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われわれ日本人の魂は去勢されているのか?
- われわれ日本人は、魂が去勢されているのでしょうか?意思疎通の問題や人間関係の崩壊から、魂の凍りついた状態になりがちです。
- 日本人の存在論、コミュニケーション論、および日本人論を考える上で、われわれの魂が去勢されている可能性があります。
- また、自己主張や議論をすることに対して抑圧的な環境や文化があり、魂の去勢を引き起こしているのかもしれません。
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こんばんはです。 ☆( a-13 ) これらは けっきょくどうも 《答えを求めてはいけない。正解は出すものではない》と言っているように聞こえます。そのような遺伝子がすでに出来ているのでしょうか? ◇まず、議論すべきなのは、答えがあるかどうかなのかもしれません。 答えや正解がないのに、それを追い求めるというのは、無意味な行為かもしれませんから。 しかし、答えや正解があるかどうかは、それを追い求めてみなければわかりません。 あるいは、答えや正解がないことを証明する、もしくは、答えや正解があることを証明しなければならないのでしょうね。 なのですから、 この証明ができない以上、答えを追い求める、という作業は大切だと思います。 「そのような遺伝子がすでに出来ているのでしょうか?」 については、 こうした作業をただ面倒に思っているだけだと思います。 面倒なこと、自分の頭で考えることは、基本的に、誰でも嫌いです。 脳はすぐに怠けようとしますので。人間の脳は、実は、超~怠け者なんです。すぐに楽をしようとします。 まして、この面倒臭い作業に見合う成果があるかどうかもわかりません。なので、こうしたことを避けることは、常識的な人にとって賢明な選択なのかもしれません。 ただ、 哲学に限らず、本当の学問をするには、《バカ》にならないと駄目なんですよ。 《バカ》になりきれない人に、学問は無理です。 本当の《バカ》では困りますが、 世の人に、《役立たず》、《バカ》扱いされて、いいんじゃないですか(笑)。 ☆( a-14 ) 《あいまいな応答をし そこにちょっとは高尚な専門用語をもちりばめて のらりくらりと けっきょくは事もなく済むように 人とはつきあって行きなさい》とでも言っているようです。このパタンは 刷りこまれていて 消えないでしょうか? ◇専門用語をちりばめて、あたかも自分の主張が正しいかのように装う。 これが癖になっていますからね~。 意識して直そうとしない限り、これは治らないのではないでしょうか。 ☆( a-15 ) 自然科学では 世界の最先端を行く研究がなされていても 社会や人文のことになると 日本人は積極的にバカX阿呆なる状態になって見せる賢い大人にならなければダメだよとでも言っていましょうか? ◇明治開国以来百年あまりを経過してもなお、 日本人は、人文科学において、独創的な思想をまったく作っていませんよね~。 すべて輸入品、外来思想、そして日本的なリメーク。 何故なのでしょう? 仏典や論書の注釈を仏教とする日本的悪弊が、いまだ人文科学の分野には色濃く残っているせいなのでしょうか? ☆( a-17 ) たましいの去勢などは この認識とそれによる自己到来によって その場で一瞬にして 解けるのではないでしょうか。 ◇そうなのでしょうね。 ですが、習慣化していて、癖になっているので、これを治すのは結構難しいと思いますよ。 自分の癖は、他人(ひと)に指摘されない限り、なかなか気づきませんから。 「その癖を治した方がいいですよ」と、親切心をウッカリ出そうものなら、逆ギレされた、なんてことはよくありますしね~。
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- 雪中庵(@psytex)
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明治維新以降、素早い工業化を可能にした、集約農法のジャポ ニカ米稲作農耕文化の協調性と、島国文化の妥協性のコンビと いう、世界でも稀な集団主義的な文化は、確かに劣化している。 高度経済成長における核家族化&共働きによる家庭教育の劣化、 地域コミュニティの希薄化による世代間伝承の劣化、受験競争の 点取り競争による社会性&コミュニケーション能力の劣化、均等 税率の消費税の導入&増税とセットになった累進税率の所得税 ・法人税の軽減や健康保険や年金の受益者負担増という金持ち 優遇税制による貧富の格差の拡大、小泉改革の雇用の流動化 による日本固有の家族的経営(終身雇用&年功序列)の崩壊と いった、アメリカの尻馬に乗った一連の変化による拝金主義の 深まり。 遠慮・思いやりの日本的な集団主義は、自己チュー化によって、 入学当初からの学級崩壊からいじめ、引きこもり、長じてはニート、 モラトリアム、短期転職化といった、社会的不適応を呈している。 どのような即物的な不況よりも深刻な、日本人の長所を損なう 精神的荒廃は、誰も気づかぬまま病膏肓に至りつつある。
お礼
★ 集約農法のジャポニカ米稲作農耕文化の協調性と、島国文化の妥協性 ☆ これは 一面的な見方に過ぎましょう。 日本における人びとの《協調性》は ひとり《稲作農耕文化》によってもたらされたとは考えられません。 ほかに何があったかというよりも そもそも人間が互いに社会を成して生活するということにおいて《協調性》を持たないという見方を前提とすることのほうが おかしいでしょう。 つまりたとえば 《人は人に対して狼である。 Homo homini lupus. 》とかあるいは《万人の万人に対する闘い。 Bellum omnium contra omnis.》といった人間観が 一面的だということだと考えるべきでしょう。 そのつてでは 日本人は その日本人という自覚も認識もなく石器や土器を用いて生活していた縄文時代から やがてゆるやかに農耕が現われ弥生時代となるにつれ 稗・黍・粟から陸稲や水稲を主力とするようになって その収穫の量にかんして徐々に格差が現われて来た。つまりやがて 小さな甕棺墓などから大きな古墳に埋葬するまでになったことなどからその格差という事態は 実証されます。 むろんこの格差をも――人それぞれの自由として――引き受け 精神の胃袋に飲み込み 人びとはさらにあたらしい生活の共同自治の方式を模索して行きます。 つまり議論を端折りますが ひとり稲作農耕の共同作業のあり方などから影響を受けて 互いの協調性が培われたという見方は およそ狭くちぢこまった人間観であり歴史観であるように考えられます。 ★ 島国文化の妥協性 ☆ これに異をとなえようとは思いませんが それでも それでは大陸文化では互いの利害関係の調整の仕方を培って来なかったかと言えば そうではない。 あるいはつまり 妥協性ということで言えば アマテラス公務員とスサノヲ市民との間に贈賄・収賄といった汚職をともなうような妥協性もありましょうし それが わが国において島国であるゆえに ほかの国にくらべてひどすぎるといったことは ありましょうか? いま現在にしぼって見た場合に限ると言われるかも知れませんが。 ですから おそらく ★ 世界でも稀な集団主義的な文化は、確かに劣化している。 ☆ といった一面的な見方にもとづくそのような観点というのは かんたんには飲み込められません。 集団主義といったクセ(エートス)が 日本においていちじるしく現われているとは見ません。ほかの国の人びとのあいだでも 同じように見られるといった研究成果も出ています。 ★ ~~~~~~~ 高度経済成長における核家族化&共働きによる家庭教育の劣化、 地域コミュニティの希薄化による世代間伝承の劣化、受験競争の 点取り競争による社会性&コミュニケーション能力の劣化、均等 税率の消費税の導入&増税とセットになった累進税率の所得税 ・法人税の軽減や健康保険や年金の受益者負担増という金持ち 優遇税制による貧富の格差の拡大、小泉改革の雇用の流動化 による日本固有の家族的経営(終身雇用&年功序列)の崩壊と いった、アメリカの尻馬に乗った一連の変化による拝金主義の 深まり。 ~~~~~~~~~ ☆ といった歴史的情況を受けて 人びとが〔問題点をひとつにしぼって論じますが〕 ★ モラトリアム(* すなわち 人生におけるしかるべき意志決定を先へ先へと送りつづけて その猶予を勝ち取ろうとするクセを持った人間)といった、社会的不適応を呈している。 ☆ という事態は まことに人間とその社会における共同自治にもとづく縁起共生にとって よろこばしいことではないでしょうか? 未来社会への《適応性》をいやというほど 考慮し模索しつづけている。ということではないでしょうか? モラトリアム人間 しかり。ニートも ヒキコモリも KY も まったくしかりです。自己チュー化しないならば ウソでしょう。 ですから もし《われら日本人は たましいが去勢されている》とするならば その原因はむしろ べつのところにある。あるいはつまり 原因というよりは その結果状態が 単純に数え上げられるといった問題ではないはずです。 このように考える余地も現われていると捉えられましょう。 そこのところを 社会についての分析検証をつうじて さらに明らかにしてもらえればさいわいに思います。 ご投稿をありがとうございました。
- banri_kashii
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質問者は重篤な病人なのだから、他の一般的で健康な 日本人と同列に語る事自体が間違いです。 前提から間違っているのだから、それ以降の文章は 文字数の無駄遣いでしかありません。
お礼
例証をねがいます。 ご投稿をありがとうございました。
お礼
ダンテは 門に何とか書いていましたね。地獄の門をくぐり抜ける人間に対して。 いっさいののぞみを捨てよとか。何とかかんとか。 哲学の門をくぐったのなら もうおのれの人格のぜんぶが隅から隅まで御開帳になるんぢゃなかったですかね。 ◇ ~~~~ 自分の癖は、他人(ひと)に指摘されない限り、なかなか気づきませんから。 「その癖を治した方がいいですよ」と、親切心をウッカリ出そうものなら、逆ギレされた、なんてことはよくありますしね~。 ~~~~~~ ☆ これは ふつうにつきあっていて ふつうの話をしている場でそういう指摘をしたら いささか驚くでしょうね。切れることもあるかも知れません。 ですが 哲学カテで どういう料簡をすれば 《答えを問い求めない》という振る舞いが出て来るのかと思います。 遺伝子にまで成ったなどということはないということですので 何とかよい軌道に乗せたいと思っています。 ねむりねこにゃあさん ご回答をありがとうございました。こんばんはでした。