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will 単純未来 言葉
今の時代、単純未来・意思未来と言う言葉はもう古くて使わないのですか? そのようなご回答を頂いたことがあるのですが。 今は何と言うのでしょうか?
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とにかく、言葉だけの問題で、単純未来などという言葉を使う使わないで、 別に will の意味が変わるわけじゃないです。 https://okwave.jp/qa/q6567917.html 未来形などない、という考え方はこれまでも言い尽くしてきました。 現在・過去・未来 という3本だてではない、 そうすると、would って何?となる。 will の過去?未来の過去? まあ、過去未来などということもありますが。 もともと will は want に近い一般動詞で、 本来、意志を表すものであったのが、 その後、ただ未来を表すための指標としても用いられるようになりました。 そういう will 自体の問題として扱えば済むことです。 辞書などではいまだに、イギリス英語の古い用法で、 shall の単純未来というのを残しているので、 そういう用語を使う意味があるのでしょう。 shall が未来形、という意味合いが薄れると、そういう用語を使う意味がありません。 実際、学校や塾で使わない、それがすべてです。 他にも、動作動詞、状態動詞という言葉もここ何十年と学校や塾では使いません。
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#2です。 > 今まで気にもしてませんが、動詞では未来形がありませんね。 そこが一つのポイントで、さらにwillの用法という問題も「未来時制はないとしたほうがいい」という論拠になっていたりもしますよ。辞書を見てみましょう。 ・プログレッシブ英和中辞典(第4版) will https://kotobank.jp/ejword/will > 1 ((単純未来)) > (1) …だろう, …でしょう. ▼一人称の((英・米文語))shall > 2 ((意志未来)) > (1) ((一・二・三人称主語の意志・好意))…しよう, …するつもりだ, …する意志がある 辞書では未来時制があるという立場が多く、単純未来、意志未来がまず開設されます。しかし続いて極めて多い分類がされていますね。例えば以下など、未来時制とwillについて興味深い問題をはらんでいます。 > 4 ((現在の事柄についての想像・推定))…だろう. ▼mayより確信のある推定 > He will have been about forty then, I think. > そのころ, 彼は40歳ぐらいだったかと思います(▼will have beenはこの場合, 過去のことに関する現在の推量を表す). will have (been)は「未来完了時制」で使う表現ですね。「~してしまっているであろう」という訳になるように、完了するのが未来になる表現です。しかし、上記例文では「推量しているのは現在、推量される事実は過去」というものになっています。 willが明らかに過去について言う文に使われてしまっているわけです。こういうことも「英語に未来時制はなく、willは主語または話し手の推量を表すものである」という説の裏付けになり得ます。 もちろん、それしか解釈ができないわけではなく、未来時制があるという立場からは、「willの全く別の用法である」ということになります。しかし、このwillの用法に対しては単に例外と分類したようでもあり、「willは未来形を作る法助動詞である」という文法の流儀の弱点の一つではあろうかと思います。 とはいえ(と二転三転する ^^;)、英語はフランス語と密接に関係しつつ発展した自然言語であり、そもそもヨーロッパ語、さらに印欧語はどれもが互いに密接に関係し、土台としては同じとさえいえる自然語群であることも事実です。基本的な文法で、フランス語にはあって英語にはないという主張は、印欧語の歴史的背景を軽視しているともいえます。 一例を挙げるだけでもこんな具合ですので、、「英語に未来時制がある/ない」は双方にそれぞれ根拠もあれば、弱い点もあり、どちらかが正しいのかと議論しだすと、たいてい泥沼に陥ります。そんな議論は横目で眺めるにとどめ、自分が英語を理解しやすいほうを選んでおくくらいのことでしょう。 文法用語に詳しい英語の研究者になるのでなければ、読む・聞く・書く・話すができればよく、そのためには一つの流儀で基本を押さえておけばいいのです。先のご質問でも、条件のif節と間接疑問のif節が見分けられれば8割がたは分かったも同然なんですよ。
お礼
かなり難しい内容となってきましたね。 おっしゃるように、読む・聞く・書く・話すがあっての話で、 この手の話は予備知識程度じゃないと先に進まなくなりますね。 しかし、この度は新しい発見があり大変興味深いご解説を頂きました。 本当にご回答ありがとうございました。
- wind-skywind
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もう少し説明しましょうか。 今 shall の用法で習うのは、強い意志とか、should に近い「すべき」の意味で法律などで使うというのと、 それと Shall I, Shall we くらいでしょう。 この Shall I, Shall we はやはりイギリス英語で、1人称主語の疑問文で、 聞き手の意志を尋ねる、などとして昔は習いました。 イギリス英語を習わなくなり、shall を習う度合が少なくなっても、 この Shall I, Shall we は中学英語でもずっと残ってきましたが、 現実にはアメリカ英語ではあまり使いません。 will/shall という2つの未来形について、主語の人称や疑問形によって 意味がそれぞれ変わる、こういうのを教えるのに単純未来・意志未来 という言葉が便利だったのです。 でも、shall で未来形という意識が薄れ、特別な意味くらいになり、 will だけについていうなら、特に単純未来・意志未来など分けることなく、 will の用法として扱えば済むことなのです。 10年近く教えていた塾で、一度も単純未来・意志未来という言葉を使う講師がいた記憶がありません。 塾で使うテキスト、学校で使っている副読本、どこにもそんな言葉は出てきません。
お礼
昔の英語教育上の都合と言うのがあったのですね。 いまでは教えない項目があるために、特に要らないと言うことでしょうか。 さらに詳しいご解説ありがとうございました。 予備知識として勉強になりました。
- wind-skywind
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私の回答もこの質問もそうですが、考え方じゃなく、言葉です。 文法書はともかく、学校や塾でここ10年、20年、この言葉を使うのを聞いたことがありません。 ここでも、単純未来、意志未来という言葉を使うのは私くらいで、 その時も、あえて古いと言います。 実際、学校で使わないし、ここで誰も使わないので。 この言葉は伝統的なイギリス英語につながるもので、 I shall ~が単純未来(1人称では shall で単純未来)で使われ、 shall の意志未来として You shall have this book. のように、2人称、3人称を主語にして、1人称の意志を表す、 「(私が)あなたがこの本を持つようにさせよう」 = I will give you this book. will は1人称主語の意志未来。 のような今ではとうてい習わないようなことを教えるのに有用だったのでしょう。 今では単純未来はただ、未来の will (やや専門的には未来指標の will) 意志未来は「~しよう」という意味とか、 未来時制を離れて、助動詞 will の意味として習うか。
お礼
ご解説ありがとうございます。 古いと言われていた背景がよく分かりました。 教育の場で使われなくなったと言うのも実際、あるのですね。 回答して頂けて感謝しております。 ご回答ありがとうございました。
結論から申せば、単純未来、意志未来という用語も考え方は今まで通りあり、学校などで使われてる主流の考え方です。しかし別の考え方もあって、英語に未来時制がないとしている文法流儀もある、ということになります。 厳密な話をするなら、「英語には未来『時制』がない」とする文法解釈も可能ということでしょう。以下のサイトなどに、その考え方の解説があります。 ・tense(時制) http://www.ravco.jp/cat/view.php?cat_id=5172 > (1) 英語:現在時制(非過去)と過去時制のみ。未来時制はありません。 > I will walk to school tomorrow.「明日は歩いて学校に行くでしょう」 > {注意!}will walk は意味的には「未来」なのですが、形式は will という助動詞を用いて表現しています。動詞の変化形を使って表現しているわけではないので「未来時制」と分類することはできません。 > > (2) フランス語:過去形・現在形・未来形の3つがあります。 > j'aimerai ( = I will like ):未来形 > *フランス語には、動詞の変化形である「未来形」が存在しています。 英語には動詞の「未来形」がないわけですね。確かにそうです。動詞の現在形と現在時制、過去形と過去時制が密接に結びついているのに対し、未来についてはwill/be going to(や現在形、現在進行形)で言うしかないわけです。 その点に関して他のヨーロッパ語と比較すると、フランス語などでは未来時制の動詞がある。フランス語の未来時制と比べれば、英語には確たる未来時制があるとはいえない、ということになるわけです。 そういう観点では、英語の時制を「非過去時制/過去時制」とする文法の流儀もあります。その流儀では「未来時制と呼ばれているのは、主語や話者の意志や予想を示す法助動詞があるに過ぎない」ということも言われたりします。未来時制がないわけですから、単純未来も意志未来もないわけです。 一つの理にかなった考え方ではありますが、従来の未来時制の考え方が捨てられたわけではありません。依然として主流は法助動詞による未来時制を認める立場でしょう。伝統ある考え方だけに、やはり合理性があります。中学、高校ではずっと前から行われている通り、法助動詞での未来形による未来時制があるとして英語教育が行われています。 ですので、単純未来、意志未来ということで英語について話しても、特に問題はありません。未来時制というものが(他のヨーロッパ語との比較で)英語にはないと考える人もいる、という程度に知っておけば充分です。もしもまずいことがあるとすれば、「未来形・時制がある」と「未来時制はない」という考え方を混用することでしょうか。それぞれれに理を以て筋を通した考え方ですので、うかつに二つを混ぜられないのです。
お礼
大変興味深いご回答をありがとうございます。 言われてみればほんとそうですね。 今まで気にもしてませんが、動詞では未来形がありませんね。 とても面白い内容でした。 予備知識として大変貴重なご意見を頂きましたことにお礼申し上げます。 ご回答ありがとうございました。
- kreikg
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今使ってる2016年発行の英語文法の参考書には両方とも出てきますよ
お礼
やはりありますか。 その方は、ここの大ベテランなのできっと何かあるのだろうと思います。 でも、普通に使われているみたいですね。 ありがとうございました。
お礼
学校や塾での教え方が変わったのでしょうか。 いろいろありがとうございました。