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宗教と戦争
古来多くの戦争が宗教ガラミないし宗教上の対立から起こっています。 それ以外の戦争は非常に少ないようにおもわれます。 宗教そのものは本来そのような対立を前提にしたものではない筈とおもうのですが・? 後世の人間の勝手な解釈や誤解なのでしょうか? またどうしてそのような事態が起こるのか? 宗教間、宗教内の対立がなぜ殺し合いまで進むのでしょうか? イラクの内戦やカソリックとイスラムの戦争など心の痛むことが多い現実に宗教そのものの存在意義を疑います。
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4番です。 >「聖バルトロメイの虐殺」を宮廷内の権力闘争と捉える考えもありますが、宮廷外の市中でも組織的に行われた虐殺はプロテスタントという理由だけでおこなわれました。 なぜカトリックとプロテスタントに分かれたのかを考えてみてください。 プロテスタント諸侯は、プロテスタントの考え方に共感したわけではありません。 信仰的理由よりも、世俗的理由から改宗しています。 でなければ、アンリ4世が、王位につくと簡単にカトリックに改宗しているはずがありません。 >おおくの参加者は聖地の奪還というお題目を信じた筈で、教皇の指示もそれでした。 なぜ教皇が、この時十字軍を提案したのでしょうか? エルサレムがイスラムにより奪われたのが639年です。 十字軍決定が1095年(クレルモンの公会議)です。 なぜクレルモンの公会議で十字軍が提起されたのでしょうか? それは、聖職叙任権闘争で、決定的な勝利を教皇派が得るためにほかなりません。 また十字軍を要請したアレクシオス1世にしても、エルサレム解放などは全く考えておらず、ビザンツ帝国を守る無料の傭兵がほしかったにすぎません。 そのため、十字軍は、ビザンツの思惑に外れたため、ビザンツ帝国でも厄介者扱いされ、第4回十字軍のコンスタンティノープル占領へとつながります。 >パレスチィナ問題は現在の聖地争いではないでしょうか。 根本の原因は違います。 エルサレムを中心とした地域は、長い間イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒、などなどが、共存する地域でした。 それを第一次大戦後多量にユダヤ人が入植し、パレスチナ人の土地を奪う形になったため、対立が起きたものです。 現在のパレスチナ問題も、聖地の取り合いよりも、パレスチナ自治区に対するイスラエルの弾圧とそれに対する抵抗という図式になっています。 >30年戦争も単なる皇帝権の争いともみられますが、キリスト教内部の信仰争いの一面も否定し難い所でしょう。 ルターの宗教改革が成功したのは、主に北ドイツ諸侯の支持があったためです。 無かったらウイックリフなどと同じ目にあったでしょう。 北ドイツ諸侯(特にヘッセン)がルターを支持したのは、皇帝(ハプスブルク家)に対抗したためです。 30年戦争の直接のきっかけも、ボヘミアを支配するハプスブルク家に対するボヘミア諸侯の反乱(独立闘争)の形で始まっています。 この時ボヘミアの諸侯は、反ハプスブルクという意味でプロテスタントとなっています。 つまり、宗教対立が先にあったのではなく、ボヘミアを巡る対立が先に有り、それに宗教が巻き込まれたのです。 そのため、30年戦争では、本来カトリックであるはずのフランスは、プロテスタント諸侯を支援したり、反カトリック側にたって参戦しています。 宗教戦争であれば、フランスはカトリック側に立つはずですが、一貫してプロテスタント側に立っています。これは、30年戦争が宗教戦争でない事の証明でもあります。 >スンニ派とシーア派の争いは確かにムハンマドの後継者の正当性の争いである筈がどうしてお互いの殺し合いにまで発展する必要があるのか私には理解できません。 これは、王家の後継者争いで敵対し、自己の利益確保のための戦いにこの問題が摩り替わっているためです。 イスラムの最高支配者がスンニ派を名乗るため、その勢力に対抗するために、2番手はシーア派を名乗り、敵対してきました。 最も顕著な例が、ウマイア家に対抗したアッバース家は、シーア派を保護しシーア派の力を借りてウマイア家を滅ぼしますが、自分が最高権力者となると、スンニ派になりシーア派の弾圧を始めます。 アッバース朝に対抗したファーティマ朝は、シーア派国家を名乗りアッバース朝に敵対します。 イランのサファービー朝は、スンニ派のトルコに対抗するために、シーア派国家へと変遷します。 つまり、そこがシーア派なのかスンニ派なのかは、宗教的理由よりも、政治的理由である事が大きいのです。
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- yuchan1963
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政治、世俗の道具として宗教を発端とした戦争があるのは事実ですが、私は別の観点から一神教本来の性質として戦争にいたるケースが多い、ということも挙げてみたいと思います。 宗教が発端として起きる戦争は、一神教と多神教、若しくは一神教と一神教間での戦争が多いようです。これは一神教は、その本来の性質として他人のあがめる神を認めない(他宗派の神=悪)という性質に根ざしています。多神教であれば、他人のあがめる神もまた神のひとつ、であるのでこういう争いは起きないことが多いです。一神教内での争いも同じで、自分の宗派の説以外は間違い(異説=悪)とみなされるので、対立、戦争への発展していきます。 私自身は無宗教ですので、何も一神教を貶める積りはないのですが、歴史書や文学作品を読むとどうしてもそういう感想を持ってしまいます。
お礼
斬新なご回答有り難うございました。 一神教に排他的要素があるというというお説は納得です。 一般大衆レベルでは理解し易い説と思いました。 カソリックの異端裁判を受け入れた思想もこれでしょうね。 暴力や殺人に結びついたのは過激な表現なのでしょう。
- nacam
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>古来多くの戦争が宗教ガラミないし宗教上の対立から起こっています。 私の考えは全く逆で、本質的に宗教が直接の原因で起こった戦争は、一つも知りません。 むしろ、何らかの原因が有り、紛争当事者が、その対立に宗教を持ち込んだ物ばかりです。 そしてその根本原因が忘れ去られ、宗教的対立のみが目立ってしまう事ばかりです。 十字軍にしても、根本的問題は、「聖職叙任権闘争」ですし、北アイルランド問題も「アルスター殖民」が根本的問題です。 パレスチナ紛争も、パレスチナの土地の支配権をイスラエル人とパレスチナ人が争っているにすぎません。 30年戦争も、皇帝権を巡る諸侯の争いにしかすぎません。 イラクの内戦でも、根本的理由は、イラクの石油資源をめぐる争いですし、そもそもスンニ派とシーア派の対立にしても、教義の内容ではなく、誰がムハンマドの後継者となるかの争いでしかありません。 キリスト教とイスラム教が並立している国も沢山あります。 そもそも宗教が原因で対立が起こっているのであれば、共存そのものが不可能なはずです。
お礼
貴重なご指摘有り難うございます。 私は戦争と表現してしまったのですが対立抗争もふくめて考えていました。 プロテスタントを計画的に虐殺した「聖バルトロメイの虐殺」を宮廷内の権力闘争と捉える考えもありますが、宮廷外の市中でも組織的に行われた虐殺はプロテスタントという理由だけでおこなわれました。 十字軍のとらえ方は私には初耳です。 これはキリスト教とイスラム教の聖地争いが発端と理解しています。 参加者には色々な思惑はありましたが、おおくの参加者は聖地の奪還というお題目を信じた筈で、教皇の指示もそれでした。 パレスチィナ問題は現在の聖地争いではないでしょうか。 30年戦争も単なる皇帝権の争いともみられますが、キリスト教内部の信仰争いの一面も否定し難い所でしょう。 イラクのスンニ派とシーア派の争いは確かにムハンマドの後継者の正当性の争いである筈がどうしてお互いの殺し合いにまで発展する必要があるのか私には理解できません。 宗教が発現した当初、このような闘争を予定してた宗教はなかった筈で す。 反論のようになってしまいましたが私の疑問です。
- jasko
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宗教は道具だからです。 国家と国家、部族と部族の争いが戦争です。 個人的な県下ではなく、集団同士の闘争です。 集団がまとまるためには利権が必要です。 戦争は基本的には消耗戦であり、非生産的です。 略奪や支配が目的の場合は除いて、本来は富を倦みません。 金にならないことで集団をまとめるのには宗教はよい方便なのです。 民衆を「神のために」という無償のお題目で為政者が利用するための方便が宗教であり、 その代表格がキリスト教を代表とする砂漠系宗教でしょう。 公明党が創価学会という方便で信者を動員しているのと同じでしょうかネェ。
お礼
ご回答有り難うございます。 宗教は道具、手段というのはそのような利用があったことは事実でしょうが、私はもう少し思想上のものと理解しています。 宗教の発現当時は戦闘的な意味はなかったと思いますから。 しかし後世のエセ宗教は確かにお説のような節があります。
戦争、とまで至らなくても、 宗教絡みの対立や、ときには虐殺・・いろいろありますよね。 お金も、宗教みたいなものだとしばしば言われますが・・ 宗教をお金に置き換えたらどうでしょう? お金を巡って人殺し、戦争・・・さもありなん、ですよね? なにかを巡って人を殺したり戦争したりするのは、 そのなにかのほうが、人の命より重いと感じたから、 だと思います。 人の命よりお金のほうが重ければ、 お金のために人を殺すでしょうし、 宗教のほうが重ければ、 宗教のために人を殺すでしょうし。。 日本みたいな葬式仏教・・ しかも、それでさえ、私用や仕事のほうが重かったりする・・だと、 宗教の重みって、想像つかないところかもしれませんね。。
お礼
ご回答有り難うございます。 宗教をお金に置き換えるというのは確かに一つの見解ですね。 今日バチィカンの蓄積した財産は莫大なものといいますから。 私は誰の言葉か忘れましたが「宗教はアヘンである」という言葉を覚えていますがこれも至言とおもいます。 短期的には愉悦を得られますが長期的には遅効性の害に犯されるというのはあり得ますね。 ただ信仰というものの恐ろしさはもう少しスサマジイと思っています。
別に宗教絡みの戦争ばかりではないですし、どちらかと言うと少ないです。 ですが本来、神様を信仰するものが宗教なのになぜ戦争するかというと 宗教の宗派によって信仰する神が違うからです。 これはどんな分野でも同じです。 自分の信じてる物が正しい事を証明するために他を滅ぼす これが彼らの考え方です。 よく言われる過激派はその考えが過剰化した連中です、やる事も徹底しており非常に過激です。 神のために殺人も自殺も出来る人たちです。 かなりひん曲がった考え方で、本来の神の考えや存在意義とはまるで違った物になってしまっています。
お礼
少しわかりにくい質問でしたが、ご回答有り難うございます。 >宗教の宗派により信仰する神が違う カソリック、プロテスタントなど教義の定義による差異はあるといえばあるのでしょうが、同じ聖母子信仰といえばいえます。 少年十字軍は出発の時、素朴な状態だったと思います。 宗教裁判は恣意的かつ誤解によるものが多かったといえます。 これを遂行した僧侶、裁判官は過激派といえるでしょうか? >本来の神の考えや存在意義とはまるで違った とのお考えには納得いたします。
お礼
非常に詳細なご解説有り難うございます。 私の再質問にご親切なご回答本当に有り難うございました。 歴史は統治者単位で記述、分類される事がおおいので支配階級からみれば、お説のとうりと考えます。 ただ本来一般大衆の魂の救済から自然発現した筈の宗教、信仰が暴力的になったのが理解できなかったのです。 支配層はもともと便宜主義で真摯な信仰をもつ人はすくなかったと思います。 王権の保証のため改宗した例は非常に多いと承知しています。 この為大衆側は混乱し紛争も多発しました。 聖バルトロメイの虐殺は宮廷内では命じたものはいますが、市中で発生した大衆による虐殺は権力とは無縁の人々によるのではないでしょうか。 十字軍については数次にわたっており、それぞれの当事者により思惑がことなり、アレキシオス1世の募兵巡礼はお説のとうりですが、これも統治者の立場での発想で、しかも大衆までコンスタンチノープルの略奪を考えていたために起こった悲劇です。 既に信仰とは無縁でした。 宗教革命はカソリック教会の権威主義、形骸化した教義を正すことではじまったと理解しています。 決して領土拡大のために出現したものではなく統治者の都合で利用されたのだとおもいます。 スンニ派とシーア派の分裂はムハンマドの後継者を誰と考えるかだけですが統治者の都合により相手の弾圧がきっかけで信条の強制、ないし反対派の抹殺にまでエスカレートしたのはお説のとおりとおもいます。 大変詳細な記述本当にありがとうございました。