよね。 江戸時代も中期に入ると、庶民も武家の子女も髪を島田に結うようになり、島田だけでも幕末までに100種類以上の髪形が流行したと言われています。 >>(2)(1)での考え方は、八百万の神と、関係はあるのでしょうか。また、宗教的な考えから髪を伸ばしていたのでしょうか。 髪を切る=仏門に入る、 を意味しており、例えば、鎌倉時代の尼将軍「北条政子」や秀吉の妻であった「おね」さんなどにしても夫が死んでから、髪を切り尼頭巾を被って仏門に入り夫の位牌を護りましたし、江戸時代になっての将軍家でも、やはり、夫が死亡すると「稚髪」(ちはつ)と言って、坊主頭にしないまでも髪を短く切って尼頭巾を被り仏門に入り夫の位牌を護りました。 (よもやま話) (1)江戸時代の子どもの髪形は、男女の区別なく5~6歳になるまでは、特に、生まれたばかりの赤ん坊の髪は、「前世からの不浄のものを付けて来た」と考えられて、生後七日目になると髪を剃ってしまいました。 (2)髪をはやし始めるのは3歳(七五三)からで、それまで髪を剃るのは、髪を濃くするためとの考えがあり、また、「しらくも」や「しらみ」などの皮膚病を防ぐためでした。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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bungetsuです。 お~、ミステイク。 「稚髪」(誤) 「薙髪」(ちはつ)・・・(正)
お礼
細かくお答えいただき、ありがとうございます。