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「かねさわ」が「かなざわ」になったのはいつ頃
ローカルな質問で恐縮です。 「金沢文庫」や「金沢八景」の「金沢」の呼称は、鎌倉時代は、「かねさわ」と呼ばれていたと思いますが、いつ頃から現在の「かなざわ」になったのでしょうか?
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「金沢文庫」は「かなざわぶんこ」と呼ばれる事もあるものの、現在においても「かねさわぶんこ」が正式で、変わってはいません。 【参考URL】 金沢文庫 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E6%96%87%E5%BA%AB 「金沢八景」に関しては、「金沢八景」という言い方がされる様になったのが、後北条氏の元家臣であった三浦浄心という人物が『名所和歌物語』(1614年刊)の中で瀟湘八景に倣って金沢の地名を名指した事が金沢八景の最も古い例であるとされている様ですから、古称での読み方が「かなさわはっけい」である事と併せて考えますと、少なくとも江戸時代前期の1614年の頃は「かねさわはっけい」と呼ばれていて、「かなざわはっけい」と呼ばれる様になったのはもっと後の時代の事であったと推測出来ます。 【参考URL】 金沢八景 - Wikipedia > 1 歴史 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%85%AB%E6%99%AF#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 武蔵国の「金沢」の読みが「かねさわ」から「かなざわ」に"変わって行った"のは、江戸時代になり、加賀の方の「金沢(かなざわ)」が有名になったため、「かなざわ」という読み方の方が良く知られる様になってしまい、おそらくは当時も現地では「かねさわ」と呼ばれていたであろう地名が、他の地方の人間の間では「かなざわ」と呼ばれる様になってしまい、そちらの読み方の方が主流になってしまったのではないかという説があります。 【参考URL】 金沢文庫 - Wikipedia > 4 「かねさわ」と「かなざわ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E6%96%87%E5%BA%AB#.E3.80.8C.E3.81.8B.E3.81.AD.E3.81.95.E3.82.8F.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.80.8C.E3.81.8B.E3.81.AA.E3.81.96.E3.82.8F.E3.80.8D その様な他の地域の人間が「かなざわ」という読み方をしている例として、時代劇ものの「水戸黄門」で有名な「水戸光圀」が自らの鎌倉旅行の話を元にして河井恒久(友水)らに編集させ、1685年に刊行された「新編鎌倉志」には、「金澤」という地名に対して「カナザワ」というフリガナが付けられています。 【参考URL】 金沢文庫は、かつて「かなざわ」ではなく「かねさわ」だったって本当?[はまれぽ.com] http://hamarepo.com/story.php?story_id=2296 新編鎌倉志 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B7%A8%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%BF%97
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江戸時代です。 かねさ八の御寺(称名寺)のこと、鎌倉時代は「かねさわ」というう地名、実時一族は 「かねさわ」を拠点としていた事から、金沢(かねさわ)北条とよばれる。 江戸時代一般に加賀藩の中心地金沢(かなざわ)ガ有名で。 同じ漢字の武蔵野国金沢(かねさわ)も「かなざわ」と呼ぶようになった。