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仏教における極楽について
今、仏教について興味があり、勉強しているのですが、「極楽」のところでいきづまっています。 仏陀のお教えでは、煩悩と言う欲は、人を迷わせるものであり、断ち切らねば、涅槃には入れないとあります。 ですが、仏教で言う天国、極楽は、花が咲き乱れ、きれいな家やおいしい食べ物があり、自由に生きられる世界だとあります。 この二つは、大きく矛盾していないでしょうか? 友人などに聞くと、「一般庶民に布教するために、何かしらの拠り所が必要で、極楽はそういうもんだ」と言われます。 本当にそんなものなんでしょうか?世界的宗教である仏教の教えがそんなものであるとは、私には思えないのです。 どうか教えて頂けませんでしょうか? よろしくお願いします。
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この問題はそれぞれの宗派の教義によってことなるでしょう。、「一般庶民に布教するために、何かしらの拠り所が必要で、極楽はそういうもんだ」というのも一理あります。 以下は私の立場における見解になりますがご容赦ください。浄土系の方の書き込みも期待します。 まず第一点として、阿弥陀経にはおっしゃるような極楽世界が説かれています。ここは、阿弥陀如来が住んでいる世界です。 この場所はキリスト教で言うところの天国とは異なります。ゴールではないのです。 仏教の最終目的は自身が仏になることです。 極楽は環境がとても良く、修行にとても適した場所です。亡くなって仏となることを目指す人々は、この素晴らしい場所で、修行をつんだ後に仏となるのです。 次に本来的な解釈をすれば、浄土にも来世浄土(極楽を含む)、浄仏国土、常寂光土というのがあり、中国天台宗の祖である天台大師は、来世浄土を能力の低い者のために仮(方便)に説いた世界だとするのです。 絶対的な仏の世界が常寂光土であると考えます。 これは、来世ではなく、現実の世界そのものの中にあると考えるのです。 しかし、欲の世界に生きているわれわれ凡夫が理解するためには、現実的な素敵な来世が待っているとした方がわかりやすいのです。仏の世界である浄土は、本当は欲望も、また欲望の対象となるものも一切ないのです。
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期待に沿えそうなのは、かえって、漫画なんかどうでしょうか? 手塚治虫さんの書かれた、シャカとか。 シンプルなものを、読まれた方が、解り易いと思います。世界宗教といっても、捉え方は、各国、各人バラバラですよ。自分の生活範囲でしか理解できませんから、ネパールへ行って、水で手を洗いましょうと言っても、そういう習慣のない彼らには、衛生確保のため、貴重な水は使いません。 まず、まんがが、面白いですよ。(参考まで) 真理は、頭で考えるものでなく、感じること。
お礼
手塚治虫さんの「ブッダ」は既に読みました。おもしろいですよね。 「真理は、頭で考えるものでなく、感じること」ですか。なるほど。 多くの本を読むより、ここで教えて頂いたことで、とても理解できたような気がします。 本当にありがとうございました。
- gyo1234
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ジャ-タカは、中村元先生による全集があります。 ジャータカ全集 春秋社 また仏教説話体系 ジャータカ物語 鈴木出版もあります。 釈尊仏教の目的は解脱です。 解脱というのは苦の世界から離脱することです。 この世は四苦八苦などと申しますが、極楽の名前の通り、極楽には一切の苦がないわけです。 極楽は苦しみの無い世界を想定した時に生まれた考えで、釈尊のもともとの思想には存在していません。 仏がいる国土というのは、大乗仏教になって初めて想定されました。 また、原始仏教では、自己の解脱は自己の努力によって得るしかないと考えたのです(自力)。 しかし、自己の努力に挫折した人たちが、新しい他力の教えに走ったのです。 またこの思想はインドの起源である説と、ユダヤ教の影響を受けたという説もあります。 詳しくは『須弥山と極楽』 定方晟 講談社現代新書 を読んで下さい。名著です。初版から30年以上たっていますが、現在も売られています。 仏教というのは様々な人々をいかに救済するかということを2000年以上に渉って、必死に考えてきたのです。 そのうちの一つの方法が極楽浄土の思想であり、これが仏教のすべてではありません。 時に矛盾する思想を含む時もありますが、これらも、仏教が努力してきた過程をあらわすものなのです。
お礼
詳細なご説明、ありがとうございます。 ジャータカ物語などは、揃えるとちょっと高くて手が出ないですね。もうちょっと探してみたいと思います。「須弥山と極楽」は早速発注しました。 2000年以上にわたる熟考の末に産まれたのが、今の仏教な訳ですね。悩んできた過程がそのまま教義に現れているということですか。なるほど、勉強になりました。
ジャータカ物語は、釈迦前世論です。 ネットで、ジャータカで検索してください。 黒猫ヤマトのブックサービスでもセブンイレブンのでも、検索可能。後者なら送料無料です。
お礼
ありがとうございます。 Amazonで検索しましたが、なかなか良い本が見つかりません。
釈尊の教えといえば、ニョゼーガーモンってお経が始まるわけだから、取り方はいろいろですが、どれも真意なんでしょう。ニョゼーガーモンなんだから。。。 で、一番基本的には、仏教伝道協会の書籍が、各宗合同で監修していますので、平均的だと思います。一度お読みください。仏教聖典だけでも、200円から500円くらいです。「諸行無常」の真理とかは、やさしくは、ほらあなのたくさんのろうそくの長さ、太さ、いきおいの違いの話なんか、有名ですよね。1本のろうそくが消えたとき、だれかの命が終わったということだ。と、いうはなしや、貧者の1灯とかの話とか。この辺のジャータカ話になると、釈迦前世の話ですから、学問としての仏教とか釈尊論とかとは、また、違いますよね。 中国仏教や朝鮮仏教の影響も受け、日本仏教がありますから、宗派論は、別々ですけど、インド仏教と釈尊論とも違うのですね。 一度、仏教聖典は、読まれても良いと思いますが。。。。。
お礼
詳細なアドバイス、誠にありがとうございます。 仏教伝道協会発行の「仏教聖典」は読みました。でも、なんかいろんな宗派の思想がごっちゃまぜみたいで、余計によくわからなくなりました。。。 例であげておられる「ジャータカ話」というのは、どういう本で読む事ができるのでしょうか? よろしくお願いします。
釈尊の教えは、早く死に至り、極楽へ行くことを、良しとしていない。 出来るだけ、長く生きることを求めているまた、他の宗教にあるように神のしもべということはない。 自己を持って、長く生きよと言っている。 すなわち、他人のために、菩薩行をすることは、自分のためにやっていることになる。 涅槃経には、欲を捨てよと書いていない、少欲知足と書いてある。拠り所は自己であり、精一杯の菩薩行をすれば、過去の功績も未来への期待もできてくるものだと。よって、極楽涅槃の境地へ行くには、まず自分がしっかりして他に対し、施すことで、釈迦が死んでも、この意はこれから永久に未来に語られるだろうと予測している。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仏教では、これは確かに宗派によって違うと思いますが、生きる事に対し、長い短いのく別はないように思っておりました。それが「諸行無常」の真理であると私は考えていました。 煩悩につきましても、宗派によると思いますが、捨てるのではなく、無意味な事だと知る事が重要であるというのが、釈尊のお教えであろうと考えています。 宗派が多様なので、解釈もそれぞれだと思いますが、実際の釈尊のお教えはどれなのかというところを知りたいと思っています。
お礼
わかりやすいご回答、ありがとうございます。 極楽と涅槃は異なるのですか。涅槃に入るための修行の場の一つであるということですね。なるほど。
補足
こういう考え方は、おっしゃる通り、宗派の教義によると思います。今、私が知りたいと思うのは、後の尊僧の方々が付け加えられたものではなく、本来の釈尊のお考えはどういうことなのかというところです。 そういう点について、書かれた書物というのは存在するものでしょうか? よろしくお願いいたします。