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ショーペンハウアーの言う所の「天才」とは何か
閲覧ありがとうございます。 岩波文庫の『知性について』を読みました。 そこに「極端な例えとして中国産の高級な将棋で将棋を打つ時、天才はその材質に見惚れて負けることがあるが凡人は材質なんて気にせず勝ちを取りに行く」 という文章がありました。 しかし「凡人は感覚的なものばかりを求める」という文章もありました。 高級な将棋に見惚れるというのは感覚的ですよね。彼の言っている事の辻褄が合わなくて混乱しています。 結局、彼の言う所の天才とは何だったのでしょうか。詳しい方回答よろしくお願いいたします。
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一般人は、世の中の仕組みや言語体系など、 既成のルールの範囲で、その枠内で規定さ れるコースを競うのに対し、ある種の人間は コースの外が見えて、新たな「枠組み」を 生み出せる、ていう事かな? (とりたてて言うほど大した指摘じゃないが)
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>中国産の高級な将棋で将棋を打つ時、 天才はその材質に見惚れて負けることがあるが凡人は 材質なんて気にせず勝ちを取りに行く」 大切なのは普通の言葉で 非凡なことを言うことである。 彼の言葉です。 シェイクスピアもいってます。 簡潔こそが英知なり。 Brevity is the soul of wit. >結局、彼の言う所の天才とは何だったのでしょうか。 詳しい方回答よろしくお願いいたします。 詳しくないのですが、 女性を精神的な近視だといっています。 「天才は私生活においては不器用である」 といった言葉も天才ならでは。
お礼
回答ありがとうございます! 言葉の使い方がそのような人を天才と捉えたのですね
- koosaka
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ショーペンハウワーの大ファンで、全集をそろえて、ほとんど読みました。 ショーペンハウワーの哲学は、自分でも言っているようにプラトンとカントです。 そして大学では、当時流行だった生物学と、骨相学、ガルの骨相学をやりました。 骨相学はずいぶん流行したようで、ヘーゲルも「精神現象学」で、そのウンチクを傾けて、ずいぶん長々と論じています。 当時、ロンブロゾウの「天才論」がよく読まれていて、ショーペンハウワーは自分も天才だと思ったようです。 ある時、少年がショーペンハウワーを見て、一緒にいた母親に向かって、「目がキラキラと光っているのは、天才の印!」と言って叫び、ショーペンハウワーはそれを聞いて、喜んだそうです。 案外、俗人です、笑っちゃいます。 で、あなたの質問ですが、例に挙げているのはプラトンの「イデア論」のことです。 俗人・凡人は「感覚的なものばかりを求める」 ・・・・つまり、凡人は具体的なもの、個物しか見ないが、天才はその具体的なもの・個物の向こうに普遍的な、物事の本質を洞察する、ということ。 天才は凡人の見るのとは、別の見方を持っている。 俗人・凡人は、日々の生活で、何を食べようか、何を着たらいいか、どこへ行こうか、明日は何をしようか、・・・・・など、具体的なことしか考えない、抽象的なことは考えないが、天才は具体的な物事には無関心で、食べることや着ることや、そんなことはどうでもいいので、世界の根源は何か?とか、何でこれは存在するのか?とか、私とは何か?善とは何か? そういうことばっかり考えている。 だから、道を歩いていると、けつまずく。 考えてばっかりいるから、足元がおろそかになる。 天才は、だからほとんど独身です。 たいてい、変人・奇人だから。 女性に関心がない、家庭に関心がない、子供に関心がない、生きたり死んだりすることにも関心がない、朝から晩まで一つのことしかやらない、だから集中力が半端ではない・・・・ ロンブロゾウの「天才論」によれば、天才はキチガイに似ている、犯罪人に似ている、アウトサイダーで社会人としては失格だ、と言っています。
お礼
回答ありがとうございます! 本に載っていなかったお話も聞けてありがたいです(*´ω`)
お礼
回答ありがとうございます! 枠組みですか、、なるほど(*´ω`)