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日本に宗教戦争がないのは信長のおかげ

ある歴史学者が「日本に宗教戦争がないのは信長のおかげ」と言っていました。これは本当でしょうか?

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  • FEX2053
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回答No.5

日本の一神教って、日蓮宗と浄土真宗がそうですよね。 日蓮宗は「蓮華経」を唯一絶対の経典としてあがめ、 それに従っていないものを排除・・・と言えば聞こえは いいですけど、要は「殺してしまう」んです。その辺は 「立正安国論」を読めばよく分かるかと。 浄土真宗も「阿弥陀仏」に「絶対他力」で帰依するん ですから、明らかに一神教です。一向一揆を見れば、 かなりの暴力を伴った宗教であったことは明らかです。 同様に、叡山の天台宗も僧兵が暴れまわっていましたし、 そもそも、荘園などの「既得権益の巣窟」だった面が あります。中世までの宗教勢力はそういう「既得権」を 保護することを名目にした、戦闘力を伴っていることを 考慮する必要があります。 なので、これらの宗教勢力の「戦闘力」を排除した 信長の功績は大だと思いますよ。

torje
質問者

お礼

武力と既得権益があったので、大名との衝突は必然だったのかもしれませんね

その他の回答 (9)

  • jkpawapuro
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回答No.10

信長が一向宗を掃討するまでは、一向宗VS大名、日蓮宗(+細川)VS一向宗、宗教がらみの大きな戦がいくつかありますので、信長のおかげで間違いないと思いますよ。

torje
質問者

お礼

信長の台頭までは宗教の争いは多かったのですね

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.9

>これは本当でしょうか? ご存知の様に、日本は(某反日国家と異なって)信条・思想・教育の自由がありますよね。 「国が決めた(国内にでのみ通用する)正しい歴史を、国民・他国民に強制する」事は、ありません。 A博士が「信長のおかげで・・・」 B博士は「信長は無関係で・・・」 どちらも、正しいのです。 が、他にも回答がありますが「日本にも、宗教戦争は存在」しています。 法然の浄土宗は、比叡山延暦寺(天台宗)から、徹底的に攻撃を受けています。 親鸞の浄土真宗も、他宗派から弾圧を受けています。 宗派同士の戦いでなくても、「三河一向一揆」は有名ですよね。 薩摩・島津藩は、(明治維新まで)領内での「一向宗」を禁止している程。 そもそも、信長は「宗教を批判していない」のです。 宗教と言う名をかたった武装集団・お経も理解していない僧侶を排除したに過ぎません。 「比叡山焼き討ち」と言っても、実際は教科書と異なります。 発掘調査・古文書解読では、信長は比叡山全山を焼き討ちにしていません。 まぁ、信長時代の僧侶は堕落していましたからね。 合理主義・完璧主義の信長としては、軍事訓練に力を入れる宗教団体が許せなかったのでしようね。 まぁ、歴史は「勝者がつくる」ものです。 正しい歴史は、誰にも分かりません。 質問者さまも、自由に考えた方が面白いですよ。^^; 余談ですが・・・。 安土城が完成した時、信長は「入場料を徴収」して領民の見学を許しています。 こんな事は、教科書には載っていませんよね。

torje
質問者

お礼

たしかに信長時代の僧侶は堕落していたので、一掃すべきと思ったのかもしれませんね

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.8

うーん。。。どうかな。。。 そもそも島国だからでは? 結局、キリスト教が入ってしばらくしてから、島原の乱なんて言うのが起きたじゃないですか。 他にもキリシタンとの戦争は起こってます。 そもそも島国で他の宗教が広がりにくかっただけだと思います。

torje
質問者

お礼

そうですね。島国でいろいろな宗教が入ってこなかったというのもありますね

回答No.7

ある意味そうですね 信長は戦国時代にあって唯一と言って良いほど「無宗教」の人物であり むしろ「自分が神だ」と言い放ったぐらいの男です 仏教の総本山延暦寺を焼き討ち 一方でキリスト教を認めたり(まぁデウス云々と言うより新しい文化であるキリスト教に興味があっただけと思いますが) 彼ほど宗教を否定し 宗教を認めた人は居ないでしょう 日本人の宗教観を変えたのは信長であった と言う意味では正解だと思います

torje
質問者

お礼

日本人の宗教観には大きく影響を与えてはいそうですね

回答No.6

宗教戦争という概念はキリスト教文化圏であるヨーロッパの歴史で生まれた概念です。 日本ではこの概念に相当する戦争はありませんでした。 このような意味であれば「ある歴史学者」が言っていることは当たっています。 ただし「信長のおかげ」という訳ではありませんのでこの点は承服しかねます。 信長は確かに石山本願寺や加賀の一向宗の集団と戦闘を繰り広げました。 一向宗を信奉する集団からすれば宗教教義の違う信長の軍勢と戦争をしていますので一種の宗教戦争と考えることもできます。 信長の側から見れば一向宗や比叡山延暦寺が持っていた政治的な権力を排除しようとしただけで一向宗や天台宗を潰そうという考えに基づいてやった戦闘ではありませんでした。 特定の宗教を信奉する集団との戦争と言う意味では江戸時代初期の島原の乱も相当します。 このような意味からすれば信長亡き後も起きていますので信長が宗教集団との戦争を終わらせたとは言えません。 ヨーロッパ史での宗教戦争の概念に相当する戦争が無かったのは日本だけではなく中国を含めた東アジア一帯でもありませんでした。 東アジア一帯では常に仏教、儒教、道教などが複合して広まっていたために元来ヨーロッパ史にみられるような宗教戦争が起きる素地がありませんでした。 信長がいてもいなくてもヨーロッパ史でいう宗教戦争は起きなかったと考えられます。 言い換えれば信長のおかげではなくヨーロッパとの文化の違いのおかげです。

torje
質問者

お礼

たしかに信長亡き後も島原の乱がありましたね

回答No.4

信長は宗教勢力が武力を喪失する過程で重要な働きをした人物と言えます。 最終的に秀吉による、太閤検地と刀狩により財力と武力を失い宗教戦争などということが起こせなくなりますので、教科書には豊臣秀吉の功績として紹介されています。 信長は、比叡山焼き討ちや一向一揆の鎮圧で宗教勢力から武力を奪っていて、秀吉はそれを引き継いで完成させただけと見ることもできます。 ただ、他の戦国大名も同様に宗教勢力から財力と武力を奪っていて、中世の荘園解体の流れに沿った自然な出来事であると考えることもできます。 検地や刀狩を制度化した秀吉の功績と考えるのが一般的なように思えまが、信長のおかげと言えば、そうなのでしょうね。 参考 僧兵 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%83%A7%E5%85%B5 検地 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%9C%E5%9C%B0

torje
質問者

お礼

僧兵などもいましたが宗教勢力が武力を持つのはよくないですね

回答No.3

信長というより島津家ですね。 キリスト教布教団体イエズス会は 九州の大大名・大友氏や有馬氏に取り入って 布教や最新の大砲の融通、アヘンの密売をしていました。 日本を乗っ取ろうとしていたのです。 島津氏が滅ぼしてくれたのと &徳川氏の鎖国、キリシタン狩りがあったので 清国のように半植民地化されずにすみました。

torje
質問者

お礼

当時は布教と侵略が一緒になっている部分もあったのですかね

  • rikimatu
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回答No.2

ある意味本当でしょうね 平安時代には、延暦寺が朝廷に武力を背景にして「強訴」を起こしてるし、延暦寺と園城寺も戦争してるし、金剛峯寺と根来寺も戦争してるし、信長の時代でも「一向一揆」なんか当たり前やったし… で信長はお坊さん(宗教)が政治などに介入されるのがのが嫌だったから比叡山焼き討ちや本願寺討伐やキリスト教をOKしたりしたみたいです。 八百万の神とか言うのは日本人の宗教観なのでやはり受け入れる能力か適応能力はすごいので そういう所で考えたら、民間との戦争はなかったとは思います。

torje
質問者

お礼

お寺が調停に強訴などしていたのですね。驚きです

  • SPS700
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回答No.1

 まあそういう見方もあるでしょうが、日本に古くからある宗教は、「やおよろず」などという多神教、その上に首長が文字とともに仏教を取り入れています。  だから、西欧にあるような甲が唯一の神だ、いや乙だと戦争をおっぱじめるような一神教が、なかったことが大きな原因だと思います。  仏教が外来の宗教であるにもかかわらず、最初の国立大学とも言える法隆寺や、国家予算で奈良の大仏を作る、などかなり寛容だったことが考えられます。

torje
質問者

お礼

一神教だともめやすいのですかね