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英語には未来形はないという話があります。現在形とは何なのか疑問に思います。
- 英語には未来形は存在しないと言われていますが、現在形とは具体的に何を指すのでしょうか?
- 一般的に、状態を表す動詞以外の現在形は全て未来形ではないと考えられます。
- 現在は時間的な点であり、過去や未来を表すためにはそれぞれの表現形式が必要です。
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>英語には未来形はないという話があります。 http://plaza.rakuten.co.jp/samito07/diary/201002110000/ →非常に興味深く読ませていただきました。 >状態を表す動詞以外の現在形といわれているものは、全て未来形ではないんでしょうか? →「~する(動作)」というのはまで「~していない」から未来という考え方ですね。一理ありますが、これが過去の出来事に当てはめると過去形も使わなければなりませんよね。 >現在というのは無限に小さな点であって、 時間(動作)には~した(過去)~している(現在-進行形)~する(未来) しかないんじゃないでしょうか? →おっしゃるとおりです。ご紹介のサイトでも説明されてありましたが、「時」と「時制」は(話が)違う、という箇所がありましたよね。今は述べられている話題は「時」つまり「哲学的な、認識論的な時」のことではないでしょうか? >つまり、現状の現在形(do系動詞)は全て未来形と認識してなにか文法的な矛盾が生じますか? →「現状の現在形」の話は「時制」の話で、「do系動詞)は全て未来形と認識して・・・」の話は「時」の話ではないでしょうか?両者の世界をよく了解した上での話なら、両方とも正しいと言えるでしょう。 ●「時」というのは、哲学的レベルでは完全には認識できていないもので、各言語の「時制」はその国の人々のおおよその約束事です。つまり人間のおおよその約束事の世界に、哲学的レベルの厳密な定義をもってくると、たちまち苦しい目に合わなければなりません。 ●人間の「言語」はなぜ勉強するかというと、「話す・書く」のような発信的姿勢だけでなく、「聞く・読む」のような受信的姿勢であっても、その言語を「使う・使用する」という「語用論」的な約束事の了解(認識ではない)だらけで、行き来している信号です。 ●だから、どちらの分野「時か時制か」に足を踏み入れているかを自分でもよく気がついていないと、語学の勉強か哲学的認識論の勉強か混乱してしまって、最初に自分の意図した方向からずれてしまうことになります。もし「時」が気になるようでしたら「哲学・認識論」、「時制」を了解の世界と思えば、あいまいな人間的世界の了解事項つまり「言語の実用的分野」で満足しなければなりません。 ●「哲学」だけでなく「言語学」「言語哲学」なども平行させながら「実用的分野」の精進をされればいかがかなと思います。西洋人だけでなく、東洋にも「過去心不可得・未来心不可得・現在心不可得」なんていうことが「金剛般若経」というお経にもかかれてありますし、「中論」という難しい仏教哲学の中でしきりに、「時」のことが論じられています。西洋人よりずっと昔にインド人は「時」というものを深く考えていたようです。 ●●話が少しそれたようですので、「動作」を「未来」と考えていいかというご提起は、その理解で、今存在している「英語」なりを「使用」できれば、「是」と答えられます。そのことばかり気になり、今存在している「英語」なりを「使用」するのが、馬鹿らしくなってくれば、語学の勉強はしんどいものになるでしょう。いわゆる「語学馬鹿」と呼ばれるものも嫌ですが、両方面を平行されて進まれればよろしいのではないでしょうか? ●●最後に「現在形」は時系列の線上の点をある程度規則的に繰り返している行為ということとも言えるでしょうね。それを過去の話へ平行移動すれば、「過去形」にもなることもありますよね。もうひとつ、「間接話法の時制の一致」なども、ネイティブ自身が厳密な定義からずれた、言わば、いい加減な解釈・妥協で、英語を使用しているのが現実です。これはがっかりすることですが。
お礼
丁寧な回答をありがとうございます。 まあいえなくもないけど、時制と時間を混同するとややこしくなりますよ。 ということですか。 ありがとうございました。