- ベストアンサー
忠臣蔵について
もうすぐ、忠臣蔵の討ち入りの日になりますが、何故、浅野内匠頭が松の廊下で刃傷沙汰に及んだのか? 最新の信頼できる説では、どのような理由となっているのでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
信頼できる説はイマイチわからないのですが ただ言えるのはテレビなどであるようなイジメはないだろうと言われています。 何故かと言うと、基本的に現代と同じで接待の時にああいう間違ったことを言って失敗となったら責任者は誰だという話になり、指南役の吉良上野介頭の責任になり切腹と言う話になるからそういうリスクは犯さないし、実をいうと浅野家でも一度この接待をやってるらしくこういう作法は知ってたみたいです。 これも作法と言うのは滅多なことでは変わらないらしく、新井白石の時代に変えようという話になって大問題になったという話になるくらい変わらないらしいです。
その他の回答 (2)
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.3
最近の説では、浅野内匠頭がエキセントリックで神経質な人だから、発達障害の発作みたいな感じでキレたんじゃないかっていう感じになっていますね。つまり、他人からして納得できる理由がある訳じゃなくて、精神的に不安定な人がメンヘラを発動させたんじゃないかって話です。 ちなみに討ち入りがあったのは、元禄十五年十二月十四日ですが、これは旧暦(太陰暦)であり、これを新暦すなわち太陽暦に変換すると、1703年1月30日になります。だからこの事件は、本当は1月下旬の事件なのです。
質問者
お礼
1月下旬ですか…それなら、新年明けやらぬ頃に討ち入りの話となるので、ちょっと今までとは雰囲気が違ってくるかもしれませんね。それと、そんな原因なんですかね…なるほど。ありがとうございました。
- sknbsknb2
- ベストアンサー率38% (1158/3030)
回答No.1
本当の理由は浅野内匠頭にしかわからないので、信頼できようができまいが全て仮説です。 個人的なことなので、そっとしておいてあげてください。
お礼
そうなんですか。なるほど。ただ、自分は、おそらく、西の地域に住む人間からしたら、愛知の吉良上野介のトゲのあるように聞こえる東国の言葉使いに逆上したのではないか、と思っています。この構図は、今でも多分、あると思いますので。ありがとうございました。