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「飛鳥京」と書かれた史料
「飛鳥京」の呼称は現在一般に使用されています。 しかし、『日本書紀』には倭京や京師などの使用はあるものの、「飛鳥京」という名称は 全く見られません。 そこで質問です。 奈良時代以前の史料に、「飛鳥京」と書かれたものがあればお教え下さい。
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飛鳥京・飛鳥古京・飛鳥都・飛鳥宮 などにまつわる日本古代の歌などでは,『万葉集』に,山部赤人氏作,万葉集第324番に,‥‥ 明日香の旧(ふる)き都師(みやこ)の 山高み(三) ‥‥‥ などという歌が,あるようです..はっきりと,『飛鳥京・飛鳥古京』とは,記述されてはいないようですが,少し Web上で調べてみました m(__)m 。
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- D-Gabacho
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『国史大辞典』に「ふつうこの諸宮のあった地域を一括して飛鳥京と呼ぶが、『日本書紀』などによると、当時は単に京または京師・都と称し、難波京や近江京に対して倭京ということはあるが、飛鳥京という名称は用いられなかったようである。」とありますから、そういう史料はないということでしょう。当時の呼称ではないのを承知のうえで、便宜上、使われているということです。当時の人は京だけで良くても、今ではどこのことだかわかりませんからね。
お礼
D-Gabachoさま 有り難うございました。 実は、 岸俊男・京都大学教授が論文「飛鳥の方格地割」『史林』53巻4号、史学研究会、1970年で、次のように書かれています。 「(前略)現今「飛鳥京」という称呼が一般的に用いられているが、歴史的名辞としてはそのような呼び方は存在しない。たとえば日本書紀を検しても、藤原京以前にすでに京の概念が成立していたことは明らかであるが、それは単に「京」「京師」と記されるか、あるいは「倭京」「倭都」の称呼が用いられている。(下略)」 その論文から既に46年も経っていますので、その間に新史料が発見されていないか調べているところです。 なお、「倭都」は孝徳紀5年条、「倭京」は孝徳紀3年・天智紀6年・天武紀上に用例がありますが、壬申の乱後に「倭都」「倭京」が見られないのは、倭から日本に国号を改めた徴でないかと愚考しています。 D-Gabachoさまのご認識のように、国内的には単に「京」でよいと思いますが、対外的には都名が必要ではないかと考えます。 孝徳天皇紀白雉五年二月条に「東宮監門郭丈舉、悉問日本國之地里及國初之神名、皆隨問而答。」の記事があります。 これは第3次遣唐使が長安で役人に質問を受けた話ですが、このとき都名も尋ねられたと考えます。 『旧唐書』東夷 新羅國には「王之所居曰金城」とあり、 『新唐書』高麗には「其君居平壤城」とあるように、唐では周辺国の都城名を把握しています。 そこで日本という国号と同様に、唐や朝鮮半島諸国の都城名と遜色がない京号が存在したと考えています。
- あずき なな(@azuki-7)
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無いと思います 現在の飛鳥が飛鳥と呼ばれたのはもっとのちの時代です 飛鳥時代 かの地は斑鳩や板葺宮などと呼ばれていたので当時書かれた文献に飛鳥京と言う記述は出てこないのです
お礼
azuki-7さま やはり、無いようですか。 有り難うございました。
- kitsunetoneko
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すいません m(__)m 再び 二番目の回答者です..最初に回答しました山部赤人氏の第324番の,『万葉集』の歌の漢字が間違っていましたね‥都師→京師でした..山部赤人氏と言えば,やはり,『百人一首』の,田子の浦に 打ち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は 降りつつ ~を思い出しますが,少し Web上で調べますと,『万葉集』の第51番ですかの,志貴皇子作の歌に,『釆女の 袖吹き返す 明日香風 都を 遠み いたずらに吹く』というような,有名な歌があるそうで,現在の奈良県の,飛鳥古京に関する宮跡に在る石碑;甘樫丘の中腹に在る石碑や,飛鳥浄御宮?跡に関する石碑などに,この志貴皇子の歌が記されているそうです..壬申の乱の後,藤原京に移った志貴皇子が,昔の首都だった,飛鳥古京を訪れ,詠んだ歌だそうです..失礼しました m(__)m 。
お礼
kitsunetonekoさま 再度有り難うございます。 『万葉集』の題詞・歌・左注の中に、固有名の明日香・阿須可・安須可・飛鳥を含む歌は42首ありますが(東歌は含み、河内飛鳥は除く)、地名や宮名でなく京名に結びつくものはやはりご指摘の3/324だけのように思います。 なお、「藤原宮」は『日本書紀』『続日本紀』にありますが、「藤原京」の用字はどちらにも存在せず、「新益京」が現在の「藤原京」の意味で使われています。 ありがとうございました。
飛鳥京跡というのは、明日香村岡の地に営まれた古代宮殿の総称である。 よって飛鳥京は文献としてないと思います。 (1)飛鳥岡本宮。 (2)伝飛鳥板蓋宮。伝がついているのは確認できていない。 (3)飛鳥浄後原宮。 (4)後岡本宮。
お礼
177d0037さま 早速のご回答有り難うございます。 問題は宮でなく、京の名称の存在を調べています。 例えば、天武紀9年5月条に「勅、絁綿絲布以施于京內廿四寺各有差」と京に24の寺があったような記述があります。 現在の明日香村にある大字の飛鳥・岡に24の寺が入るわけがなく、宮を中心とした広い地域を京と認識していたと思われます。 そこで、当時その京がなんと呼ばれていたかを調べています。 ありがとうございました。
お礼
kitsunetonekoさま わざわざお調べ頂き感謝しています。 『万葉集』3/324 にある 明日香能舊京師者(山部赤人) は私も見ております。 聖武天皇時代に詠まれた歌でしょうが、今のところ、この歌が唯一京名に結びつく史料かと考えています。 有り難うございました。