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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:武力の権威について)

武力の権威について

このQ&Aのポイント
  • 日本で個の武力の強い人が権威を持たなくなったのはなぜなんでしょうか。
  • 現代では賢い人のほうが権力を持っているように感じています。
  • 憲法などができるずっと前に武力が権威を持つと都合が悪いと感じた知力を持った人がなにかを起こして立場を逆転させた出来事があるように思います。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9604)
回答No.10

sanmanomanma さん、こんばんは。 平安時代も中期になると、もう朝廷には日本国全体を治める力がなくなってきます。お公家のように何もかも悠長に決められても、何も変化しない時代に入ったのです。例えば、地方の反乱という緊急時の対応だって国司でも治めることができないのです。だから、即断則決の能力のある武士の台頭を許したのです。 当然、武家政権は武断政治でした。将軍の命令に背くものは武力を持って、滅ぼし、朝廷の権威や国を治めるのです。これは徳川家光のころまで続きました。家綱の時代になって法律をもって国を治める文治政策に代わります。本格的になるのは綱吉の時代からですが、17世紀の後半からといえます。このころからだんだん武士といえども武力にむやみに頼ることをしなくなりました。

sanmanomanma
質問者

お礼

流れに筋が通っており、すごくわかりやすいです! そうか、武力に政治を任せた結果、戦国時代が始まったわけなんですね。本当に今教科書を見直したら発見がありそうです。

その他の回答 (10)

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3310)
回答No.11

◎投稿者様は、”悪意なけれども、門外漢。:PC位でとの、思い上り有リ。✖✖✖

sanmanomanma
質問者

お礼

ネットだからってマナーを忘れるな、という警告でしょうか。思い当たる点はあります。 大変失礼いたしました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11203/34803)
回答No.9

>日本で個の武力の強い人が権威を持たなくなったのはなぜなんでしょうか。 むしろ「武力の強い人が権力を持っていた時代」のほうが日本史全体からすれば稀なのです。 まず、実は縄文時代の遺跡発掘物で「武具」と分かるものは出土していません。狩猟の道具あるいは生活の道具としての弓矢や槍やナイフは出土していますが、例えば兜とか鎧とか盾とかそういうものは出ていないのです。明らかに武具と分かるものが出土するのは、弥生時代になってからです。ですから、現段階では縄文時代に戦争があったことを示す証拠は出てきていません。尤も、大規模集落などはありましたから、全く平和な社会だったというのは考えづらいと思いますけどね。 そして平安時代というのは約800年続きました。この間、日本国内における軍事力というのは全くゼロの状態です。しかし不思議なことに、隣の朝鮮半島国家は日本に攻めてこようとはしませんでした。 武士と呼ばれる身分の人々が出てきて、武士で初めて昇殿が許されたのが平清盛の父親である平忠盛です。その時代になって初めて武士が日本の政治に影響を与えることとなりました。 しかし世間は甘くありません。時代はずーっと下っての鎌倉時代末期、足利尊氏が九州から京都に迫ったとき(湊川の戦い)、楠木正成は後醍醐天皇に「京都から避難したほうがいいですよ」と進言したのですが、公家から「はあ!?バカジャネーノ。戦いに勝つかどうかは帝のご威光によるものなんだから(←本当にそういった)武士とかかんけーねーし」と2ちゃんねらーのごとくに煽られまくりました。湊川の戦いで朝廷側が負けたのは、公家からすれば「戦った武士が根性なしだったから。悪いのは全部現場の武士」なのです。え?日本軍の話も現代のブラック企業の話もしてないっすよ。 江戸時代の徳川幕府も武家政権ですが、幕府が成立すると事実上武士というのは「戦う人」ではなく「官僚」になりました。江戸時代200年の間も、日本には武士という形式上は軍人である人々がいたものの実質的な軍隊は存在せず、武器の更新はもちろん、軍事訓練さえ(幕末に近い高島秋帆の西洋式軍事訓練が行われるまでは)行われませんでした。だってうっかり軍事訓練みたいなことでもやろうものなら「謀反の恐れあり」として取り潰しになるからです。 ちなみに、「江戸時代最後の戦争」ってなんだかご存知ですか。実は「島原の乱」です。えっ、島原の乱て江戸初期でしょ?そうです、江戸幕府が開かれて30年後くらいのことです。幕末の戊辰戦争は大政奉還の後ですから、厳密には江戸時代ではないのです。大政奉還が宣言されたときに「徳川幕府」は終わりですからね。 つまり、日本史全体の中では個の武力が強い人が権力を持っていたことそのものが稀なのです。足利幕府や徳川幕府のような武家政権でさえその棟梁が「戦場の将軍」だったのは初代くらいで、鎌倉幕府なんて、初代の頼朝から北条ナントカの時代になるまで誰か戦場に出た将軍なんていたかしらね。滅亡のときくらいじゃないでしょうか。 残るは昭和初期から終戦にかけての時代ですけれど、東条英機って、あの人は軍人というよりどこをどう見ても「優秀な官僚」ですよ。 現代でも、一般的に知的エリートに所属する人たちは「運動が苦手」と相場が決まっています。欧米ではあのホーキング博士もボート部に所属していたり、「運動部出身の知的エリート」は珍しくないのですが、「文武両道」って言葉がある割に文と武には深い溝があります。もっともこれは日本に限った話ではなくて、中国でも朝鮮でも文官(官僚)の地位は武官(軍人)より高いものでした。朝鮮なんてひでーもんですよ。三国志でも、諸葛孔明のほうが偉くて、武将は軍師に「命令されるまま使われる」って立場でしょ。アジアってのはだいたい「スポーツできるやつよりお勉強ができるやつのほうが偉い」のです。

sanmanomanma
質問者

お礼

この質問のきっかけになったのは、僕自身生物的に他人と比べて弱さと恐怖を感じていて、賢くなろうが勉強できようが、強くならない限りこの恐怖からは逃れられないと思ったからなんです。 この発想が膨らむと、物理的に強い、強そうな人がもっと偉そうにすることがあってもいいんじゃないかな、と思ったのです。そうなっては困りますが。 法が整い文明的になったのはここ数百年のことだと思うと、縄文時代から、というのは納得がいきません。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.8

日本で個の武力の強い人が権威を持たなくなったのは なぜなんでしょうか    ↑ 法制度が整備されたからです。 それはざっくりいうと法律があるからだと考えます。    ↑ その通りです。 とすると、憲法などができるずっと前に武力が権威を 持つと都合が悪いと感じた知力を持った人がなにかを 起こして立場を逆転させた出来事があるように思います。 それはなんなのでしょうか。   ↑ 武力で世の中を統治することはできます。 しかしそれは長続きしないのです。 長続きさせるためには、法律を整備する 必要があるのです。 戦乱の世は武力で統治し、平和になったら 法律を整備し、法の力で統治するように します。 平和が乱れれば、武力統治になります。

sanmanomanma
質問者

お礼

わかりやすい回答でスカッとしました! 今の世の中を思うと世間が法に窮屈さを感じ、このままだと世界にも遅れをとってしまい、限界を迎えているように思えます。 方は安定期間は長いけれど、どういうわけかいつまでも続くわけではないんですね。今は江戸時代感覚かもですね!

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.7

「有能な将は戰を見極め、負けが見えれば逃げることを考えよ」。という戦国 武将の教えがあります。 つまり、武田信玄の武田勢に散々に負けた徳川家康。三方が原の戦いで死んで いれば天下は取れなかった筈。 武田信玄は村上義清の軍勢に押されて、這う這うの体で甲斐に逃げ帰りました。 これは、織田信長の浅井朝倉の軍勢挟み撃ちに逃げたこともあり、徳川家康は 本能寺の変後、決死の伊賀越えも同様です。 つまり、逃げるのも一流の将たるものの心得なのです。それをむざむざと戦い 討ち取られては、そこで歴史は終わります。 柳生流剣術の師範代、柳生宗徳は剣聖、宮本武蔵との戦いに挑もうとしましたが 途中で止めました。とても叶う相手ではなかった。と悟ったのです。 これは生きる上でも大事なことです。叶わぬ相手に立ち向かうことがどんなに愚か で身の程知らずかを考える良い教訓と為すべきです。 知力とはそういうものです。一流の将は知力も兼ね備えているものなのです。

sanmanomanma
質問者

お礼

なるほど、ためになる教訓をありがとうございます。人はただ身の程を知れとは家康の言葉だったような気がします。社会を安定させる1つの答えのように感じました。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.6

戦国の世から、信長、秀吉、そして、徳川家康から秀忠、家光の時代に至って「元和偃武」。 漸く、古くは、応仁の乱以降、絶えることのない戦国の世、武力の時代から、家康が目標とした平和な時代が訪れます。 個であれ、全体であれ、武力に対する手段は、猪突猛進の武力に他なりません。 そして、そこには必然的に衝突が起きます。 しかし、知力は違う。 「話し合い」は、平和的に問題の解決策を相互の利益に照らして、合意がなされる為には有効な手段と言えます。 知力が武力を逆転した切っ掛けは、家康の天下平定の目論見には不可欠な「関ヶ原の戦い」でしたが、あくまでも、その前提に平和な世の中の実現という理想世界を想像し、実行に至るまでの思考、熟慮といった知力の結集があったことは明らかでしょう。 現状、ヨーロッパを中心に世界が混迷を極める元凶の一つが、知力に勝る武力の旺盛ですが、結果的に全ては破壊以外の何物でもない。 武力は、何一つ産まないことは、既に歴史が証明している事実です。 しかし、貧困や餓えは、知力という手段を持たない人々にとっての最後の戦術です。 日本は「関ヶ原の戦い」を経て平和への手段を知りましたが、世界には、未だ、その事に気付かない人々が多いというのが、現実だということでしょうか? それだけ、日本は進んでいるということでしょうね。 話しは長くなりましたが、武力から知力への転換点の代表は、やはり、「関ヶ原の戦い」から「元和偃武」に至る時代ですがね。

sanmanomanma
質問者

お礼

よくよく考えると徳川家ってなぜあんなに続いたのでしょうか。。家康が平和な世界を築こうとしていたことはなんとなく知っているのですが、1人の思想が、ましてやおそらく当時は異端だった?ものがこうも続くとは驚きです。 今の、社会人は働きすぎ的な雰囲気が当時にもあったんですかね。 この右向け右的な風潮はやはり島国の日本独特なものの気がしますね。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (839/4401)
回答No.5

江戸時代までは武力に頼った時代でしょ? ペリーが来て困り果て、天皇を持ちだしたんです。 で、天皇主権が確立されたのですが、戦争に負け、民主主義が強制され、 喧嘩の強い人より賢い人が投票で勝つようになったからでしょう。 喧嘩の強い人で選べば暴力団の世の中になりますね。

sanmanomanma
質問者

お礼

ペリーはおもしろいと思いました! 戦法やら武器やら違ってたらしいんで宇宙人到来みたいなものですもんね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.4

今だって政府が一番武力を持っていますよ。つまり警察と自衛隊です。この二つに匹敵する武力を持つ組織は米軍を除けば日本国内には存在しません。ですから、政治体制が変わって大統領が強大な権力を持つような国に変わったら、武力を背景に何をするか分かりません。

sanmanomanma
質問者

お礼

民主主義になってそんなことが起こりうるでしょうか。

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3310)
回答No.3

・・・武力と知力が反転した出来事は何でしょうか。➡第二次世界大戦に、敗れた事実。 ・・・を持った人が、何かを起こして、立場を逆転させた出来事があるように思います。 それは何なのでしょうか。➡明治維新。

sanmanomanma
質問者

お礼

お恥ずかしながら明治維新についてはよく知らなかったのですが、調べてみますと、日本をひっくり返したような大革命ですね。前の方も言われていましたが、戦後も大きく関わっていそうです

回答No.2

>個の武力の強い人が権威を持たなくなったのはなぜなんでしょうか。 日本に限らず、民衆の集団である国と言うものを形成する場合、個の武力がまかり通ると、国というものが成り立たなくなります、個の武力に対して、国という武力で押さえつける事ができるからこそ、あらゆる職種や能力の有る人々が集合できるのです、仮に個の武力をゆるしたらその国(コミュニティ)からは人が逃げてしまいますし、寄り付かなくなります。 当然商行為も無理ですから、商行為も出来ない、人が少なく、暴力ばかりのコミュニティは国家になりません、野党とかくらいが関の山です。

sanmanomanma
質問者

お礼

詳しくはないですが、内戦の絶えない治安の悪い国もあるので不思議ですね。国の気質というのもあるんでしょうか。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

まず、教科書でもいいから、GHQ と 日本国憲法 あたりを読んでみてください。

sanmanomanma
質問者

お礼

教科書は実家の段ボールのどこかにあるため、ここで質問させていただきました。。

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