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特定性の論理的な判定方法についておたずねします
---特定性の論理的な判定方法についておたずねします。 たとえばテーブルの上に箱があって、その箱の中に同じ大きさのの赤玉1つ、青玉1つ、白玉1つ、黒玉1つというふうに合計4つあって、そのことを部屋のいる全員が知っているとします。 そこにいたある人が箱の中の赤玉を取り出そうとしたとします。 この時、その人が取り出そうとした赤玉は特定の玉と見なしていいのでしょうか。 箱の玉が4つとも同じ大きさの赤玉だとしたら、 赤玉を取り出そうとしたとき任意の玉を取り出そうとしていることになると思います。だから、一つ一つの玉の色が異なっていれば、特定の玉と見なしていいと思うのですが、いかがでしょうか? この問題をもっと具体的な場面に変えて問い直します。実はあることで知人と議論になりました。四季は春夏秋冬というふうに区分されていますが、季節という共通の上位カテゴリーを持ち、かつそれぞれが非常に異なった性質を持っています。今、四季のなかの夏を特に話題にするとき、特定の季節を取り上げることになるのでしょうか? 知人は、季節という共通の上位カテゴリーを持ち、かつそれぞれが非常に異なった性質を持っていることによって、相互に対照的(対立的)な関係が生じている。その関係から個々の季節が特定化されるのだと言います。一見、それらしい考えのようにも思えるのですが、どうも腑に落ちません。 相互に対照的(対立的)な関係が生じていると判定する根拠は、季節という共通の上位カテゴリーを持ち、かつそれぞれが非常に異なった性質を持っていることにあります。でも。これは、例えば夏が4つの中で唯一の特定のものであることの根拠でもあるはずです。 だとすれば、対照的(対立的)な関係が生じていることに言及することは、特定性を判定する際に遠回りをしたことになると思います。というか不要の議論だと思うのですが、いかがでしょうか? もっと言えば、個々のどの季節も4つの中で唯一の特定のものであるという事実が、4つの相互の対照的(対立的)関係を成立させるのではないかと思います。だとすれば、相互に対照的(対立的)な関係が生じていて、その関係から個々の季節が特定化されるのだという言い方は一種の循環論法のようにも思えてきます。いかかでしょうか? また、こうも言えそうな気がします。4つの季節間の差異に注目するからこそ対照的(対立的)な関係が見えてくるのであって、差異に注目せずに、単にある季節を取り上げて述べるとき、対照的(対立的)関係は目に入らないはずです。 その場合は、特定性の判定の根拠は、個々のどの季節も4つの中で唯一のものだからということでよいと思うのです。いかがでしょうか?
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- sunabo
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上位のカテゴリに言及し、かつ、特定したいもの以外のすべてを 特定するとうまくいくこともあるようだ。論理的っていうのを言 葉とする。 no.2の回答を理解する時、論理的っていうのを言葉とすると、ソ シュール思想を連想してしまう。参考URLの、ソシュール思想の 解説で引用している丸山圭三郎『言葉とは何か』 https://www.amazon.co.jp/dp/4480091459よりの引用を孫引用す る。 ーーーー孫引用しますーーーー 「たとえとして、箱のなかにびっしりつめこまれた饅頭と、同 じ大きさの箱のなかに押しこめられている風船を想像してくだ さい。その風船は、ただの風船ではなくて、圧搾空気が入って いるものと仮定します。さて、饅頭の場合は、そのなかから一 つ取り出して箱の外においても、当然そのあとに空隙ができる だけで、箱の外においても、当然そのあとに空隙ができるだけ で、箱のなかの他の饅頭どうしの関係は変りません。(略)。 ところが、技術的に可能かどうかという問題はさておき、圧搾 空気をつめた風船の場合は、箱のなかでしか風船の大きさがな い事実に注目してください。もしそのなかの風船を一つ外に取 り出すと、当然ながらパンクして存在しなくなってしまいます。 また、それが箱のなかで占めていた場所も、空隙となってその ままぽっかり穴を残すことはあり得ず、ひしめきあっているあ との風船すべてがふくれ上がってそのすき間をあっというまに 埋めてしまうことでしょう」P133より ーーーー孫引用終わりーーーー 箱と饅頭、箱と風船のたとえだと、画像添付では、物理的制約を 連想して饅頭Cと饅頭D、風船Cと風船Dが入れ替わったりしない 。とか、風船Cと名前を付けて、風船Cはいつも風船Cです。と思 ってしまうがそれら2点は疑っていきたい。 箱と風船の考え方だと、箱と特定したい風船Cへの言及だけでは うまくない。他の風船の膨らみ具合がわからんとうまくない。箱 と風船C以外のすべての風船を特定すると、特定したい風船Cに 特定性がでる。 特定性ってなに?それは極端な構造主義の人が言う構造である。
- atomonados
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こんにちは。 「四季の一つが他の季節に対立する」 この事は、例えば「紅葉が見られかどうかで、 秋が他の季節に対立する」と言えると思います。暦の四季の区分は言わなくていいから「紅葉の秋」とでも言って特定しておくといいのではないかと思います。話者の主観の中に湧いている秋のイメージは、辞書で説明されているより具体的で、生きた意味を持っていると思うんです。
- sunabo
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知人の論は、季節={春,夏,秋,冬}上の階層の季節で取りまとめて、 これで全部っていっとこう。そんでもって春={3月,4月,5月} 夏= {6月,7月,8月} 秋={9月,10月,11月} 冬={12月,1月,2月}で同じ階層 の春夏秋冬どもの特徴を比べれば違いがわかるって感じかな。 3月=6月、4月=7月、5月=8月だったりすると春=夏になってちが わなくなっちゃうので、そんなに正しくもないんだな。 no.1は知人の論を言い当てられたみたいでよかったです。それが 正しいかどうかはわからないです。正しいとしても質問者様が間 違ってるって事にはならないです。別の特定性がありそうだぞと 質問者様は踏んだわけで、そこを考えるのがおもしろいところだ と思います。 こういうのはどうか?個有名。2001夏、2002夏、2003夏、2004夏 。とりあえず、0000から9999まで10000個の夏の特定性が言える。 10001個目の夏の特定性は言えんという限界がある。4桁の0~9の 数字で特定できる。たぶんこれも的外れだな。 頭の中に夏を思い浮かべる。ってのと、頭の中に4個の夏を思い 浮かべるってのがあって、4個のと思って思い浮かべちゃうと自 動的に特定性がでてしまうというのが質問者様の考えに近いかも 。4個の夏と思って頭に思い浮かべちゃうとあの夏、この夏、その 夏、あっちの夏って感じで自動的に特定性がでる。って感じの論 なのかも。それがうまく言葉にできんわって感じなのかも。ただ、 銀行口座に2円残高があって、1円と1円があるって考えると、同じ 1円だね。でも違う1円でもあって、同じ場所?に1円が2個ある。 合わせて2円になる。 知人と質問者様の対立点がわからない。 あと季節と夏は違う。階層が違うから違う。これはno.2が最後の 2行でちょっぴり触れている。no.2の構造主義の話がもっと詳しく 聞きたいね。わっふるわっふる。
補足
---知人と質問者様の対立点がわからない。---とのことですが、基本的には大きな対立点はないと思います。 「知人の論は、季節={春,夏,秋,冬}上の階層の季節で取りまとめて、 これで全部っていっとこう。そんでもって春={3月,4月,5月} 夏= {6月,7月,8月} 秋={9月,10月,11月} 冬={12月,1月,2月}で同じ階層 の春夏秋冬どもの特徴を比べれば違いがわかるって感じかな。」 --とのことですが、その通りだと思います。 質問者である私は、春と言うとき、{春,夏,秋,冬} のうちの一つであることは、常識的に自明であって、春は4つの枠組みの中に一つしかないわけだから、特定の一つに決まるはずだと考えました。わざわざ、他の季節と対照的に特定化されるなどと言う必要はないのではないかという気がしたのです。 でも、わざわざそのことに言及しなくても、そのことを意識のどこかで確信しているわけだから、結局、「他の季節と対照的に」という言葉を使ったかどうかの違い、上位カテゴリーの存在に言及したかどうかのちがいでしかないような気もしています。 知人の言うように、枠組み(上位カテゴリー)についても一言触れておかなければならないのでしょうか? 循環論法うんぬんは私の言い過ぎでした。その件については、NO4の回答者に対する補足コメントで記しておきました。 さて、そうなると、特定性の根拠として、質問者である私と知人の論拠は同じだと言うことになりますが、他にも特定性の根拠があるかも知れません。 「こういうのはどうか?個有名。2001夏、2002夏、2003夏、2004夏 。とりあえず、0000から9999まで10000個の夏の特定性が言える。 10001個目の夏の特定性は言えんという限界がある。4桁の0~9の 数字で特定できる。」---についてですが、そうした名付けを行えば確かに特定性が言えるでしょうが、現実の世の中においてそのような固有名はまだつけられていないので、特定性は言えないはずです。 ただし、こういう考えはありかなという気がします。 {春,夏,秋,冬}という概念の枠組みにおいて、例えば、この中の夏の位置には春や秋や冬は入らないと考えれば、これまで言った議論と同じです。 {春,夏,秋,冬}という概念の枠組みにおいて、例えば、この中の夏の位置には、無数の夏が持つ差異を捨象したいわばプロトタイプ的な夏が入る。プロトタイプは一つしかないので特定のものと見なされる。これはどうでしょうか? {春,夏,秋,冬} というとき、普通は暦の上での季節について言ってるわけで、個々の夏の差異は捨象されるはずだと思うのです。 この論法が成立したとしても、なおも、他のプロトタイプ(春,秋,冬) との対立関係から特定化されるとも言えますが、すでに特定化が言われた後なので、あまりインパクトはないと思います。
- atomonados
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こんにちは。 赤い箱と青い箱を作って、赤い玉と青い玉をその中に入れる事でふり分けると考えて下さい。同じ色という言葉で箱の話、玉の話をしているように見えます。知人にとっての夏は赤い箱、あなたにとっての夏は赤い玉に対応しています。 知人は、主体の心の中に概念の枠組みが確かなものとしてある事が大事なことと意識しているのでしょう。日常会話でこれに言及しているなら、確かに遠回りな話し方ですね。夏に限らず、すべての体験は唯一無二の特別なものだと思いますよ。抽象の夏と具象の夏の違いというところでしょうか。 ということは… 差異はもともとあるのだから、むしろ共通点を見つける方が大事なことなのかもしれませんね。それは具象から抽象の道です。そしてより抽象的な概念へとたどりついて、それによる矛盾対の枠組みを作る。それが論理的分類箱になり、差異を見つけるための道具になります。 こんな循環ですね。論法の循環は同一論理領域で言われることです。今の場合は箱と玉という別の論理領域ですから循環論法だとは思えないですね。2相の論理世界(領域)で同じ概念を用いてるので循環論法に見えるんでしょう。論理領域を決めて意識しておく事は大事なことと思います。
補足
---回答ありがとうございました。 「概念の枠組みが確かなものとしてある事が大事なことと意識している」ということは確かにそうだろうと思います。例えば、春・夏・秋・冬を対照的なものととらえてその差異に言及するとき、上位カテゴリーである季節という枠組みが意識されていなければなりません。 春・入道雲・紅葉・2月の組み合わせだと対立関係を見いだすことは難しいですからね。春・夏・秋・冬と言えば、普通は上位カテゴリーが季節であることは常識的なことなので、あらためて枠組みを意識する必要はないのかなと思ってしまったわけです。 たしかに、論法の循環という言い方は言い過ぎでしたね。不要の議論だという言い方も取り下げようと思います。 「特定性の判定の根拠は、個々のどの季節も4つの中で唯一のものだからということでよいと思うのです。いかがでしょうか?」と書きましたが、個々のどの季節も4つの中で唯一のものであることの判定は、厳密に言うと、他の3つの季節と対立的にとらえた上でなされると言うべきなのでしょうか。 逆に言えば、日常的な会話においては、そこまで言わなくても、個々のどの季節も4つの中で唯一のものだからということでよいのでしょうか
- 雪中庵(@psytex)
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同じ「赤玉」でも、原子レベルまで分析して全く 同じという事はありません。 換言すれば、「原子レベルまで分析」するだけの 精密な目がないために同じに見えているだけです。 たとえば、トランプの札を切っている時、最初の 整理された状態から「どんどんランダムな状態に なっていく」=エントロピー増大という方向性が あると考えられていますが、その「最初の整理さ れた配列」と「ランダムな配列のうちの1つ」の 発生確率は、同じ「53の階乗分の1」です。 それなのに「ランダムな配列になっていく」ように 見えるのは、我々の認識力の低さで「ランダムな 配列の要素」を1つ1つ識別できず、『ランダムな 配列』と1くくりにしてしまうために、その要素 それぞれの確率が足し合わされて、大きな確率に なってしまっているだけなのです。
補足
ご意見参考にさせて頂きます。
- ddtddtddt
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極端な構造主義で行きます(^^;)。 構造主義では、最初に差異と関係性ありきです。差異を感じ、関係性に気づき、そこから意味と個体(特定)が生じます。 なので夏夏夏夏なら季節という上位概念はなく、「夏夏夏夏」という個体があるだけです。「夏夏夏夏」という「個体」はどこから発生したかって?。 それは(反則で上位概念を使えば)、「季節」という個体とそうでないもの達との、差異と関係性からですよ。
- sunabo
- ベストアンサー率35% (24/67)
論理的というよりは、物理的判断になるので、回答としては的外 れかも。参考URLの本にこうあった。 ーーーー引用しますーーーー 机の上に新品の百円銀貨が2枚あるとしよう。常識的には、わ れわれはまずそれらを<同じ>とみて、<違う>とはみない。な ぜか。もし、<違う>と見ようとすれば、各硬貨の光沢の部妙な 違い、、模様の微妙な違い、丸みの微妙な違い、等々を数え上 げねばならない。しかし、そのような枚挙はある程度までしか 可能ではない。<ちがい>を指摘する簡単な方法が一つある。そ れは各硬貨の置かれている<場所が違う>ということである ーーーー引用終わりーーーー 同じ時、同じ場所には夏だけが来て、他の季節は来ないってこと が判断基準なのかも。ただ、カテゴリ分をするってのが、論理的 判断基準ってのも、うなずけるところがあるかも。 季節={春,夏,秋,冬}ってかんじかな。または、外延性の定理で、春 ={3月,4月,5月} 夏={6月,7月,8月} 秋={9月,10月,11月} 冬={12月,1月, 2月}ってなかんじで、夏={6月,7月,8月}なので{}の中身が春や秋や 冬とちがうってなふうにうなづけるかも。
補足
同じ時、同じ場所には夏だけが来て、他の季節は来ないってこと が判断基準なのかも---ということは、その場所には夏以外の季節が排除されるわけだから、結局、私の知人の主張<相互に対照的(対立的)な関係が生じていて、その関係から個々の季節が特定化される>という言い方の方が正しいということでしょうか。
補足
ご意見参考にさせて頂きます。