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尼子氏の新宮党
尼子氏って後期の方で、新宮党って強い集団がいましたね。 戦闘は強いものの、いろいろ問題もあったようですね。 新宮党の影響って、どれくらいだったのでしょう? ある時に排除されてますが、影響はどうだったんでしょうか? 排除の判断はあってたんでしょうか?
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新宮党と激しく内戦をし国力を疲弊し排除したのであれば、失敗でしょう。 ですが実際には新宮党の一部上層部を暗殺し、ほとんど被害なしに新宮党を吸収してますよね? 国力を疲弊せずに直轄化・権力強化を進め領国経営を強化してるのですから、結果として大成功で判断は正しかったとしか言いようが無いと思いますよ。その後家勢衰えることなく山吹城・石見銀山争奪戦を激しく勝ち抜いてますし。 ただ有力な親族衆を処分するわけですから、もっと嫡男に対する後継体制を万全に固め晴久自身の生存中に家督相続を済ませるべきであって、それをせずに有力な親族衆を成敗するのは片手落ちといえます。そういった意味で道半ばというか中途半端ですよね。ですが忠誠の怪しい親族を生かしたまま代替わりするよりはましだったでしょう。
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.1
最終的には尼子氏の家督相続にまで口出しできるほどの影響力があったようです まぁ そのために尼子は弱体化して結局毛利に滅ぼされるわけですが…