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日本の哲学は 出る杭をみづからが打つ
1. けっきょく日本哲学は みづからが出る杭たろうとしたおのれを《売っている》・・・とも言えるのかも知れない。 どういうことか? 2. 要するに詰めが甘いのではなく そうではなく 詰めようとしないのだ。詰めてはいけないという思考回路がすでに出来上がっている。 3. つまり 最後の理論としての完成をいやがる。相手をコーナーに追い詰めてしまうようには あたらしい説を出してはいけない。それは 出る杭になってしまうから。 4. 自然科学では そういうことはないのであろう。(?) 5. いったいぜんたい 何がこわいのか? 何がかなしいのか? 6. こわくもなくかなしくもなく ただただ おのれのたましいをみづから去勢してしまったからか。 7. 腑抜けの哲学 腑抜けの国になったということか。だから せめて自然科学においてなら 杭の出方を調節することができるということか。 8. あと一歩考えを及ぼせば 分かるというものを。 われわれに潜在力はあるのか・ないのか。
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お礼
★ 「好い線、行ってる」のかな。 ☆ ええ。《完成》の手前まで。 そして 手前で足踏みしている。のではないかと。 あと一押しが 残念ながら ない。 でも 好い線 行ってる。 でも あと もう一筆で 龍に眼が描かれる。 というところではないでしょうか。 ご回答をありがとうございます。