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「確からしさ」

こんばんは。いつもお世話になって居ります。 「確からしさ」 これについて、辞書的意味でもいいので、ご教授下さい。 宜しくお願い致します。

みんなの回答

回答No.5

量子論的に、全ての存在は確率的なものです。 たとえば、2つのスリットを通してスクリーンに 電子を一個ずつ飛ばすと、その痕跡は、2本の線 ではなく干渉縞になります。 1個の電子が2つのスリットを通った確率同士が 干渉しているのです。 そうした「不確かさ」は、私たちの目にしている 日常的な物体(机やコップ)から、分子>原子>素粒子 >クォーク>超弦(量子定常波)と遡るほどに不確定に なるのです。 (位置や運動量、時点や質量といった基本的な性質の 一方を確定しようとすると、それに存在的意味を与える 他の性質が無限不確定に発散する=確かさがなくなる) つまり、「確からしさ」とは、階層現象を原理的に把握 せず=いい加減に捉える事で派生している、「不確かさ」 の潜在化の事です。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、こんにちは。ご回答ありがとうございます。 >「つまり、「確からしさ」とは、階層現象を原理的に把握 せず=いい加減に捉える事で派生している、「不確かさ」 の潜在化の事です。」 「見れども、見えず」ということが、あるかもしれないですけれど、 「確からしさ」は、「不明」をなんとかしていくことによって、 より、確からしくなっていくように思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

 #1です.補足です。 >>「本田さんの可能性は、未知数」と言ったら、どうなりますか。  本田さんはまだ新入りで、まだ海のものとも山のものとも分かりません。  でしょうかね、期待ゼロの新入社員、みたいなものでしょうか。

kurinal
質問者

お礼

SPS700様、ありがとうございます。 「自分は、絶対、この会社に入る」と言って、苦労して、 傍から見れば、「違う分野に行けば、即採用なのに、勿体ない」 といったことも、あるようです?。 (そんなのも、もう、昔話ですか)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

ヤカンに水を入れて、コンロの火に掛けます。 するとお湯になります。 何回やってもお湯になります。 一億回繰り返してもお湯になりますが、 一億一回目はお湯にならないかも しれません。 でも、お湯になるのは、確からしいです。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、こんばんは。ご回答を伺いまして、嬉しくなりました。 >「一億一回目はお湯にならないかもしれません。」 まさに「確からしさ」ですね。 (「ならない理由」を考えてみると、小さい頃に捏ね繰り回した 「屁理屈」の世界(「ヤカンに穴が開いていた」とか 「コンロが止まった」とか)も、あるみたいです。)

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.2

デカルトは絶対に疑えないものは確実性・確からしさがあると言いました。 しかし、絶対に疑えない、確からしさがあると言っても、それが真理とは限らない。 絶対に疑えない、ということと、真理ということは別。 それと同じで、確実性・確からしさは真理とは限らない。 デカルト以前は真理といえば、神の独占物でした。 だから人間が真理を得たかったら、神から「おさがり」をもらうしかなかった。 それが、理性であり、そして「生得観念」です。 デカルトは神の「おさがり」である理性と「生得観念」があれば、私たちは真理を知ることができるといいました。 やっぱり確実性・確からしさだけでは真理には至らないということ。 限界があるということです。 私たちは、良く「あいつのいうことなら確実性・確からしさがある」と言いますが、それは真理とは限らないという意味です。 だから確実性・確からしさがある、と言われたら、私たちは一歩身を引いて「本当?」と聞き直すべきです。

kurinal
質問者

お礼

koosaka様、ご回答ありがとうございます。 >「絶対に疑えない、ということと、真理ということは別。」 それは、そうでしょう。 (いわゆる「純金」とは、「フォー・ナイン」と言って、 「99.9999%以上なら「純金」」ということになっているそうです。) >「デカルト以前は真理といえば、神の独占物でした。 だから人間が真理を得たかったら、神から「おさがり」をもらうしかなかった。 それが、理性であり、そして「生得観念」です。 デカルトは神の「おさがり」である理性と「生得観念」があれば、私たちは真理を知ることができるといいました。」 なるほど。「「全知全能」の、おさがり」ですか。 >「やっぱり確実性・確からしさだけでは真理には至らないということ。 限界があるということです。」 「確からしさ」に限界あり、といっても、排除するものではないでしょう。 >「私たちは、良く「あいつのいうことなら確実性・確からしさがある」と言いますが、それは真理とは限らないという意味です。 だから確実性・確からしさがある、と言われたら、私たちは一歩身を引いて「本当?」と聞き直すべきです。」 「一歩身を引いて「本当?」と聞き直すべき」(事柄)。」 で、ファイナル・アンサー。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 確実性ですから「鈴木さんが死ぬ確からしさは十割り」と使うんでしょう。僕は過去に使ったことも将来使うつもりもありません。

kurinal
質問者

お礼

SPS700様、ご回答ありがとうございます。 >「十割り」 随分と、丼勘定ですね。

kurinal
質問者

補足

「本田さんの可能性は、未知数」と言ったら、どうなりますか。