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ジェット軍用機「橘花」の製造技術は生き延びた?
終戦間際、試験飛行のみで終わった旧海軍の橘花に搭載されていたジェットエンジンの技術は何かの形で戦後生き延びたのでしょうか。秋水のロケット技術のその後の運命についても教えていただければ幸いです。
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kaitara1 さん、こんばんは。 戦時中のジェット機の技術は橘花のエンジンがアメリカ軍に接収され、ノースロップ工科大学から貸与という形でIHIに飾られているそうです。 秋水は明らかに特攻用だったようです。一機がアメリカの博物館で飾られています。 秋水 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%B0%B4 橘花 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E8%8A%B1_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
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- ddtddtddt
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戦争末期の最悪の環境で、デッドコピー出来ただけでもすごいと思いますけどね。 すいません。ジェット技術については知りません。 >・・・解除されてYS-11の開発となり、何かと美談調で語られますが・・・ これには賛成。 >YS-11が傑作機か駄作機かと問われれば残念ながら駄作機で、・・・ YS-11はある意味で名機です(あくまである意味で)。それは終戦直後のかなりの最悪環境の中での、出来得る限りのミニマム解答だったからです。特に乗客数の設定が、当時の経済状況にベストマッチしたものでした。 技術的には、隼(だったっけ?)の製造技術の素養があったので、独自設計が何とかなったというのは、本当みたいです。 >・・・後継機も作られることはありませんでした。 それはそうです。その後時代は変わりました。
お礼
YS11は別の意味で興味がありますが…
- eroero4649
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橘花はMe262の、秋水はMe163のデッドコピーですからね。しかも「実物が手に入らないから写真を見てそこから再現した」みたいな、ソ連の軍艦を再現するモデラーみたいなことをやっていましたからね。 戦後は日本は航空機を作ることそのものを禁じられたので、そこで技術は一旦途絶えてしまいましたね。その後ようやくアメリカから解除されてYS-11の開発となり、何かと美談調で語られますがYS-11が傑作機か駄作機かと問われれば残念ながら駄作機で、後継機も作られることはありませんでした。 日本の航空機開発史は、欧米から遠く離れたアジアの地で、周囲に刺激になるような技術力を持った国が全くない状態で独力であそこまで昇りつめたのですからまあ大したものではないかなと思います。ちなみに海軍と陸軍とどっちが優れていたかというと、私は実は陸軍のほうが優れていたと思います。
お礼
ジェットエンジン製作に携わった技術者がその後どういう分野で活躍したのか知りたいとも思います。設計図を見れば作れるものではなかったと思いますので・・・、
お礼
飛行機そのものより製作に関係した技術者がその後自分の技術をどのように生かしていったかも知りたいと思いました。