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文民統制
日中戦争時の当時の日本政府に好戦的な発言をする陸軍 海軍大臣はいたのでしょうか? 回答願います
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第二次・第三次近衛内閣で陸軍大臣を務めた東条英機は、対米開戦を主張するイケイケ派でしたよ。その東条英機が首相になることで、日本は対米戦争に進むこととなります。 海軍はどうだったのか?政治には基本無関心の帝国海軍ですが、太平洋戦争は海軍の戦争なので、いかに陸軍がイケイケになっても海軍が首をタテに振らなきゃ戦争はできません。 意外に思うかもしれませんが、初戦の大勝利に沸いた海軍関係者が戦略会議の席上で「次はハワイ上陸作戦を考えといてください」「それともオーストラリアに行っちゃおうか」と上機嫌で尋ねたら、陸軍関係者は「そんなの、補給が続かないですよ」とニベもなくはねつけたって話があります。
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- ithi
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myselfout さん、こんばんは。 軍人に大きな発言権を持たせると好戦的な国家が出来上がるという事です。
- ithi
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myselfout さん、こんばんは。 それがきっかけで、太平洋戦争に発展したと考えられますか? 軍部の壁というのはとても今よりも厚かったと思います。軍部大臣現役武官制という壁から、軍政事項ですら、機密にするような妙な雰囲気もありました。(それでも元老が生きていた時代はそうでもなかったのですが) それから、内閣総理大臣の権限です。大日本帝国憲法では国務大臣の一人としか掲げられていない。つまり一人大臣が辞表を提出するだけで、総辞職のような感じになる。つまり第2次西園寺内閣における上原陸相の2個師団増設問題に絡んだ軍部の倒閣運動ができるように昭和11年に広田内閣の時、復活しました。この時の条件が陸軍大臣を出してくれることというのは何とも皮肉です。もう一つは統帥権です。この事項については天皇以外は陸軍参謀総長と海軍軍令部総長の二人の軍令トップが天皇を助けることになっていましたが、この軍令事項についてはすべて機密事項となり、総理大臣でさえ、知ることが許されないというかたちになりました。(東条英機や島田繁太郎は軍政及び軍令のトップを兼ねることでこの壁を破ることを考えたけど、所詮軍人だから、考えることが限られていた。) 軍部大臣現役武官制 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%83%A8%E5%A4%A7%E8%87%A3%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E6%AD%A6%E5%AE%98%E5%88%B6 統帥権 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
補足
つまり?
- ithi
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myselfout さん、こんにちは。 もともと志那が弱いと考えるようになったのは満州事変を起こした板垣征四郎とその下の石原莞爾でしょう。日中戦争時の陸軍大臣、杉山元も拡大派だったようです。海軍は陸軍の冒険主義に乗っただけです。ただし、米内光政もどちらかというと拡大案に賛成だったようです。 板垣征四郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E5%BE%81%E5%9B%9B%E9%83%8E 米内光政 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%86%85%E5%85%89%E6%94%BF 石原莞爾 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE 杉山元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83
補足
それがきっかけで、太平洋戦争に発展したと考えられますか?
補足
戦前はイケイケな陸軍が戦争が始まると手のひらを返すように以後の展開に慎重になるとは意外どころか情けないですね しかし、日中戦争時に対米戦を主張するや本当の敵を見定めた陸軍は当時の情勢を冷静に判断したのは素晴らしい。