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西南戦争の薩摩軍側の兵站の資料について
今西南戦争を調べているのですが政府側には結構資料があるのですが、薩摩軍の方の詳しい兵站の資料がなかなか見つかりません。どんな種類の火器がどれほど使われたなどや食料の配給量が特に詳しく知りたいのですが、ご存知ないでしょうか?それともやはり薩摩側の資料は殆ど無いのでしょうか?
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- mm058114
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回答No.1
回答ではなくて申し訳ないのですが、 政府軍がそうだったように、食料は、九州全土、四国、沖縄なんかから、買付け可能だったんじゃないですか? 軍が直接でなく、商人が買付け納入して。 薩摩軍の事じゃないけど、 熊本城籠城の政府軍は、厳しく囲まれての籠城じゃなかったみたいですよ。 スカスカで、外部に出て、食料、弾薬の持ち込みは、さほど苦にならなかったみたいです。 御用商人みたいのも出入りしていた。 谷干城か乃木希典か児玉源太郎の伝記のようなモノで読みました。 西南戦争は、日露戦争や太平洋戦争みたいな激戦じゃなく、悠長な感じだったみたいですよ。 日清戦争までは、輜重は軍人が行わず、軍夫を臨時雇傭して行なっていたので、 危険が迫ると、蜂の子を散らすようにみんな逃げてしまった。 それでは、兵站が成り立たないので、輜重兵が見直されて、日露戦争には召集された兵が行う事になった。 持ち合わせる資料ないですが、西南戦争のまして薩摩軍なんて、と思いまして一筆。
お礼
返事おくれて申し訳ありません。西南戦争が悠長な感じだとは初めてしりました。熊本城もそんなに厳しく囲まれたわけではないこともです。もっと西南戦争について興味が湧いてきました。回答ではありませんがありがとうございます