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夏の魅力についての考察
- the summerは総称表現か他季節からの類別かについて考察しました。
- 夏についての総称表現は、季節を代表する要素として把握される一方、他の季節との対立関係からも類別されるという解釈もできます。
- I like the summer best of all seasons.のthe summerが総称表現という根拠や、対比や類比を伴った文脈でのtheの使用についても考察しました。
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再々々度の「補足」を拝見しました。 @一般論においてflowersが主語の位置にある時は(例えば情報構造という観点からも)問題なく総称表現だと言えますが、目的語の位置にある時は、たしかに一考を要しますね。目的語の場合は、話者の気持ちや表現意図が文の意味に反映される可能性があります。ということは、使われる動詞や文脈次第で総称表現かどうかが決まるのではないかと思います。 ⇒そういうことですね。ダメ押し気味の付け足しになりますが、このようなことが現象する「からくり」を考えてみましょうか。英語には不定冠詞の複数形がありませんので、名詞の複数を示す‐sは「2つ以上の~」という意味を添えるだけですね。つまり、rosesと言うときの‐sは、more than one ~だけでなく、some ~, many ~, all ~などの語句が隠れている(それを意味する)可能性を含んでいることになります。(例えば、フランス語では、前3者は不定冠詞複数形で、最後の1者は定冠詞で示されます。)そして、このうちのどれを意味するかは、当のrosesの前後関係などによって規定されることになります。その規定が弱ければ、許容範囲は大きく(all ~に近く)なり、規定が強ければ許容範囲は小さく(more than one ~に近く)なります。ゆえに、例えば、Roses smell sweet.のRosesには何の規定もかからないので、all ~の意味付与(すなわち、総称表現)が許されるが、I love roses.のrosesは当然roses that I know and can imagine (≒some roses) という暗黙の規定がついていることになります。ということで、このI love roses.は、(第一義的には)「私の知る、想像できるバラ(が好き)」という規定を背負っていることになりますので、(これが総称を表すこともあることは否定しませんが)、総称を表す表現の見本としてはRoses smell sweet.などより格下、と見なさざるを得ない、ということになるわけです。 @(…)I love roses.:発話者の主観的経験上のいろいろなバラであって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるいろいろなバラが好き」。> 「知らない花は入っていない」と断言できるのでしょうか。自分が経験上知り得たものを超えてそれ以外のものでも、動詞や文脈次第で対象物にすることができるのではないかと思います。 ⇒「自分が経験上知り得たもの(花)を超えてそれ以外のものでも、動詞や文脈次第で対象物にすることができる」ことは拒否しませんが、言わんとしたのは、《「花が好き」ということを表明するときは、既知の花(だけ)に思いを馳せ、意識してそう言うのであって、また、それ(既知の花)のみをもって十分表現できる》という意味です。 @I hate books. という時、これまで自分が呼んだ本だけを言ってるわけではないと思います。好悪の感情は、物事に対する判断を未経験のものにまで推し進めるのではないかと思います。(…)I love roses. がこれらと同じタイプの表現であるなら、rosesは話者がこれまで実際に見聞きしてきたrosesのみを示すわけで、それ以外のバラを示せないということになります。(…)"Grammar In Use" でI love flowers. のflowers が総称表現であるとされるのはこのような意味においてだと思います。 というわけで、やはり、I love roses. は総称表現だと思います。いかがでしょうか。 ⇒前述のとおり、I love roses.のrosesは当然「自分の知る花ですが、必要とあらば想像でそれに付け加えられる花もある」でしょう。また、I love roses. が「総称を表現することがある」、ということは否定しません。ただ、「常に総称を表す」ということに異を唱えたいと思いますので、これを総称表現の見本のように扱うことには抵抗がある、という趣旨を申したつもりです。 例えば、books を材料にして考えてみましょう。I read books from now.は限定を表し、I read books when I have time.は総称を表していますね。しかし、単にI read books.と言っただけの場合はどうでしょう。これだけでは、限定も総称も指定していない、としか読み取れませんよね。つまり、文脈次第で限定・総称のどちらにも転び得る、という可能性が背後に控えているわけですね。したがって、何らの前提なしに総称の例としてI read books. / I love roses.などを挙げるのは、少々不適切と言わねばならないと思う次第です。その場合には、例えば、Books are useful for me. / Flowers are lovely more or less.のような例をこそ挙げればいいわけですから。 @(…)roseが数えれるものと強く意識されるようになって不定冠詞がつけられるようになりました。この時点で定冠詞と複数を表す- s -は既に登場していたようです。そして、a rose, roses, the roseを使って、実物のバラも総称的なバラも表現できるようになりました。その時点で、もともとの概念であるroseには実物のバラも総称的なバラをも指し示す働きを失ってしまったはずです。 ではI love rose. が現代英語の文中で使えるかということですが、おそらく列挙(リストアップ)する場合だろうと思います。列挙を表現する時はどの冠詞も使用可能ですが、その文中から冠詞が脱落したのではないかと思います。(…)ただし、目的語の位置で使われると主題化されやすいのでどうかなという気がします。 いかかでしょうか。 ⇒この段落、異論ありません。確かに、I love rose.と無冠詞単数形を用いることはあまりなさそうですね。(勝手な推測で申しますが)こう言うことがあるとすれば、もちろん無意識でしょうけれども、何となく「漠然と擬人化する(バラさんが好き)」とか、「物質名詞化の心理が関わるとき(バラ的なもの・バラ様なもの/バラ性が好き)」などの意味合いを感じているかも知れませんね。(主観ですので、無視してください。) 最後に余計なことを申しましたが、おかげをもって、これでお互いの見方がほぼ一致した、と見てもいいように思いました。
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- Nakay702
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「質問者からの補足」を拝見しました。以下のとおりお答えします。 @[1] ~[6]まで、私としてはおおむね異存ありませんが、〔6〕だけ少し気になります。 ⇒問題の語が「主語か目的語かで違いが出てくる」のだと思います(あとで触れます)。 @3パターン(a lion, lions, the lion)のどれもが必ず種族の全体を表すかというとそうとは言い切れません。(…)a lionとthe lionは文脈(一般的なことを述べていること)の支えがなければ総称的な意味は持ちません。lionsはと言うと、たいていの場合カテゴリーを表しますから、文脈の支えがなくても総称的な意味を持ちます。その意味で、総称性を表す際にa lionやthe lionより有利だと言えます。 the lionについて付言します。 たいていのネイティブスピーカーはThe lion is a wild animal. におけるthe lionについてこう言います。The lion means lions in general. / The lion is a generalized concept from lions. 個々のlion A, lion B, lion C ----が持つ差異を捨象した共通部分(代表・典型)がthe lionなのだとしたら、彼らの発言に問題はないと思います。 ⇒この段落で仰せの事柄は、全体的に異存ありません、すべて納得しました。 @英語圏を中心に世界中で読まれている文法参考書にも総称表現としてのthe roseはrosesを一般化したものだと記されています。 Grammar In Use (reference and practice for intermediate students of English) Raymond Murphy Cambridge Univ. Press のUnit 69で定冠詞が扱われています。そこにこういう記述があります。 The rose is my favorite flower. the rose = roses in general The giraffe is the tallest of all animals. the giraffe = giraffes in general @同書のUnit 70では複数名詞が扱われています。 We don't use the before a noun when we mean something in general: I love flowers. (flowers = flowers in general, not a particular group of flowers) ここでのflowersは、話者が見聞きしてきた花一般だけを指すのではないと思います。 ⇒I love flowers. のflowers が flowers in generalであって、a particular group of flowersではないという"Grammar In Use" の説明は分かります。しかし、これはいわゆる《総称表現を「帰納法的に」説明する》ためにI love flowers.という文でのflowersの意味すること「いろいろな花」を引き合いに出しているだけであって、これが即《文法上の総称表現を表しているわけではない》と思います。 したがって、発話者がI love flowers. と言う場合のflowersを指して総称表現だとするのは、機械的結び付け、短絡的解釈と言うのほかはありません。つまり、このflowersは、再三見たように、発話者の主観的経験上のいろいろな花であって、「私の知る/経験した/意識にあるいろいろな花が好き」という文脈上の花の意以外の何ものでもないと思います。そしてまた、「私の知る範囲の花」を意味するこの場合のflowersに知らない花が含むことを排除しないかも知れませんが、少なくとも意識の中には「知らない花は入っていない」でしょう。すなわちこれは総称表現などでなく、やはり「限定・総称の別には関知しない表現」である、と繰り返さざるを得ません。 一歩譲って、I love flowers. が総称を表すことは「絶対ないとまでは言わない」としても、少なくとも「常に総称を表す文の見本にはならない」と思います。では、文法上の規則に従った総称表現は何かといいますと、それはやはりI love the flowers.でしょう。もしも、これでは場合によってa particular group of flowersを表してしまうと言うなら、「確かにその意味を表すこともあるが、総称も表す」と答えることにはなりましょう。ただし、それとの「混同を避ける方法」があって、それは例えば、I love all the flowers. のようにallなどを補充すればよいだけです。 ここで、ちょっと遊びます。前便で、(the) summer(s)をめぐって一覧をまとめた時、 #限定を表す表現(文法+自分色の夏) #総称を表す表現(文法色の夏) #限定・総称の別には関知しない表現(自分色の夏) のカッコ内を書き添えるつもりでしたが、忘れていました。 ということで、この伝で目的語になる(the) rose(s) についてまとめてみます。ただし、この場合特に「色」なる語を具体的な花の色と混同なさらないようお願いします。(「調子・様相」といったニュアンスだとお考えください。) #限定を表す表現(文法色+自分色のバラ) 〔1〕I love the rose best of all flowers.:バラをいろいろな花から類別し、限定する。「他の花でなくバラが一番好き」。 〔2〕I love the roses best of all flowers.:いろいろなバラをいろいろな花から類別し、限定する。「もろもろの花でなくあらゆるバラ類が好き」。 #総称を表す表現(文法色のバラ) 〔3〕I love the rose.:代表を表す機能による総称。「バラ(というもの)が好き」。 〔4〕I love the roses.:強く全体を限定した結果としての総称。「すべてのバラが好き」。 #限定・総称の別には関知しない表現(自分色のバラ) 〔5〕I love rose.:発話者の主観的経験上のバラであって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるバラが好き」。 〔6〕I love roses.:発話者の主観的経験上のいろいろなバラであって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるいろいろなバラが好き」。 以上、前便の「夏版」をパロって「バラ版」をまとめてみました。まったく同じようなまとめの反復になってしまいましたが、まあ「自家版」二番煎ということでご寛恕ください。 さて、冒頭で、「問題の語が主語か目的語かで違いが出てくる」と思う旨を述べました。上では目的語になる場合をまとめましたので、ここでは、ようやく、「主語になる場合」をまとめます。 〈1〉A rose smells sweet. 総称:「バラは香りがよい」。 〈2〉The rose smells sweet. 総称:「バラというものは香りがよい」。 〈3〉Roses smell sweet. 総称:「バラはいろいろあるがどれも香りがよい」。 〈4〉The roses smell sweet. 限定:「それらのバラは香りがよい」。 上の段落に挙げた〔6〕のrosesと、この段落に挙げた〈3〉のRosesに注目してみてください。これにより、《rosesが目的語になる場合は、限定・総称の別には関知しないが、主語になる場合は、総称を表す》、ということを申しあげたいのです。いかがでしょうか。
お礼
ありがとうございました。
補足
再再度の回答ありがとうございます。 <⇒I love flowers. のflowers が flowers in generalであって、a particular group of flowersではないという"Grammar In Use" の説明は分かります。しかし、これはいわゆる《総称表現を「帰納法的に」説明する》ためにI love flowers.という文でのflowersの意味すること「いろいろな花」を引き合いに出しているだけであって、これが即《文法上の総称表現を表しているわけではない》と思います。 したがって、発話者がI love flowers. と言う場合のflowersを指して総称表現だとするのは、機械的結び付け、短絡的解釈と言うのほかはありません。> <上の段落に挙げた〔6〕のrosesと、この段落に挙げた〈3〉のRosesに注目してみてください。これにより、《rosesが目的語になる場合は、限定・総称の別には関知しないが、主語になる場合は、総称を表す》、ということを申しあげたいのです。いかがでしょうか。> --一般論においてflowerrsが主語の位置にある時は(例えば情報構造という観点からも)問題なく総称表現だと言えますが、目的語の位置にある時は、たしかに一考を要しますね。目的語の場合は、話者の気持ちや表現意図が文の意味に反映される可能性があります。ということは、使われる動詞や文脈次第で総称表現かどうかが決まるのではないかと思います。 <〔6〕I love roses.:発話者の主観的経験上のいろいろなバラであって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるいろいろなバラが好き」。> <「私の知る範囲の花」を意味するこの場合のflowersに知らない花が含むことを排除しないかも知れませんが、少なくとも意識の中には「知らない花は入っていない」でしょう。> --「知らない花は入っていない」と断言できるのでしょうか。自分が経験上知り得たものを超えてそれ以外のものでも、動詞や文脈次第で対象物にすることができるのではないかと思います。 話者が経験したものの集合のみを対象物とする動詞はたくさんあります。 I teach languages online through Skype. / I have dogs and cats at home. / I see birds on the tree. などにおいては、 languages, dogs and cats, birds のいずれも話者がこれまでに習得した言語、今飼っている犬猫、今見えている鳥を表しています。それら以外の個体には言及していません。 ところが、動詞がlike, love. prefer, hate, dislikeなどの好悪を表す場合はどうでしょうか。犬好きの人は、それまでの個人的な経験(犬を飼ったという経験)がもとになって犬一般が好きになるわけでしょうから、これまで飼った犬以外の犬も好きだと思われます。同様のことがバラ好きや子供好きにも言えるのではありませんか。 また、I hate books. という時、これまで自分が呼んだ本だけを言ってるわけではないと思います。好悪の感情は、物事に対する判断を未経験のものにまで推し進めるのではないかと思います。 また、Growing roses is easy for the biginners. / Are you intereseted in growing roses? というふうに動名詞句に組み込んでしまえば、難なく一般化が行われるのではありませんか。 さらに傍証に近いものを提示しておきます。 例えば、I'm going to drink water soon. という時、waterはカテゴリー全体のうちの部分を、すなわち実体を表します。量状名詞は総称表現ではないときは実物を表します。同様のことがφplural nounsにも言えると思います。 I I teach languages ---, I have dogs and cats ---. I see birds ---のいずれにおいても、対象物は現物です。 I love roses. がこれらと同じタイプの表現であるなら、rosesは話者がこれまで実際に見聞きしてきたrosesのみを示すわけで、それ以外のバラを示せないということになります。 I love roses. が対話において発話されるとしたら、一体どういう場面でしょうか。例えば、バラの展示会場ではこの発言は無意味です。 また、AさんがBさんにDo you like to eat apples?と尋ねた時、<apples>がAがこれまで食べた品種のリンゴだけを表すことはないと思います。 "Grammar In Use" でI love flowers. のflowers が総称表現であるとされるのはこのような意味においてだと思います。 というわけで、やはり、I love roses. は総称表現だと思います。いかがでしょうか。 --もう一つ確認したいことがあります。 <〔5〕I love rose.:発話者の主観的経験上のバラであって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるバラが好き」。> -roseが野や花壇に咲く花を表す概念として、また同時に実物として使われていた時期はたしかにあったはずです。でも、そのうちroseが数えれるものと強く意識されるようになって不定冠詞がつけられるようになりました。この時点で定冠詞と複数を表す- s -は既に登場していたようです。そして、a rose, roses, the roseを使って、実物のバラも総称的なバラも表現できるようになりました。その時点で、もともとの概念であるroseには実物のバラも総称的なバラをも指し示す働きを失ってしまったはずです。 ではI love rose. が現代英語の文中で使えるかということですが、おそらく列挙(リストアップ)する場合だろうと思います。列挙を表現する時はどの冠詞も使用可能ですが、その文中から冠詞が脱落したのではないかと思います。 例えば、I love gardening flowers, such as a rose, a tulip, a violet ----. / I love gardening flowers, such as roses, tulips, violets ----. 冠詞を脱落させた方が簡潔だと思いますが、無冠詞も含めて3つのうちどれが使われるかは、前後の語彙や音調も絡むと思いますが、結局は好みの問題だと思います(もちろん、文脈次第ではtheも使えます)。 ただし、目的語の位置で使われると主題化されやすいのでどうかなという気がします。 いかかでしょうか。 --- 「主語になる場合」のまとめについては異存ありません。
- Nakay702
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補足とお礼のコメントを拝見しました。 懸案の問題で共通認識に到達できて、うれしい限りです。以下に、唯一疑問が残りましたsummersとその周辺に関して私なりの解釈を申しあげます。 >もし「いろいろな夏を、いろいろな春・秋・冬から」類別し、限定しているのであればthe summersになるのではありませんか? summersは、話者が現実にこれまでの人生において経験してきた経験してきたすべての夏の中から複数の夏を取りだし、それらをもとにして夏の一般的な特性を述べたものだと思います。Nakayさんはどう思われますか? ⇒the summersが「いろいろな夏を、いろいろな春・秋・冬から」類別し、限定する表現であることは了解できます。しかし、無冠詞複数のsummersについて、それは「話者が現実にこれまでの人生において経験してきた夏」を意味する、まではいいと思いますが、「経験してきたすべての夏の中から複数の夏を取りだし、それらをもとにして夏の一般的な特性を述べたものだ」というくだりには共感できそうもありません。 >(1)のthe summerが総称表現だという根拠は(2)I like summers best of all seasons. とも言えるからというのは、もともと、the summerはsummersを一般化したものだから、(1)が成り立つためにはその前提として(2)も成り立つはずだと言いたかったわけです。よって、(1)と(2)では意味合いが異なりますが、相互に転換可能なのではないかと言いたかったわけです。 この論拠はやはりおかしいのでしょうか? ⇒「the summerはsummersを一般化したもの」とするのは、多分に、恣意的に過ぎるのではないかと思います。このsummersは、発話者の主観的経験上のいろいろな夏であって、あえて直裁にきっぱり言えば、「限定・総称の別には関知しない」のだと思います。そうであるとすれば、the summerとsummersとが相互に転換可能であるとは、まったく考えられないことになりますよね。 そこで、前便で話題となった(1)I like the summer best of all seasons. (2)I like summers best of all seasons. (3)I like the summer. などをめぐって、お互いの見解の相異をすり合わせられることを願いながら、各種表現の区分に関する私の考えをまとめるとこうなります。 #限定を表す表現 〔1〕I like the summer best of all seasons.:夏を春・秋・冬から類別し、限定する。「春・秋・冬でなく夏が好き」。 〔2〕I like the summers best of all seasons.:いろいろな夏をいろいろな春・秋・冬から類別し、限定する。「いろいろな春・秋・冬でなく いろいろな/ありとあらゆる夏が好き」。 #総称を表す表現 〔3〕I like the summer.:代表を表す機能による総称。「夏(というもの)が好き」。 〔4〕I like the summers.:強く全体を限定した結果としての総称。「すべての夏が好き」。 #限定・総称の別には関知しない表現 〔5〕I like summer.:発話者の主観的経験上の夏であって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にある夏が好き」。 〔6〕I like summers.:発話者の主観的経験上のいろいろな夏であって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるいろいろな夏が好き」。 少々「作為的」な感じがあるかも知れませんが、かなり明快に整理できたのではないかと思います。いかがでしょうか。
お礼
ありがとうございました。
補足
各種表現の区分に関するNakayさんの考えを読みました。--- 以下、[1] ~[6]まで、私としてはおおむね異存ありませんが、〔6〕だけ少し気になります。 Nakayさんはこのようにおっしゃいました。 <〔6〕I like summers.:発話者の主観的経験上のいろいろな夏であって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるいろいろな夏が好き」。 ------「限定・総称の別には関知しない」のだと思います。> --ここでI like the summer.におけるthe summerがどのようにして作られたのか考えてみたいと思います。私の考えに少しでもおかしいところがあればご指摘をお願いします。 まず、lionという概念がどのように作られたのかを考察します。視界に入っているライオン達、または心の中に思い浮かんでいるライオン達に対して、個別の差異を捨象して名づけたものが"lion"です。もちろん、カテゴリーを表します。この"lion"はライオン族という種族を表しているわけではありません。"lion"という言葉があるおかげで、そこらにいるライオンまたは心に浮かぶライオンを一般的に言い表せるというメリットがあるだけです。 その後、数えられるものに不定冠詞がつくようになって、a lionと表されるようになりました。ライオンの種族を(たぶん学問的見地から)総称的に言い表す必要が出てきたのはその後だろうと思います。ところが、無冠詞の"lion"と違って、現実にライオンを表す表現は、a lion, lions, the lionしかありません。そこで、そのそれぞれに文脈次第で総称的な意味を持たせようとしたのではないかと思います。 a lionにはもともと総称的な意味はないのに、次のような定義文でよく使われます。 A lion is a large African wild animal with golden fur. (Macmillan Dictionary) ここではa lionは概念に近い表現になっています。カテゴリーを表しています。一頭のlionがなぜ総称的意味を持つに至ったかということですが、上の定義文においては基本的な属性が述べられています。基本的な属性は種族の全個体に当てはまるものです。これが総称表現たるゆえんだと思います。基本的な属性は、全個体のうちの一頭だけ観察すれば十分だということだと思います。 次はlionsの場合です。基本的性質は複数の個体において考える必要はないので、もっと別の働きを与えられていると考えられます。たぶん、次のような文が典型的な例だと思います。 Lions are seen in the savanna in South Africa. / We see lions in the savanna in South Africa. ---これらの文でa lionを使って総称の意味を出すことはできません。 lions はこの文では概念に近い働きを行っているように見えます。複数個体に関する一般的な状況や事実を述べる文で使われるのではないかと思います。 the lionについてはこれまで議論してきたとおりです。個々の差異を捨象した共通部分を代表・典型としたものなのでカテゴリー全体に当てはまる性質を表します。a lionと違って基本的性質だけを持っているわけではありません。The lion is a wild animal. といったような種族全体に当てはまるような表現に適しているように思います。 では、3パターン(a lion, lions, the lion)のどれもが必ず種族の全体を表すかというとそうとは言い切れません。例えば、A dog is a faithful animal. は種族全体を表しているかに見えますが、faithfulではないものも存在します。この文をdogsやthe dogを使って述べることは可能ですが、どれを使って述べてもやはりfaithfulではないものが存在します。それなのに、総称的と見なされるのは、<犬>の性質を飼い主の側から見た場合に、faithfulという性質がはプロトコル的なものだから問題なしとされるのだろうと思います。 a lionとthe lionは文脈(一般的なことを述べていること)の支えがなければ総称的な意味は持ちません。lionsはと言うと、たいていの場合カテゴリーを表しますから、文脈の支えがなくても総称的な意味を持ちます。その意味で、総称性を表す際にa lionやthe lionより有利だと言えます。 the lionについて付言します。 たいていのネイティブスピーカーはThe lion is a wild animal. におけるthe lionについてこう言います。The lion means lions in general. / The lion is a generalized concept from lions. 個々のlion A, lion B, lion C ----が持つ差異を捨象した共通部分(代表・典型)がthe lionなのだとしたら、彼らの発言に問題はないと思います。 英語圏を中心に世界中で読まれている文法参考書にも総称表現としてのthe roseはrosesを一般化したものだと記されています。 Grammar In Use (reference and practice for intermediate students of English) Raymond Murphy Cambridge Univ. Press のUnit 69で定冠詞が扱われています。そこにこういう記述があります。 The rose is my favorite flower. the rose = roses in general The giraffe is the tallest of all animals. the giraffe = giraffes in general おそらく英語圏の人たちはおおむねこのような指導を子供の頃から受けてきているのではないかと思います。the rose = roses in generalという事態が具体的にどういう事態なのかよく理解せずに、公式を丸飲みしてきたのではないかと思います。 だから、We go to the sea for vacation in the summer. におけるthe summerまでもsummersを一般化したものだと主張するのでしょうね。もちろん、in the ~の場合はこの公式は当てはまりませんが。 同書のUnit 70では複数名詞が扱われています。 We don't use the before a noun when we mean something in general: I love flowers. (flowers = flowers in general, not a particular group of flowers) ここでのflowersは、話者が見聞きしてきた花一般だけを指すのではないと思います。自分が見聞きしてきたたくさんの花の知識を参考にして、まだ見聞きしていない花の性質にまで当てはめたのではないかと思います。(自分が経験していない、他の個体の性質に関しては話者による推測が行われているわけです) <〔6〕I like summers.:発話者の主観的経験上のいろいろな夏であって、限定・総称の別には関知しない。「私の知る/経験した/意識にあるいろいろな夏が好き」。> --たしかに発話者の主観的経験上のいろいろな夏がベースになっているのでしょうけど、 直接経験しなかった夏にも当てはまるように言い表されてるのではありませんか。そもそも、夏を経験する時、その経験は他者によっても経験されるものであるはずです。 以上です。いかがでしょうか。 ---なお、前回の投稿に関して、<OKWAVEサポートスタッフから、本質問が回答受付中のまま投稿から2週間が経過しているのでお礼や質問を締め切るように督促がきています>とお伝えしましたが、その後サポートスタッフから、回答と応答が続いている場合は投稿後4週間までOKだと伝えてきました。
- Nakay702
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新しい発想の回答が読めるのを期待していましたが、出ませんね。 ということで、またしても古タヌキが登場しました。 それでも、できる限り真剣に考えてみましたので、どうぞご一瞥ください。 >I like the summer best of all seasons. のthe summerは総称表現なのでしょうか、それとも他の季節から類別されて限定された季節なのでしょうか? 私自身はどちらの解釈も成り立つと思います。ある季節が他の季節から類別されて限定されるということは、spring, summer, autumn, winterの4要素が互いに対立関係をなしているために、その中の一つが限定されるということです。 ⇒確かに、この場合のthe summerは総称表現とも、類別限定とも解釈できそうですね。しかし、その2つの解釈を篩い分けるためのメルクマールは何か、というのが難問ですね。以下ではもっぱらこの問題をめぐって考えてみます。 >総称表現だということになると、the lionは個別の差異を捨象した典型または原型と呼べるものとして把握されます。I like the summer best of all seasons. のthe summerが総称表現だという根拠はI like summers best of all seasons. とも言えるということです。 ⇒(1)I like the summer best of all seasons. のthe summerが総称表現だという根拠は(2)I like summers best of all seasons. とも言えるから、と仰せですね(便宜上文頭に通し番号をつけさせていただきました)。ということは、(1)のthe summerは「代表」の意味により、(2)のsummersは「全体」の意味によって総称表現と考える、ということになりますか。 しかし、失礼ながら、正直あまり説得力があるようには思えません。まず、(2)は、ただ単に「いろいろな夏を、いろいろな春・秋・冬から」類別し、限定しているだけ、としか見えませんが、違いますか? 次に、一歩譲って(2)を総称と見なすにしても、それゆえに(1)も総称を表している、というところに結びつきません。 確かにむずかしい問題ですね。上でご指摘の「ある季節が他の季節から類別されて限定されるということは、spring, summer, autumn, winterの4要素が互いに対立関係をなしているために、その中の一つが限定されるということです。」については、なるほどと納得できますが、これだけでは包括的な説明にもならないし、決定的な決め手にもなりませんね。もっと広い展望を求めて、何か別の基準を探ってみたいところです。 >では、単に、前後の文脈なしでI like the summer. と言ったときはどうかということですが、総称表現だと取るのが普通だと思います。(…)別の季節との対比がはっきり示されていなければ総称表現で、対比がはっきりしていれば総称表現でも、他の季節との類別でもどちらも可能だと思います。私の考えでは、ある上位概念を持つ何かが他の同種の比較的少数の下位概念との間に明確な相違点を持つ時だと思います。 たとえば、a seasonという上位概念を持つspring, summer, autumn, winterは互いに対立関係にあります。よって、どの一つを取りだしても、他から類別されてtheがつきます。 ⇒確かに、(3)I like the summer. という言表は総称表現だと言えそうですね。では、これと、前節で見た(1)I like the summer best of all seasons.や(2)I like summers best of all seasons. とではどこが違うのでしょう。一見してすぐに目に入るのは、best of all seasonsなる語句のあるなしです。このことを意識に留めておいて、視点を変えてさらに考えてみましょう。 can, may, willなどを法助動詞(modal auxiliary)といいますが、それは「発話者の心的態度を表す」からですね。しかし、この心的態度なる意味要素は、よく見れば助動詞のみならず、大なり小なり言表のいろいろな局面に現われます。例えば、上例のbest of all seasonsもその1つであると見なすことができます。発話者がこの種の語句を(I like the summer. という総称表現に)添加することによって、I like the summer best of all seasons. という類別・限定を表すことの心的態度を表明していると解釈することができるからです。「発話者が何を意図しているか」を推測することが重要な判断材料になるはずです。ということで、私はこのように話者の意図を測る手がかりになる語句をmodal auxiliaryに倣って"modal phrase"(法語句?)とでも呼ぼうかと思います。 >では、The lion is a wild animal. におけるthe lionはどうなのでしょうか。このthe lionは差異を捨象した典型あるいは原型とも言えるものです。上位概念はa wild animalです。下位概念を構成する野生動物は数が多すぎて、対立関係が漠然として見えにくくなっています。The lion is a wild animal. において、対立関係からtheがつくと説明する解説書もありますが、少しこじつけ気味だと思います。 ⇒ベクトルの方向が逆かも知れませんね。つまり、「対立関係からtheがつく」のでなく、「(発話者がある種の意図をもって)theには種属の代表を示す機能があるので、その用法に従ってtheをつけた」と考えるといいのではないでしょうか。 別の例: The dog is a faithful animal. は、代表・総称を表す。 →The dog is more faithful than the cat. で類別・限定を表す(ことを意図した)。 The lion is a wild animal. は、代表・総称を表す。 →The lion is the wildest of all animals. で類別・限定を表す(ことを意図した)。 >I like the summer best of all seasons. のthe summerを総称表現だとした場合、上位概念が季節で、下位概念はspring, summer, autumn, winterです。たった4つしか要素がないので対立関係が存在することは明白です。ですから、総称表現として典型・原型が表現されているからtheがつくというだけでなく、対立関係に注目して、他の季節からの類別されるからtheがつくという解釈も可能です。つまり、集合の要素が比較的少数である場合は、総称表現という考え方と他の季節からの類別という考え方とどちらも成り立つと思うのです。いかがでしょうか? ⇒私の考えでは、「限定・総称表現の両方が成り立つかどうかを集合の要素数の多寡で分ける」のは、ちょっと苦しいように思います。The lionの文でもthe summerの文でも、要素数が多くても少なくても、環境関係や文意次第によって総称・限定のどちらにもなり得るでしょう。ここはやはり、"modal phrase"を判断の補助とする方が、幾分か妥当性が高いと思います。既述のとおり、「発話者がどう見なしたか」が重要な拠り所になると思います。なぜか。以下でその理由を考えてみましょう。 限定・総称の別は、特定の語句とか、ましてや物理的客観的な要素によって区分されているわけでもないし、仮にそのような区分の作業を試みたとしても、言語は一面主観的心理的存在ですからあまり意味をなしません。ほとんどの語句が「素材として辞書項目にあるとき―つまり、客観的データとして単に語彙的集合をなしているとき―は、限定・総称両方のマークをもっている」わけで、あらかじめどちらかに割り振られた弁別特徴をもっているわけではありません。ただ、可能性の違いはあるかもしれませんが、それでも未分化の「傾向」とか「特徴」を示すにすぎません。そして、区分が認識できるのは、発話者が言表したとき、すなわち、それぞれの語句が一定の形をとってシンタグマティックンな関係を構成したときに初めて区分が可能になるのだと思います。やはり、「発話者がどう見なしたか」を最終的な拠り所にせざるを得ないように思います。 ということで、発話者はbest of all seasons、more faithful than the cat、wildest of all animals、stronger the lion or the tigerなどの語句の添加によって、それぞれの「母文」(のthe)に類別・限定の意味機能を盛り込む、ということになると考えます。したがって、我々聞き手あるいは読み手側としては、《主題を表す語と、「その語と比較・対比・類別されるべき語句」が対置されているか否かが、限定か総称かを篩い分けるためのメルクマールになる》と言えるのではないか、と考える次第です。いかがでしょうか。 以上、暗中模索しながら1つの見方を申しあげました。お互いの意見交換などを通じて一歩なりと真理に近づいて行ければうれしいです。
お礼
補足に全部打ち込めませんでした。残りをここに入れておきます。よろしくお願いします。 <限定・総称の別は、特定の語句とか、ましてや物理的客観的な要素によって区分されているわけでもないし、仮にそのような区分の作業を試みたとしても、言語は一面主観的心理的存在ですからあまり意味をなしません。ほとんどの語句が「素材として辞書項目にあるとき―つまり、客観的データとして単に語彙的集合をなしているとき―は、限定・総称両方のマークをもっている」わけで、あらかじめどちらかに割り振られた弁別特徴をもっているわけではありません。ただ、可能性の違いはあるかもしれませんが、それでも未分化の「傾向」とか「特徴」を示すにすぎません。そして、区分が認識できるのは、発話者が言表したとき、すなわち、それぞれの語句が一定の形をとってシンタグマティックンな関係を構成したときに初めて区分が可能になるのだと思います。やはり、「発話者がどう見なしたか」を最終的な拠り所にせざるを得ないように思います。 ということで、発話者はbest of all seasons、more faithful than the cat、wildest of all animals、stronger the lion or the tigerなどの語句の添加によって、それぞれの「母文」(のthe)に類別・限定の意味機能を盛り込む、ということになると考えます。したがって、我々聞き手あるいは読み手側としては、《主題を表す語と、「その語と比較・対比・類別されるべき語句」が対置されているか否かが、限定か総称かを篩い分けるためのメルクマールになる》と言えるのではないか、と考える次第です。いかがでしょうか。> --全く同感です。ありがとうございました。これで、the summerにかんしてはすっきり決着がつきました。summersに関して問題点が残りました(?をつけておきました)。お答え頂けるとありがたいです。よろしくお願いします。
補足
回答ありがとうございました。 まず私の側の筋違いを指摘することから始めます。 <I like the summer best of all seasons. のthe summerを総称表現だとした場合、上位概念が季節で、下位概念はspring, summer, autumn, winterです。たった4つしか要素がないので対立関係が存在することは明白です。 ですから、総称表現として典型・原型が表現されているからtheがつくというだけでなく、対立関係に注目して、他の季節からの類別されるからtheがつくという解釈も可能です。 つまり、集合の要素が比較的少数である場合は、総称表現という考え方と他の季節からの類別という考え方とどちらも成り立つと思うのです。いかがでしょうか?> --このように述べましたが、この考え方は、総称表現という考え方と他の季節からの類別という考え方に統一的な視点を与えようという意図を背景にしたものでした。 ところが、前回の質問<in the summerは総称表現か>で、「(他の季節からの)類別」ということに関してこのようなことを述べました。 <私の考えでは、人が何かをしたり、何かが起きたりすることを文の中に記述するための背景または状況を表現するためのものではないかと思います。もちろん言語共同体の中で行われることです。1年を4つの季節に分割して、例えばsummerを暦に記される<夏>として表したものではないかと思います。だとすると、the summerは夏の期間または時期を表すと思います。> --統一的な視点を与えてしまうと、上のような分析が無意味になります。私の浅はかな意図は撤回させて頂きます。そのような議論につきあっていただくことになって申し訳ありませんでした。私としてはこう言うしかないと思います。 ---- I like the summer best of all seasons. のthe summerは総称表現という考え方と他の季節からの類別という考え方とどちらも成り立つ。その判断は文脈に頼るしかない。ただし、話し手/書き手の意図を判定できない場合もあると思われる。---- ---後の方のNakayさんの議論を考慮して次のように修正します。best of all seasonsという言い方から話し手の意図が類別・限定だと判定できるので、おそらくは類別・限定の文だと思われる。--- その上で、Nakayさんの回答に対する私の見解を述べることにします。せっかく、<2つの解釈を篩い分けるためのメルクマールは何か>についての論考を提出していただいたので、私としてもきちんと対応したいと思います。 <⇒(1)I like the summer best of all seasons. のthe summerが総称表現だという根拠は(2)I like summers best of all seasons. とも言えるから、と仰せですね(便宜上文頭に通し番号をつけさせていただきました)。ということは、(1)のthe summerは「代表」の意味により、(2)のsummersは「全体」の意味によって総称表現と考える、ということになりますか。 しかし、失礼ながら、正直あまり説得力があるようには思えません。まず、(2)は、ただ単に「いろいろな夏を、いろいろな春・秋・冬から」類別し、限定しているだけ、としか見えませんが、違いますか? 次に、一歩譲って(2)を総称と見なすにしても、それゆえに(1)も総称を表している、というところに結びつきません。> --おっしゃるとおりだと思います。<(1)のthe summerは「代表」(以前は、私のこの言葉を使っていましたが、最近は典型とかプロトコルとかを使っています)の意味を持ちますが、(2)のsummersは「全体」の意味によって総称表現と考える、ということになりますか。>とのことですが、たしかに(1)と(2)では意味合いが異なります。 <(2)は、ただ単に「いろいろな夏を、いろいろな春・秋・冬から」類別し、限定しているだけ、としか見えません>とのことですが、もし「いろいろな夏を、いろいろな春・秋・冬から」類別し、限定しているのであればthe summersになるのではありませんか? summersは、話者が現実にこれまでの人生において経験してきた経験してきたすべての夏の中から複数の夏を取りだし、それらをもとにして夏の一般的な特性を述べたものだと思います。 Nakayさんはどう思われますか? (1)のthe summerが総称表現だという根拠は(2)I like summers best of all seasons. とも言えるからというのは、もともと、the summerはsummersを一般化したものだから、(1)が成り立つためにはその前提として(2)も成り立つはずだと言いたかったわけです。よって、(1)と(2)では意味合いが異なりますが、相互に転換可能なのではないかと言いたかったわけです。 この論拠はやはりおかしいのでしょうか? <can, may, willなどを法助動詞(modal auxiliary)といいますが、それは「発話者の心的態度を表す」からですね。しかし、この心的態度なる意味要素は、よく見れば助動詞のみならず、大なり小なり言表のいろいろな局面に現われます。例えば、上例のbest of all seasonsもその1つであると見なすことができます。発話者がこの種の語句を(I like the summer. という総称表現に)添加することによって、I like the summer best of all seasons. という類別・限定を表すことの心的態度を表明していると解釈することができるからです。「発話者が何を意図しているか」を推測することが重要な判断材料になるはずです。ということで、私はこのように話者の意図を測る手がかりになる語句をmodal auxiliaryに倣って"modal phrase"(法語句?)とでも呼ぼうかと思います。> --全く同感です。そのことを考慮すると、(1)は類別・限定ととらえるほうが自然だと思いますね。 <では、The lion is a wild animal. におけるthe lionはどうなのでしょうか。このthe lionは差異を捨象した典型あるいは原型とも言えるものです。上位概念はa wild animalです。下位概念を構成する野生動物は数が多すぎて、対立関係が漠然として見えにくくなっています。The lion is a wild animal. において、対立関係からtheがつくと説明する解説書もありますが、少しこじつけ気味だと思います。 ⇒ベクトルの方向が逆かも知れませんね。つまり、「対立関係からtheがつく」のでなく、「(発話者がある種の意図をもって)theには種属の代表を示す機能があるので、その用法に従ってtheをつけた」と考えるといいのではないでしょうか。> --対立関係からtheがつくと説明するのはある冠詞の解説書です。私自身は、この考えはこじつけだと思います。theがつくのは、the lionという種族は一つしかないからとか、lionsの差異を捨象した典型(代表だから)というふうに説明しています。The lion is a wild animal. において、対立関係をみてとるのはおかしいのではないかという私の見解を示したわけです。 <The dog is a faithful animal. は、代表・総称を表す。 →The dog is more faithful than the cat. で類別・限定を表す(ことを意図した)。 The lion is a wild animal. は、代表・総称を表す。 →The lion is the wildest of all animals. で類別・限定を表す(ことを意図した)。>--- ---異存はありません。The dog is more faithful than the cat. で類別・限定を表す(ことを意図した)。でよいと思います。ただ、文脈次第では、総称の意味も全くないとうわけではないと思いますが、<意図>ということを考えれば、類別・限定だとする方が自然だと思います。 <⇒私の考えでは、「限定・総称表現の両方が成り立つかどうかを集合の要素数の多寡で分ける」のは、ちょっと苦しいように思います。The lionの文でもthe summerの文でも、要素数が多くても少なくても、環境関係や文意次第によって総称・限定のどちらにもなり得るでしょう。> --「限定・総称表現の両方が成り立つかどうかを集合の要素数の多寡で分ける」のではありません。対立の図式から限定表現だと判定することの条件として集合の要素数の多寡に言及したのです。両方が成り立つかどうかとは関係ありません。また、要素数が多くても、最上級(たとえばThe lion is the wildest of all animals.) さえ使えば限定表現が成立しますから、要素数の多寡という議論はあまり意味がなかったですね。 ---打ち込むスペースが足りなくなりましたので、お礼の方に残りを打ち込みます。
お礼
ありがとうございました。
補足
再々度の回答ありがとうございました。 <I love roses. が「総称を表現することがある」、ということは否定しません。ただ、「常に総称を表す」ということに異を唱えたいと思いますので、これを総称表現の見本のように扱うことには抵抗がある、という趣旨を申したつもりです。------文脈次第で限定・総称のどちらにも転び得る、という可能性が背後に控えているわけですね。> --納得です。 <したがって、何らの前提なしに総称の例としてI read books. / I love roses.などを挙げるのは、少々不適切と言わねばならないと思う次第です。その場合には、例えば、Books are useful for me. / Flowers are lovely more or less.のような例をこそ挙げればいいわけですから。> --全く同感です。 Grammar In Use のWe don't use the before a noun when we mean something in general: I love flowers. (flowers = flowers in general, not a particular group of flowers) という記述は不適切だと思います。読者をmisleadする可能性がありますね。世界中で教科書としても使われているものなのですが、目的語ではなく主語の位置に置いた例文を載せてほしかったですね。 なお、flowers = flowers in generalという公式を(文脈が関係することに留意せず)機械的に丸暗記している読者も多いことと思います。だからWe go to the sea for vacation in the summer. におけるthe summerをsummersを一般化したものだとする誤解がはびこっているのだと思います。参考書や教科書を執筆する時は細心の注意を払わなければならないのだろうと、今更ながら思いました。 <確かに、I love rose.と無冠詞単数形を用いることはあまりなさそうですね。(勝手な推測で申しますが)こう言うことがあるとすれば、もちろん無意識でしょうけれども、何となく「漠然と擬人化する(バラさんが好き)」とか、「物質名詞化の心理が関わるとき(バラ的なもの・バラ様なもの/バラ性が好き)」などの意味合いを感じているかも知れませんね。(主観ですので、無視してください。)> --私もそういうふうに思います。詩や歌詞の中でなら見かけたとしても不思議はないと思います。あるいは個人の日記とか。いずれにしても、実物のバラではないことはたしかですね。 長々とつきあって頂いてありがとうございました。 近いうちに、<すべての可算名詞はtheを使った総称表現に使えるか>という表題で質問を投稿します。差し支えなければ回答をお願いします。