- ベストアンサー
もし、東条英機が信長や秀吉や家康だったら?
太平洋戦争は無謀な戦争だったと言う人もおりますが、戦争は避けられなかったという人もおります。 歴史にifはないと言われますが、お付き合い頂ければ幸いです。 もし、東条英機が 信長や秀吉や家康だったら、日本がアメリカにハルノートを突き付けられた時点で どのような決断をしてどのような作戦をしていたと思いますか?
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
厳しい回答がありますが、私もそのせっぱ詰った状態でいきなりバトンを渡されてもお三方ともどうしようもないと思いますよ。 少なくとも昭和恐慌くらいまで遡らないとなんともならんと思います。もし昭和恐慌にまで遡れるなら、三人とも何がしかの経済対策を行って乗り越えたと思いますけどね。 太平洋戦争に至ってしまった原因のひとつは、日中戦争が収拾がつかなくなったからです。三人とも外交力には長けているので、日中戦争の落としどころは誤らなかったとは思いますよ。 ただ当時は、石油の90%、屑鉄の100%がアメリカからの輸入に頼っていました。だから三人ともその経済状況を知ったら「これ、あかんだぎゃあ」とおっしゃったと思いますよ。 ただ、信長だけ、信長だけは何かとんでもない手段でなんとかしてくれるかもしれません。ただ彼の発想はあまりに天才的なので誰にも想像できないと思います。桶狭間の合戦における信長の行動なんて、軍事的には「非常識、非常識」な手を打って、後々にして考えると「ああ、その選択は正解だった」と思えるようなものです。 とはいえ、アメリカのチートっぷりを考えると、仮に日本史の英雄総動員をしても太平洋戦争で勝利はおろか引き分けに持ち込むことも不可能だと思います。 私思うのですけど、ベストの太平洋戦争ってイタリアを真似するべきではなかったかと思うのです。どうせどんなに頑張ったって勝てないんだから、やるだけやってちゃっちゃと降伏しちゃえばよかったのです。アメリカ軍をして「人数で数えるより面積で数えた方が早い」なんて捕虜を出せば戦死者も少なかったし、原爆の被害もないし、特攻隊なんてバカなこともしなくて済みました。 イタリア戦役が終了したころ、アメリカの従軍記者がイタリアに行ったら、山の上にいたイタリア軍が武装解除のために山を下っていたのですが、みんな家に帰れるからカンツォーネを高らかに歌ってたそうです。その横をまだ戦争が続くアメリカ兵がヨロヨロと歩く姿を見て、「どっちが戦争に勝った国なんだろう」と思ったそうですよ。
その他の回答 (9)
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
答えは簡単ですよ 戦前の内閣総理大臣に信長・秀吉・家康が就任したらどうなるのか? 戦前の内閣総理大臣の地位は大日本帝国憲法になんと書いてあるのか? 答…規定されていない 各国務大臣の任免権が無く、閣内不一致=総辞職(現在は任免権があるので反対する大臣を解任できます) 国務大臣のまとめ役でしかないので発言権がありません 信長・秀吉・家康・東條が戦争に反対したくても発言権が無いんでその他の大臣が戦争したいって言ったら戦争するしかないんです
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
ハルノート時点では手遅れです。 米国は戦争をやりたくてしょうが無い状態でした から。 いくら恭順の意を示しても、何かを仕掛けて戦争に 引き吊り込まれたと思います。 旧くは、テキサス独立戦争があります。 あそこではアラモの砦が全滅して、それで国民に 火がつきました。 スペインとの戦争では、米国の艦船メイン号が 謎の沈没を遂げ、これがスペインの仕業だという ことになり、戦争のきっかけになりました。 米国は後になってあれは事故だった、と公表して いますが、怪しいですな。 フイリピンとの戦争では、米国軍配下のフイリピン人が 殺害されたのがきっかけとなり これで米国は60万のフイリピン人を殺害しています。 第一次大戦では米国船ルシタニア号がドイツの 潜水艦に沈没させられたのが、参戦の理由の一つに なっています。 第二次大戦では、真珠湾攻撃です。 31代大統領フーバーは、ルーズベルトはあの攻撃を 知っていた、という書見を残しています。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の 駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが 後になって、これが米国のやらせであったことが判明しました。 リビア爆撃 (1986年)もまだ記憶に新しいです。 1985年12月にウィーンとローマの空港で爆破事件が起こり、翌1月にアメリカは リビアが事件の背後にあるとして、リビアに対する爆撃を行いました。 湾岸戦争 1990年 1,1990年7月25日にイラクがクウェートの併合を示唆した際、アメリカの駐イラク特命全権大使 のエイプリル・グラスピーは「国境問題に介入するつもりはない」と発言。 これを信じたフセインはクエートを侵略したが多国籍軍に撃退されました。 イラクは約束が違う、と騒ぎましたが、米国はそんな覚えはないととぼけました。 しかし、それ以降、当事者であるグラスピーは公の場には一切姿をみせなくなりました。 2,1990年10月、クウェートの少女がアメリカ議会において、クウェート市内のイラク兵が 病院で乳児を保育器から出し床にたたきつけたなどと涙ながらに惨状を証言。 戦争に疑問を抱いていたアメリカ世論は一挙に反イラク色に染まったが、 後に少女は駐米クウェート大使の娘で、現場にさえおらず、証言は虚偽であった事が発覚した。 さらにその後、その殺害された乳児を埋葬したと主張するクウェート人医師も証言を行ったが、 こちらも同様に虚偽であった。 クウェートが占領された後の話で、戦争勃発原因とは関係ないが、アメリカの世論を反イラクに傾けることになった。 911とイラク戦争、アフガン戦争との関連も噂されています。 なぜなら、911以前にアフガン侵攻が計画されていたことが 英国BBCの調査で判明したからです。
お礼
回答ありがとうございます。
日独伊ソ4国同盟なら、勝てます。なぜドイツはソ連と同盟しなかったかが、おかしいです。信長、秀吉、家康なら、ソ連と同盟して、アメリカをつぶします。
お礼
回答ありがとうございます。 >日独伊ソ4国同盟なら、勝てます。なぜドイツはソ連と同盟しなかったかが、おかしいです。 これは私が#2さんのお礼でも少し言及しましたが、ヒットラーとスターリンとルーズベルトが鍵を握っていたと思います。でも、当時の米ソの対立やドイツとソ連のイデオロギーの類似性を考えれば、ソ連が枢軸国側につく選択肢は十分に考えられたと思います。特に 家康だったら うまくドイツとソ連の間に入って手を組ませ アメリカよりも先に原爆を発明し、アメリカの先手を打つ策略を思いついていたのではないかと思います。あと、敵の敵を味方につけるとかの策略は 信長が長けているようにも思います。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
ハルノートの時点で日本の選択肢は開戦しかないのは、常識の範囲ですが、敢えてこの状態での想像でしたら、三人とも戦争回避を間違いなく選んだと思います。 三方が原・高天神城でも信長は決して武田と決戦はせずに、戦を避けようと努力をしています。(武田とは同盟を結んでいましたし) 家康も三方が原を教訓として、勝てない戦をする事の愚かさをかみ締めました。 ただこの三人はそれぞれが専制君主ですから、政治システムが違うので単純に昭和の頃と比較するのは意味が無いでしょうね。 「戦争回避」=「領土を失う」=「国民の財産の消失(占領地には既に日本人がインフラを築いて、経済活動をしていました)」という発想になっている時代ですから、国内の粛清をする覚悟が無ければ『戦争回避』は選べませんね。 日本が開戦をしたのは、既に選挙を行って決められる議会制民主主義国家だったので、国民感情を無視出来なくなっていたと言う理由も有ります。 開戦を選択しなければ暴動か、軍事革命が起きかねない訳です。 既に衆愚政治は始まっていたとも言えるかも知れません。 でも信長(秀吉・家康もしたかも知れません。しなかったのは既に其の必要が無い程に、信長が天下を平らかにしていたからかもしれません)なら間違いなく粛清してでも戦争回避をしたでしょうね。 そして領土を割譲してでも、残った予算の殆どで新型爆弾と長距離爆撃機につぎ込むだろうという想像は容易いです。 実際はもっと凄い手を考えたのではないでしょうか。 まぁ、あくまで三人が戦国期のままに蘇って、且つ、昭和時代の知識を持っていたらと言うチート設定での話ですがw
お礼
回答ありがとうございます。
信長、秀吉、家康 あくまで自分のイメージですが、 基本的に相手が強い場合はひたすら頭を下げてその場をしのぎます。 そして、相手の力をこちらがうわまったときに戦いを仕掛けます。 それが戦国を生き延びる術ではないでしょうか。 桶狭間は奇襲というのも後世の創作らしいですし。 信長も上杉謙信に対してはひたすら忍耐でした。 秀吉も家康に対しては交渉で丸めました。 家康も忍耐の連続でした。 アメリカの不条理に対してもひたすら忍耐、時期を待ちます。
お礼
回答ありがとうございます。
- yotsuba_k
- ベストアンサー率6% (9/148)
その時点ではどうにもならんわ。 当時から30-40年は遡って、柔軟な外交ができないと戦禍は避けられない。 誰がというより、その時点で手遅れです。突きつけられた時点で戦略上の敗北を意味しており、それを戦術で覆すのは不可能です。 戦術と戦略の違いを学べば、もう少しマシな仮定を考えられるでしょう。 0点、落第です。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
信長の発想ってまさに真珠湾的でしょう。 奇襲によって事態打開。 史実に一番近いのは信長ですよ。 逆に家康は自分に勝ち目ができるまで徹底的に戦いはさけそうですね。 となると戦わずに日本はアメリカの属国になるのでしょうか? 秀吉はよくわかりませんねえ。 不利な局面を戦で打開みたいなシーンはあまりありません。 そもそも秀吉はそこまで追い込まれた経験はありませんし。
お礼
回答ありがとうございます。 >逆に家康は自分に勝ち目ができるまで徹底的に戦いはさけそうですね。 家康がいちばんしたたかですからね。 >となると戦わずに日本はアメリカの属国になるのでしょうか? 家康ならありうるでしょう。多分、一億玉砕の考えはないと思います。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
当然戦うでしょう 信長は天下統一後 安宅船で世界進出を企んでいた 相手から仕掛けてきたらこれ幸いとばかりに打って出たでしょう 国が危機に瀕したら立ち上がるのが指導者です 東條は全うな指導者だったと言うべきでしょう ミサイルが飛んできても安穏としている今の首相たちと比べたらいかに立派かわかります
お礼
回答ありがとうございます。 >信長は天下統一後 信長だって 勝機が五分五分なら戦いに挑んだでしょうけど、万に一つに勝ち目もない戦に挑んだかどうか? もし、挑むとしても ソ連を引き入れたかもしれません。 ・・・伊達政宗のような野心家でさえ、秀吉や家康からさんざん屈辱を受けて無茶な要求を飲まされてきましたからね。
戦争は避けられない事だと、思う事については、 テロリストと、同じに思いますが、 アジア 東南アジア オセアニア 南方島々 アメリカの、国々に攻めいって、勝利を、得る事もなく、原子爆弾で降参して終わり、そして、今の現代がある、日本が世界中の中で、どうするのかが、問題では。
お礼
すみません、ご回答が質問に噛み合ってないようですが、Yordar11Eさんのご提案は後日考えることにして、 今は 戦国武将の分析をしたいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >どうせどんなに頑張ったって勝てないんだから、やるだけやってちゃっちゃと降伏しちゃえばよかったのです。 日本人に強い破滅思想でしょうね。後戻りできなくなくと、破滅するまで どんどん悪い方向に向かうような。いずれ バレる嘘も それを隠そうともっと大きな嘘をついて、しまいにはとてつもなく大問題になったりしますよね。返せない借金を返すために また別のところから借りで ますます借金を大きくしたり.... 多分、1年後先のことより、明日のことしか考えないからでしょうね。