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日本人が仏教で仏陀やお墓に花を供えるヘンテコな仏教
- 源信が作ったと思われるヘンテコな仏教の礼儀作法
- 源信の妄想癖から爆発した現代の仏教の礼儀作法
- 源信の教えを取り入れた理由は金になるから
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質問者が選んだベストアンサー
blackkigyou2017 さん、こんばんは。 日本では永承7(1052)年に末法の世が始まるといわれ、人々は不安を阿弥陀如来に救ってもらおうとしたので、浄土教思想が上は貴族から下々まで、流行しました。源信はその教えを広めるために往生要集という極楽に行くマニュアルまで書いたのです。極楽に行きたければ念仏を毎日唱えることで行けるという専修念仏の仏教の教えのわからない庶民に対する教えだから、必ずしもそうではないんですね。ただ、道長に気に入られたのがお金が入る結果になりました。 往生要集 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86 浄土教 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E6%95%99 源信 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E4%BF%A1_(%E5%83%A7%E4%BE%B6)
その他の回答 (3)
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
そもそも 墓前に花を供えるのは元々神道のやり方 それを仏教と混同しちゃったのは日本人の無宗教観のせいです
お礼
ありがとうございます
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
ネパールとかの寺院で市民が持ち寄る花の束が膨大に積みあがっているのを見たことがあります。 現世の功徳を来世に積むためのようです。 お金のない人にご飯をつくって無料で食べさせたりする。これも来世への功徳です。 坊さんが托鉢といって、わずかの米やら小銭をもらいに来るのは、来世への功徳を回収にくる役割を果たしているわけです。おー、おー、と叫びながら京都市内を歩き回る彼らが金もうけでやっているとは思えない。どう考えても使うエネルギーのほうが大きい。 突然なぜ源信と言う名前がでてきて、それ以前にはそんな習慣がなかったと断定された上、日本以外にはないと断定されるのか、私には理解できません。近隣のアジア諸国の寺院を訪ねてごらんなさい。
お礼
ありがとうございます
- teki-10
- ベストアンサー率33% (2/6)
供え物や花が、解脱や悟りへの道に繋がっているわけではないでしょう。仏道修行にはならない。であるからこれを「教え」とすること事態に疑問があります。 金儲け・・・って、誰が儲かるんでしょうね? 花屋と饅頭屋? そもそも仏教と葬式って無関係だったはずです。葬式仏教になったこと自体が、寺院の金儲けの始まりでしょう。
お礼
ありがとうございます
お礼
ありがとうございます 詳しいですね 博学です