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忠臣蔵
忠臣蔵ってどこがおかしいというか納得できない部分なのでしょうか? 「忠臣蔵のそれって変だよね」って誰かが言ってたのですが どの部分を言ってるのかわかりません。 逆恨みなのでしょうか?
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そもそも内匠頭の狼藉の原因がわからない。 「この間の遺恨覚えたるか」と声をかけて切りつけたというのも梶川与惣兵衛の筆記の古い方には出てこず、事件後だいぶ経ってから付け加えられたものとも言われ、事件後すぐにつけられた記録では「内匠殿声かけ切りつけ申され候ども」としか書かれていない。 青壮年男性が何か意味不明の怒号をあげながら老人に切り掛かり、小さ刀で突きもせず甘い斬撃で年寄り一人仕留めることもできず、乱暴者に怪我をさせられ引退させられた評判の良いおじいさんを47人の武装集団が夜討をかけて本人だけでなく家来を含め大量殺戮を行なったという酸鼻極まりない事件ということもできるでしょう。
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- あずき なな(@azuki-7)
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そもそも 吉良は悪くないですよね… 浅野は普段からうつ病で たまたま松の廊下ですれ違った吉良が斬られた… しかも浅野は「吉良上野に遺恨あり」なんて言ってませんね 一方的に吉良は悪者にされて47人に虐殺されたわけです これはリンチ殺人です それを美談にしてしまった江戸の人もどうかと思うけど
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- 441moe
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多く有ります。 47人しか参加していない。 浅野家は475家来、一族郎党合わせれば2000人程の家来がいた。 明らかに喧嘩でない。 当時賄賂は当然。今も歳暮中元として残る。 事実不明ながら殿中差しで斬りつける馬鹿いない。刃渡り10cmそこそこの飾り刀だ。 本来なら浅野内匠頭が馬鹿なだけなのに、 悪くない吉良を殺してる。 講談、歌舞伎、物語で逆が事実であるかのごとき話が横行すれば、おかしい事ばかりです。 坂本龍馬が小説主人公になり、多くの人が事実と思ってしまうと、出てくる資料は大半がおかしくなる。 大政奉還、船中八作、薩長連合奔走、世の中洗濯すべて小説に過ぎず、本人は鉄砲売りまくった死の商人が実態。 全く同じ内容です。
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- oska2
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>忠臣蔵ってどこがおかしいというか納得できない部分なのでしょうか? 「忠臣蔵」は、あくまで実際の事件を基にした「物語」です。 歌舞伎・浄瑠璃・講談などの「演目名」に過ぎません。 ですから、史実(赤穂事件)とは全く異なるフィクションです。 >どの部分を言ってるのかわかりません。 まぁ、全体がフィクションですからね。 江戸時代に+幕府の対応を暗に批判する演目が上演出来ると思いますか? どうしても、「幕府批判でない+赤穂事件ではない」という事が必要です。 では、どこが最初に変なのか? 一番は、「吉良に賄賂を贈らなかった」から意地悪された!? 当時は、教えを乞う時は「それなりの謝礼」を持って行くのが常識でした。 それに、吉良家は高家としても善政を行った常識がある紳士なのです。 史実では、「謝礼が無かったので教えなかった」という事実はありません。 次は、大野九郎兵衛。 赤穂城明け渡し時に、大石の命で「城内の整理整頓」「藩札の交換」など実務業務を行っています。 物語・忠臣蔵では「亡君の仇討をしないで、トンずらした」事になっていますよね。 残処理が終わると、城を去るのは当たり前です。 まだまだ色々あります。^^; まぁ、物語と史実は分けて考える必要がありますね。 そうそう、寺坂吉右衛門。 仇討が終わると、大石の命で浅野家屋敷・赤穂などへ向かい「吉良家襲撃」について赤穂四十七士の家族に報告しています。 報告が終わると、元上司(四十七士の一人)の吉田の娘に仕えます。娘が姫路藩士に嫁いでも、一緒に奉公。 その後、江戸で土佐山藩主一門系の旗本である山内某に仕えて人生を全うします。 物語とは、全く異なりますよね。 >逆恨みなのでしょうか? 史実的に言うと、「逆恨み」ですね。 失業しても、再仕官が出来る者は吉良家襲撃に参戦していません。 どうどうと、他家へ仕官しています。 まぁ、一部には「喧嘩両成敗に反した憤り」を持った方もいました。 余談ですが・・・。 明治維新後、思想統制の一環で史実が変わっています。 足利尊氏一族・明智光秀一族などは、逆臣扱いになりました。 ※1945年の敗戦で、名誉回復。 忠臣蔵も政治的に利用・改悪され、民族意識高揚と主君(天皇・軍・上官・家長)に忠誠を尽くせ!という意味が含まれました。
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- ichikawa2017
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>「忠臣蔵のそれって変だよね」って誰かが言ってたのですが 変だよねと言われた方が江戸時代の制度をどこまでご存じだったかで違ってきます。 当時は主君の仇討ちというのは認められていませんでした。 仇討ちが認められていたのは親か年上の兄弟が殺害された時だけでした。 例外として、女敵討(めがたきうち)と言って奥さんが不倫をした場合相手の男を殺害することが認められていました。 主君の仇討ちを認めると際限がなくなってしまいます。 こういう意味では忠臣蔵そのものが犯罪行為で処罰対象になりますので忠臣とは呼べなくなってお芝居そのものが成り立ちません。 こういうことは別としまして、現代風に考えますと浅野内匠頭に切腹を命じたのは将軍すなわち幕府です。 吉良上野介は松の廊下で切りつけられた被害者です。 これから言えば赤穂浪士の敵は将軍であって吉良上野介ではないと言うことになります。 元々の忠臣蔵というお芝居は室町時代を時代背景とした創作劇でした。 登場人物の一人一人について恋あり親子の別れありと非常に長いものでした。 現在映画やTVとなっているのとは大分違います。 史実とも違いがあります。 お芝居やドラマでは吉良の屋敷を探るのに苦労していますが、当時の本所は町奉行の管轄外でした。 浅野家の遺臣達が何をしようと監視していた役人がいませんでした。 せいぜい吉良家が警戒していた程度です。 当時の感覚からすれば浅野家の遺臣が吉良上野介を襲うことは、幕府が下した判決に異を唱える行動でした。 この点については首謀者の大石内蔵助は細心の注意を払っていました。 吉良邸の門前に幕府に遺恨があっての襲撃ではないと縷々述べた書状を置いていました。 最後に浅野の遺臣が切腹を命じられた理由も、仇討ち行為そのものに対するものではありませんでした。 幕府としても、将軍の判断に異を唱えたことを認める訳にはいきませんでした。 吉良上野介を処罰しなかったことから、武家社会の掟であった喧嘩両成敗を命じなかった将軍の落ち度ということになってしまうことから認める訳にはいきませんでいた。 結局、夜分に大勢で刀を振り回して江戸市中を騒がした、騒乱罪として切腹を命じられました。 つまり忠臣でも何でもないということです。 史実として例外事項が沢山ある相当に無理がある経緯ですので、「どこか変だよね」と言ってもおかしいことにはなりません。 経緯について蘊蓄を傾けた小説やエッセイが沢山あります。 蛇足 吉良上野介は地元では治水などをした領民にとっては名君でした。 現在吉良邸の跡地の一部が小さな公園になっていますが、上野介は名君として座像などが飾られています。 吉良上野介の領地であった吉良地方では忠臣蔵の映画が上映されることがありません。
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- rikimatu
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吉良上野介が、「勅使饗応役」の件で 畳だとか服装だとか嘘教えた事になってますが、 普通に考えたらおかしいですよ。 仕事で接待することになって上司が喪服で聞けと言われて行ったら相手が怒って責任者は誰だみたいになるから そんなリスキーなことはしないですし テロ行為を美化しているのだからおかしな話ですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- eroero4649
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事の発端は浅野内匠頭が松の廊下で抜刀して吉良上野介を斬りつけたことです。芝居の「忠臣蔵」ではイビられたとか、あるいは俗に賄賂が足りなかったので作法を教えてもらえずに困ったとかアレコレいわれていますが、その「吉良上野介が嫌なやつ説」は近年否定されつつあります。吉良藩の地元じゃ名君として現代にも語り継がれられているということですしね。 で、近年有力視されているのが「浅野内匠頭は頭がイッちゃってた説」です。どうもかなり気難しくてエキセントリックなお殿様だったらしいというのが伝わっているのです。 公式記録では、浅野内匠頭が「この間の恨み、覚えたるか」と斬りつけるときに叫んだとあるのですが、その肝心の恨みってのが何を指すのかが未だに分かってないのです。浅野内匠頭がキレた理由が分からないのです。何しろ取り調べも行われないまま、こっちもエキセントリックな性格の将軍綱吉が激怒して即日切腹を命じてしまったからです。 現代人の感覚からすれば、何の思い当たる節もないのに突然キレられて斬りつけられてケガまでさせられたのに、片手落ちだとかいわれて復讐(テロ)に来られたんじゃたまったものじゃないかなと思います。 でもまあ私も飽きずに年末になると忠臣蔵の検証番組とかドラマとか嬉々として見てしまうのですけれど・笑。
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ご回答ありがとうございます。
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