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徴兵を回避する方法
私の父方の曽祖父は戦争中、徴兵を免れたそうなのですが、 その理由と言うのが、徴兵で農村の男手が極端に減ったために、 農業要因として徴兵されずに済んだそうです。 そのような理由は認められたのでしょうか? ちなみに曽祖父は、農業などやらずに雑貨屋や豆腐屋などの商いをし、 それでお金が足らないときは土方として国土開発に従事したそうなので やはり矛盾します。 私の祖父は虚言癖があり、この話も話すときによって内容が変わります。 以前は「醤油を飲んで血圧を上げて徴兵を免れた」 と話していました。 醤油を飲んで徴兵を回避することはできるのでしょうか。
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- ithi
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cmpter さん、こんばんは。 兵事係の人というのはもとは軍人の下士官(伍長)以上で定年を過ぎた人か、ケガか病気で予備役になった人というのが多いと聞いています。だから、村や町の兵役年齢適任者のデータを掌握していたと思います。たぶん、あなたの祖父さんは一番兵隊としての能力に欠けると判断されたのではないでしょうか?
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答者No.5です。 私も本を買ってしまって読み始めたところですが、村の役人がデーターを陸軍に出してそれを陸軍の専門の係が綿密に検討して招集したということのようです。 なお「徴兵」は大辞林によると「国家が国民を強制的に兵役につかせること。」とのことで一般的には検査のことだけを意味するというわけではないように思います。 身長155cmから150cmの間だと乙種、150cm以下だと丙種ということで案外厳しかったという印象です。もちろん戦争中は丙種でも結局招集される場合も多かったのかもしれませんが、この先読み進めてみます。
- mm058114
- ベストアンサー率30% (102/337)
私の回答にマイナスを付けた方がいてショックです。 徴兵とは、制度、システムの名詞であって、 徴兵する。 徴兵された。 と、この言葉は使いません。 正しくは、 徴集する。 徴集された。 です。
- mm058114
- ベストアンサー率30% (102/337)
徴兵と言っても色々あるのですが、 徴兵検査を受けなかった事じたいは、ありえません。 徴兵検査でランクをつけられます。 海軍は、太平洋戦争に入るまでは、志願兵と召集兵でほぼ充足されていて、 ほんの一部の徴集兵を必要とした。 戦争が進むに従って、次第に多くの陸上部隊が必要になり、徴集を行なった。 徴兵検査は、陸軍に一任されていて、甲種のトップグループの者を海軍に割り当ていた。 当時の日本は一家一族主義があり、当主、将来当主になる者は、将来の徴兵維持の為に兵役を免除されていて、兵役に入る者は、二男三男であった。 特種技能者、理科系の学生等、産業維持、国力増産に有用と思われる者の兵役を免除されていた。 昭和初期までは、陸軍は平時であり動員もなかったので、定員より甲種の方が多く、抽選で入営者を選んでいた。 支那事変が始まると動員部隊が多くなり、乙種も徴集され、対象者の徴集率は半分以上に なった。 また、帰休延期も行われ、除隊延期、召集延期も行われるようになった。 絶対国防圏が設定されると、多くの島嶼守備兵が必要になり、学徒動員が行われた。 また、国力産業維持の為に残されていた者にも、手をつけなければならなくなった。 質問の徴兵されなかったということは、徴兵検査を受けていないということになります。 そうすると、日本国の国籍を持っていなかったということになります。 市町村の戸籍係りは、徴兵制度維持の為、念入り作業していました。 当然のことながら、紙ベース手作業で、同時に、兵事業務も行なっていました。 兵事業務の書類は、市町村長でも勝手に見ることはできず、本当に少人数で行なっていました。 ミスはゼロではなく、漏れることもあったそうです。 空襲により戸籍関係書類の焼失により、戸籍書類の再作成を行なったところもあります。 この時に曽祖父様は、戸籍に載ったのかもしれません。 国籍が無いと、学校にも行っていないことになってしまうので、それは考えられないと思います。 たぶん、徴兵されなかったのではなく、徴集、召集にならず、入営しなかった事だと思います。 単語の違いで、大きく変わってしまいます。
お礼
ご回答有難うございます。 成程・・・・そういうことも考えられますね。 一つ勉強になりました。 ただ私の祖父母の兄弟は、長男であるとか、志願とかに関らず陸と海で死んでいます。 日本は敵国の人間だけではなく、自国民の命をも軽く扱っていたように思えてなりません。
- natsuanko
- ベストアンサー率59% (404/677)
明治22年に制定された「徴兵令」では、「一家の主人たる者」や「家のあとを継ぐ者」が徴兵免除されていました。 その後、No.6の方が回答されている「兵役法」に変わって、徴兵令で免除されていた上記のような条項はなくなりました。 従って、戦争が太平洋戦争(第二次世界対戦)を指しているなら、あり得ない事になります。 また、「醤油を飲んで血圧を上げて徴兵を免れた」も以前からずっとまことしやかに言われていることで、事実ではありません。 単なる年寄りの戯れ言として、聞き流すのが良いかと思います。
お礼
この度のご回答、どうも有難うございます。 第二次世界大戦以前は、もう少し緩やかだったのですね。 ただNo7さんの投稿によれば、 個々の地域に順応したある程度柔軟なものだったようですが。 といっても、賄賂を始めとした諸々の汚職の温床であった可能性もありますが。 血圧をさげるうんぬんはともかく、 何らかの自傷行為をした可能性はありえるのではないでしょうか。 祖父の言うことは話に一貫性が無く、信ぴょう性に欠けますが、 こうして皆さんから頂いた回答を読んでいくうちに、 何からの真実が含まれているかもしれないと思うようになりました。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
徴兵の実際の業務って町役場・村役場の戸籍係が適当に選んでます。 軍が名指しで指名という事態はよほどの政治的状況がない限りほとんどありません。 ですから役場としては適当に人数合わせをしておけばいいわけで、この人は町にとって絶対必要と判断してしまえば外してしまいます。あるいは戸籍係の課長に賄賂を払うとか。
お礼
ご回答、どうも有難うございます。 成程、そうだったのですか。結構ファジーなんですね。 一つ勉強になりました。
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
1927(昭和2)年4月1日に兵役法が施行され、20歳を迎えた男子は必ず徴兵検査を受けることが義務付けられました。 徴兵検査は、身長,体重,視力検査などに加えて梅毒や痔が無いかとか、体の隅々まで調べられたようです。(参考:「素裸にされた上、四つん這いにされ、最後には陰茎をしごかれるなど、全く人間扱いとは思われない一種の体罰」『徴兵忌避の研究』P324) その後、健康的な順に「甲種」「第一乙種」「第二乙種」「丙種」「丁種(不適合)」などにランク分けされ、名簿(兵役原簿)に記録さました。 その名簿をもとに各都道府県にある連隊区司令部が必要に応じて徴兵していました。 甲種合格者は,「優秀な帝国臣民」として一種の名誉であるとされていました。(軽い言い方ですが「男をあげる」ってやつです) さて、兵役を回避する方法ですが、兵役法には次の定めがありました。 第37条 徴兵検査ヲ受クベキ者勅令ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ適セズト認ムル疾病其ノ他身体又ハ精神ノ異常ノ者ナルトキハ其ノ事実ヲ証明スベキ書類ニ基キ身体検査ヲ行フコトナク兵役ヲ免除スルコトヲ得 つまり、身体障碍者や精神障碍者はそれを証明すれば、徴兵検査を免れるということです。 これ以外にも、大学や高等師範学校などの学生は最高27歳まで免除(但し、戦争末期には廃止される。所謂「学徒出陣」)、重犯罪を犯したものは名誉ある軍務につく事を禁止(但し、兵役忌避の罪で罰せられた者は優先的に徴収)などがあります。 また、一家の主や兄弟に徴兵された者がいる人なども含まれます。 もう一つは賄賂ですね。 財閥関係者はもちろん、金持ち、地域の名士、役人幹部の関係者等などが金を積んで名簿の削除や不適合への改ざんが流行ったそうです。 で、金のない貧乏人はどうしたかというと、この法律の逆手をとったり抜け穴を通ったりするわけです。 主な方法としては、自傷行為(大けがをする、薬で一時的に不健康に見せるなど)・戸主替えや養子縁組届・偽死亡届・結婚届などの家族制度を突いた偽装、国外逃亡(満州移民に応募とか)などがよく知られています。 >醤油を飲んで血圧を上げて徴兵を免れた これもよく聞く方法ですね。 他にも、眼に刺激性のものを入れ眼球を充血させる・肛門に刺激物を塗って痔に見せかける・卵黄を耳に入れて中耳炎を装う・断食するなどなどが有名どころでしょうか。 農業要員というのは、戦争末期に多くの若者が戦場にとられたため招集されなかったということだと思います。 以上、参考になれば幸いです。
お礼
この度はご回答、どうも有難うございます。 非常に参考になっております。 徴兵検査にそのような非人間的な方法が取られていたというのは、初耳です。 原典を確認したわけではありませんが、おそらく事実なのでしょう。 私は思うのですが、敢えて(わざと)、そうした非人間的な検査にしたのだと思います。 まず最初に極限状態に相手を追い詰めて、自我をはく奪しておくために、、 敢えて必要以上に非人間的な検査をしたのだと思います。 たとえばその検査中に、被験者が逆ギレしたりしたら、そのような自我の強い人間を戦場に送り込むことはできないでしょうから。 結構、法律の抜け穴は存在したようですね。精神障害というのも、簡単に装えると思います。 もっともそれは政府も理解しており、徴兵の年齢に達するまでに国民を十分に義務教育で調教、洗脳しているから、法律上の抜け穴があったとしてもその穴を通り抜けることは「罪悪感」「恐怖心」などの認知バイアスがかかって、事実上容易ではなかったとは思います。 しかし、それでも戦場(や軍隊での厳格な規律)が怖くて、様々な手段で兵役を逃れようとする貴族、役人、大衆といった人々を、私は憎むことができません。彼らはひきょう者、非国民の烙印を押されたでしょうが、生きることを願うのは本来人間として当然の権利だと思います。ここでいう権利とは法的な権利のことを指すのではなく、人としての普遍的な権利のことを指します。だから、たとえ賄賂や不正、自傷といった集団で兵役逃れをしようとも、それを憎んだり、妬んだりすることは的外れだと思います。ただ、自分はそうやって逃れておいて、一方で他人には徴兵を強要する、そういう奴らこそは本当の悪だと思いますね。 ご回答はとても勉強になるものでした。どうもありがとうございました。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
醤油は知りませんが戦争中でも長男は徴兵されなかった場合は多いようです。 他には病気理由などもあるのでは。 私の父も国策企業に勤めていましたが乙種だか丙種だかで免除になったようです。父の弟は兵役に行っています。 いくら戦争中でも労働力が無くなってしまっては戦争続行は無理だったからでしょう。 それと今とは「家」に対する考え方が違っていたようです。 父に聞いてみたことがありますが、やはり多くを語りませんでした。引け目を感じていたのでしょうか。 招集は機械的にやっていたのではなくて村の事情を知る係の役人の判断が入っていたようです。 私もこの機会に本を読んでみようかと思います。 https://www.amazon.co.jp/dp/4779116252/ https://www.amazon.co.jp/dp/4422300334
お礼
この度はご回答どうも有難うございます。 村の事情に詳しい役人が判断していたのですか。 それは知りませんでした。 だとすると、祖父の全くの嘘というわけでもないのかも知れません。 そうですね。 どんな背景にせよ、あまり触れない方が良いのかもしれません。 戦場に行かれた人はもちろんですが、国内に残った人にとっても、戦争が悲惨なものであったことに変わりはありませんし。東日本大震災の被災者や遺族に、「大津波どうだったー?」などと思い出したくない記憶をほじくり返すようなものなのかもしれない。 ただ私は思います、どんな背景があったにせよ、戦争に行かなかった人や行けなかった人が、引け目を感じることは全く無いと。そもそも国民を強制的に戦争に行かせる国家に問題があったのであり、戦場に行かなかった人が罪悪感に苦しんだり、人々に村八分されたりする筋合いはないと私は思います。だからこそ正直に当時のことを、自信をもって話してほしいと私は思いますけれどね。 ご紹介いただいた本は興味深いですね。オバマ大統領はこの間の広島演説で「あの日(1945年)を色あせさせてはならない」と言いました。日本人の私たちも、むしろ今だからこそ、改めて歴史を見なしてみる必要があるのかもしれません。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>そのような理由は認められたのでしょうか? 戦時末期でも、身分に関係なく(色んな手段を用いて)徴兵逃れは起きています。 元総理大臣の「宮沢喜一」も、親の権力を用いて徴兵逃れを行った事は有名です。 旧皇族は「臣下の模範として、自ら陸軍に志願」したのとは対照的ですね。 旧公爵の徳川慶喜の孫も、陸軍上等兵として戦場に向かっています。 >醤油を飲んで徴兵を回避することはできるのでしょうか。 YSEかNOかで言うと・・・。 YESです。 「懲役刑に服している者、又は裁判未決の刑事被告人」は、徴兵を猶予するのです。 戦時下で食糧統制(配給制)の時代ですから、たかが醤油でも重罪です。 若しくは、次の条項に該当したのかも知れませんね。 「兄弟が徴集された場合、兄又は弟の一人」は、徴兵猶予。 「現役中死亡又は負傷し免役した者の兄弟の一人」は、徴兵猶予。
お礼
この度はご回答どうも有難うございます。 旧皇族の中には自ら志願された方もいるのですか。 成程、体を悪くするからというより、 貴重な食料を無駄にしたから犯罪と見なされたためであると。 いずれにせよ、 醤油で徴兵回避するというのは全くの都市伝説というわけではないということですね。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
徴兵猶予が廃止されて強制的に徴兵されるとは言え 歳相応の男子全員が徴兵されたわけではありません 実際 身体検査でズルをして兵役を免れた人は結構居たと祖父から聞いた事があります ちなみに土方として国土開発をする 国内勤務の師団もあったので それも嘘ではないかもしれません 彼らは軍には所属していますが 少し年齢が高い(40歳以上とか)ため 戦闘員としては使われなかったようです(軍属のような扱い)
お礼
この度はご回答、どうも有難うございます。 成程、 どうやら全くのデタラメというわけでもないようですね。 「国土開発に勤務した」「無茶な方法で徴兵を誤魔化そうとした」 「農業の担い手を期待された」 これらは全て、どれかが嘘なのではなく、 それぞれに少しずつ真実が含まれているのかもしれません。
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お礼
No5でも有益なご回答を頂き、大変助かっております。 購入されたのですか。素晴らしいです。 No5で紹介してくださった赤紙の本はとても興味深いです。 とくに1番目のアドレスにあった本。 一度保留となった人も、結局は徴兵の対象となったのですね。 想像ですが、1945年よりも戦争が長引けば、更にこの対象者というのは広がったと思います。 そうなれば、私の曽祖父も逃れられなかったかもしれませんね。 postizosさんが読み終わるまで、この質問は締め切らないでおきたいと存じます。 私が一点、どうしても不可解なのは、 その曽祖父が、平成生まれの私と同じ時代を生きていたことです。(今は亡くなりました) そして今日、祖母が、「近所の知り合いに会いに行く」といって戦争世代の98歳の友人に会いに出かけたことです。 こうしたことが、言いようの無い不安感を私に喚起させます。 何を言いたいのかと言いますと、 当時の人々が私と同じ時代を生きている。つまり平成と言っても、歴史を真上から俯瞰すれば今はまだ戦後間もない時代ということです。歴史の教科書とかで、794年平安京、1192年鎌倉幕府、などと勉強してきた私ですが、そういった教科書的な目線で歴史を長いスパンで捉えた時に、100年も経過していない歴史上の二地点は、ほとんど同時代の出来事に等しいと感じます。当時と、平成時代とでは、本質的に変わらないと私は思います。 正月が71回、それってそんなに太古の昔話でしょうか。 日本は戦争を繰り返さないでしょう。法律も発達したしアメリカとも仲良くなりましたし、政府も以前よりずっと民主的になりました。でも、それでも戦後間もない時代に過ぎない。私にはそれが怖いんです。私たちは、100年未満のわずかな期間で一体どれだけ変われたというのだろうか。それを思うと、当時のことが、それほど埃の被った昔話には思えなくなります。私たちはその埃の被った昔話の時代を、現在進行形で生きている。 だからご紹介いただいたような歴史書を読むことには現代の我々にとっても価値あることだと思います。