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杜甫の別居のわけ
杜甫の詩には望郷の詩がいくつもあります。 「家書、万金にあたる」 「何れの年かこれ帰る年ぞ」 などと言っていますが、 なぜ家族を故郷に置いたまま、 自分だけ成都にいたのでしょうか? 長安の家族は、疎開しなくてよかったのでしょうか?
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難関の科挙に受かっても、仕事に就けないことはよくあったようで。当時の苦労がしのばれます。 私も知っているわけではなくて、ネットで調べながら回答を付けております。元々杜甫は、正確な記録がたくさん残っていて、それぞれの漢詩も、何歳の時に作った詩であるかが判明しているため、調べるのが比較的楽な詩人なんです。
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- o_tooru
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長い間仕事に就けなかったので妻子を養うことが出来ず、妻を実家のすじのお宅にお願いしたようです。
お礼
何度も回答をありがとうございます。 昔も生きていくのは大変だったのですね。 しかし、良くご存知ですね。感心いたしました。
- o_tooru
- ベストアンサー率37% (915/2412)
こんにちは、疑問はつきませんね。 さてご質問の件ですが、「春望」は杜甫が44歳の時に作った詩です。その少し前に、生活のため家族を長安の町から家族を、奉先県(現・陝西省蒲城県)に移します。その後、その町と、長安を行き来することになります。 ようやく職を得た杜甫なのですが、そのとき、安禄山が謀反を起こします。そこで、家族をさらに遠くへ疎開させるとともに、自分は職務を全うするために長安に帰る途中で、敵につかまり、長安に幽閉されてしまいます。「春望」はこの時の歌です。 その後色々あって、官を辞して、家族と共に四川省成都の郊外に「草堂」を建てて、暮らすこととなります。
お礼
敵による拉致監禁という不可抗力が原因だったのですね。 それなら話は分かります。 決して意思疎通が欠けた別居ではないので、「家書万金に当たる」なのですね。 それにしても「生活のため家族を長安の町から家族を、奉先県(現・陝西省蒲城県)に移します。」とは、どういうことでしょうか。困窮? 物価高?
お礼
そうでしたか。 ウイキで見ても詳しいことが書いてないので、昔の人なので分からないことが多いのかと思っていました。 たくさん調べていただき、ありがとうございました。